鎌倉殿の13人

北条氏邸跡(円成寺跡)~北条氏の本拠地で鎌倉幕府滅亡後は尼寺として一族の冥福と鎮魂を祈った地

北条氏邸跡(円成寺跡)



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北条氏邸跡】

北条氏邸は鎌倉幕府の執権として
活躍した北条氏の館があった場所です。

北条氏邸跡が位置する守山は
北条氏の本拠地で鎌倉時代
伊豆北條と呼ばれていたそうです。
守山の東側には氏寺である願成就院が建てられ、
北西側の谷の内部には館が建てられました。
平成4年(1992年)からから
平成5年(1993年)にかけて行った発掘調査では、
平安時代末から鎌倉時代はじめにかけての
大量の出土遺物とともに建物跡が発見され、
北条氏の館があることが確認されたとのことです。

北条一族のふるさとと寺院 説明板

鎌倉幕府滅亡後】
元弘2年(1333年)、
鎌倉幕府の滅亡後、北条一族の妻や娘たちは
鎌倉から韮山に戻ったとのことです。
そして、一族の中の円成尼(えんじょうに)
という女性が中心になって、館の跡に寺院を建て、
北条氏の冥福を祈ったのが円成寺です。
円成寺は室町時代にも尼寺として続き、
江戸時代まで続いたことが分かっています。

【国指定史跡】
北条氏邸跡は北条氏が鎌倉に本拠地を移すまでの館跡と
北条氏滅亡後の円成寺跡が発見され、
北条氏の興亡を物語る遺跡として
国指定史跡に指定されました。
北条氏邸跡(円成寺跡)は、現在、整備、活用に向けた
計画の立案を進めているとのことです。

北条氏邸跡(円成寺跡) 風景

現在、伊豆の国市では
史跡整備の計画を進めている
国指定史跡北条氏邸跡(円成寺跡)を一部公開しています。
史跡全体はは非公開となっており、
本格的な整備は数年先となるそうですが、
暫定的な園路と解説板を整備して
一部公開することで、
市民や来場者に史跡を知る機会を目的としているそうです。

【公開期間】
令和3年4月1日~本格整備工事開始まで

【公開時間】
午前9時~午後5時

【場所】
国指定史跡北条氏邸跡(円成寺跡)
守山西公園(伊豆の国市中條469-5)の北側

【暫定整備の内容】
史跡内の高まりを利用した展望地に
解説板2基が設置されました。

北条氏邸跡(円成寺跡) 解説板

解説板は、ガラス板で制作されており、
ガラス面に建物等のフレームが描かれています。
ガラス越しに発掘された建物跡を見通すと
実際に発掘された位置に建物が建っているように見える
仕組みとなっており、
当時の建物群の位置関係や、
スケールを立体的に理解することができます。

平安時代終わりから鎌倉時代初めの北条氏の館と、

北条氏の館跡 解説板

室町時代の円成寺の当時の様子がイメージできる
2種類の開設板が設置されています。

室町時代の円成寺 解説板

更に、解説板には、
伊豆中央高校美術部の生徒さんたちのご協力で、
当時のイメージ図も掲載されています。
当時の絵巻物などを参考に描かれており、
着色がされており、人物も描かれているので、
当時の様子がたいへんイメージしやすくなっています。

伊豆の国市が「北条の里さんぽ路」として
市内に数多くある頼朝・政子、北条氏ゆかりの歴史スポットや、
四季それぞれの花の名所であるお寺を紹介するマップを作成したそうです。

伊豆の国市公式サイトより⇓
頼朝・北条の里と花のお寺めぐりマップが完成しました。

近くの史跡
北条政子の産湯の井戸跡
◆伝堀越御所
◆守山城址
◆願成就院

北条時政~先見性を持ち才腕を振るって幕府の実権を掌握するが暴走して寂しく去る。

北条政子~いちずに恋した乙女は幾多の悲しみと困難を乗り越え尼将軍となった。

北条義時~鎌倉幕府2代執権~冷酷無情・現実を客観視して行動できる理想家なのか?

山木判官平兼隆館跡~源氏再興の狼煙はここから始まりました。

伝堀越御所跡~堀越公方が居住していた場所と伝わる。伊勢盛時に攻められる。

伊豆守山城跡~堀越御所の詰城として築城され、其の後は小田原北条氏、豊臣軍が利用。

韮山城跡(伊豆)~小田原北条氏の伊豆支配の中心地、戦国時代の幕開けと終わりを示す城

江川邸及び旧韮山代官所跡、世襲代官の江川家は900年続く清和源氏で日本の歴史に関わっています。

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