史跡・城跡

旧高野家住宅 甘草屋敷~国の重要文化財に指定された民家建築で江戸幕府御用の甘草の栽培と管理を担ってきました。

旧高野家住宅 甘草屋敷



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甘草屋敷】

甘草屋敷(かんぞうやしき)は、
山梨県甲州市塩山上於曽
(えんざんかみおぞ)にある
江戸時代後期に建築された民家で、
国の重要文化財に指定されています。
重要文化財指定名称は旧高野家住宅です。
旧高野家住宅 甘草屋敷
配置図

【高野家について】
高野家はこの地で
長百姓(おさびゃくしょう)を務めた家柄です。
代々「伊兵衛」を名乗り、
幕末には名主として
苗字帯刀が許されていました。
高野家は江戸幕府に納める甘草を
栽培していたことから、
甘草屋敷と呼ばれていました。

【主屋について】
高野家住宅の主屋は
切妻屋根の前面上部に
2段の突き上げ屋根を設けた
甲州民家と呼ばれる、
この地方特有の建築であるとのことです。
江戸時代後期の建築で、
蔵などの付属建物や宅地も含め、
重要文化財に指定されています。

【甘草栽培と高野家】
高野家は江戸時代初期頃より
薬草である甘草の栽培を始め、
八代将軍徳川吉宗治世の
享保5年(1720年)、
徳川幕府の採薬師であった
丹羽正伯により
同屋敷内の甘草を検分され、
その結果幕府御用として
栽培と管理が命ぜられたとのことです。
一反十九歩の甘草園は
年貢諸役を免除され、
その後高野家が栽培する甘草は、
幕府官営の小石川御薬園
栽培するための補給源となり、
また薬種として幕府へ上納を行いました。
以上これらの経緯により
高野家は古くから「甘草屋敷」と
呼ばれてきたのでした。




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【建築】
【主屋】
主屋は江戸時代後期(19世紀前半)の建築です。
切妻造、屋根裏部屋を含め3階建てです。
桁行13間半(24.8m)、梁間6間(10.9m)。
現状は銅板葺きとしていますが、
1960年までは茅葺きでありました。
切妻の大屋根には
2段の突き上げ屋根を設けています。
建物内部は三層構造になっており、
上層階は甘草の乾燥に
用いられたとのことです。
上層階を設け、採光と通風のための
突き上げ屋根を設けた形は、
かつてこの地方で盛んに行われていた
養蚕に使用された建築形式を
受け継いだものとなっているとのことです。

主屋は南向きに建てられ、
東側(向かって右)を土間、
西側を床上部としています。
土間の右側(建物の東端)には
2室からなる「蔵座敷」があります。
これは、もとは馬屋だった場所を
居室に改め、隠居部屋としたものです。

床上部は下手(土間寄り)の表側に「いどこ」、
奥側(北)に「居間」があり、
「居間」の東には土間に張り出す形で
「台所」が設けられています。
「台所」と土間の境に立つ大黒柱は
2階の屋根裏まで達する長大なものとなります。

「いどこ」「居間」の上手(西)は、
床高を一段高め、田の字形に4室を配しています。
室名は南東が「中座敷」、
南西が「奥座敷」、北東が「納戸」、
北西が「仏間」となっています。
「仏間」は藩の役人などの
来客があった場合、仏壇を隠して
床の間に変更できるように
工夫されているとのことです。
仏間の奥(北)には、
長六畳の茶室が設けられています。
ここはもとは箪笥置き場であったとのことです。

屋根を支える柱は高く棟まで通る棟持柱で、
これに梁を重ねて渡した間に見せ貫を通し
漆喰塗とした妻璧の構造は、優れた美観を呈しています。
この棟持柱は、同じく茅葺切妻造民家である
「大和棟」や「合掌造」にはみられない、
甲州地方の特色を遺憾なく発揮したものとなっています。




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【文化財】
以下の物件が「旧高野家住宅」として
重要文化財に指定されています。
旧高野家住宅 甘草屋敷
完成図

<主屋>
旧高野家住宅 甘草屋敷

<巽蔵>

<馬屋>

<東門>

<文庫蔵>
旧高野家住宅 甘草屋敷
小屋(手前)・文庫蔵(奥)

<小屋>
旧高野家 甘草屋敷
小屋

<宅地>
4932.07平方メートル
(敷地内の井戸、池、石橋、石垣を含む)

<附(つけたり)指定物件>
<地実棚>
旧高野家住宅 甘草屋敷
地実棚

<地実棚・説明>
旧高野家住宅 甘草屋敷
地実棚・説明

<裏門>
旧高野家住宅 甘草屋敷
裏門

<屋敷門>
旧高野家住宅 甘草屋敷
屋敷門

【一般公開】
昭和28年(1953年)3月31日に、
主屋が国の重要文化財の指定を受けましたが、
所有者が実際に居住しており
長らく一般公開はされなかったのでした。
平成5年(1993年)、所有者より
当時の塩山市に寄附され、
同市により住宅とその周囲が整備され
一般公開されたのでした。
その後平成8年(1996年)7月9日には
敷地内の付属建物5棟
(巽蔵、馬屋、東門、文庫蔵、小屋)ならびに
宅地が国の重要文化財に追加指定されました。
なお、日本の民家建築が
多数重要文化財に指定されるようになるのは
1960年代以降のことで、
1953年指定の当住宅は、
指定年度の古いものの1つとなります。
旧高野家 甘草屋敷 宅地

蔵などの付属建物は、
居室等に改造されていましたが、
塩山市への寄附後、旧状に復元されました。
高野家住宅は、主屋とともに、
付属建物、庭園、石垣などを含む
屋敷構えが良好に保存され、
文化遺産としての価値が高いとのことです。
現在、幕末の屋敷構えをそのまま修景した
「薬草の花咲く歴史の公園」として、
保存修理が完了した建造物とともに
一般公開を実施中です。

【えんざん桃源郷「ひな飾りと桃の花まつり」】
毎年2月11日~4月18日の間、
えんざん桃源郷「ひな飾りと桃の花まつり」が
甘草屋敷を中心に開催されます。
享保雛や古今雛、御所人形に五楽人、
ひなの吊るし飾りなどが飾られます。
貴重で素晴らしい雛飾りの数々は
見ものとなっています。
えんざん桃源郷「ひな飾りと桃の花まつり」

【甘草(カンゾウ)について】
甘草は甘味料や調味用として繁用される一方、
薬用としても広く用いられ、
重要な生薬でもあります。
甘草には、Glycyrrhza uralensis
(ウラルカンゾウ 生薬名・東北甘草)
、G.glabra(西北甘草)、
G.inflata(新疆甘草)などがあり、
日本では年間約10,000トンが
中国・旧ソ連・アフガニスタンなどから
輪人されています。
このうち食品の甘味料などに3分の2が使われ、
残り3分の1が薬用にされますが、
成分は根およぴストロン(根茎)に含まれる
グリチルリチンです。

食品としては、醤油・味噌・せんべい・チョコレート・
塩辛など、多種多様の品目に使われています。
薬用では、主に漢方薬の原料として、
厚生省指定漢方処方
210品目中150処方(71%)に配合され、
最も多用されている原料です。




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甘草屋敷の甘草は
ウラルカンゾウです。
高野家ではこの甘草栽培により、
明治5年(1872年)まで
免税の特典を受けました。
ここに残る甘草は、
「甲州甘草文書」の記述によりますと
少なくとも340年を経ていることになり、
日本で最も古い由緒を持つものとして
知られています。
旧高野家 甘草屋敷 
甘草について

樋口一葉の資料】
樋口一葉の両親が塩山出身とのことです。
また樋口一葉の作品の中にも
しばしば塩山エリアの地名や
風情が描かれているとのことです。
中でも代表作品の1つである「ゆく雲」では、
主人公の故郷として
父母の出身地である
中萩原の地が登場する、とのことです。
旧高野家住宅 甘草屋敷
樋口一葉
※訪れたときは「巽蔵」内に展示されていました。

【所在地】
〒404-0042 山梨県甲州市塩山上於曽1651−15

【電話】
0553 −33 − 5910

【観覧時間】
午前9時から午後4時30分まで
令和4年1月29日(土)から当面の間
午前10時から午後4時までの観覧となります。

【休館日】
火曜日
年末年始(12月28日~1月4日)
※祝日の関係で臨時休館する日があるとのことです。

【観覧料】
()は団体で20名以上
子供は6歳以上20歳未満、
および20歳以上の学生

大人:310円(200円)
子供:200円(100円)

【交通アクセス】
JR「塩山」駅北口より徒歩1分程度。
JR中央本線塩山駅北口の正面にあり、
交通の便は至って便利です。
武田信玄像>
武田信玄公の像
JR中央本線「塩山」駅北口
※「塩山」駅北口にあります。

【駐車場】
隣接した駐車場は台数に限りがあります。
大型バスも駐車できる駐車場は
700m離れた線路沿いにあります。
その線路沿いの駐車場から
甘草屋敷までは徒歩5分弱です。
※駐車場案内の地図あり。

<周辺情報>
甲州市塩山観光案内図
向嶽寺
菅田天神社
恵林寺
放光寺
塩山温泉など

滞在所要時間:30分~

恵林寺~1330年に開山された武田氏の菩提寺である臨済宗の古刹、庭園は国の名勝に指定されています。

黄金の武田信玄像~恵林寺に隣接しているお土産・食事処「信玄館」にあります。

武田信玄~風林火山の軍旗のもとに、戦に明け暮れ駆け抜けていった53年の人生でした。

武田信春公館~甲斐源氏第12代及び武田氏9代当主であった武田信春の居館跡です。

栗原氏館跡(甲斐国)~甲斐守護・武田信成の子である武続が始祖となる栗原氏の館跡です。

甲斐・琵琶城~武田氏第13代当主武田信満の庶子である倉科信広が築城したとのことです。

中牧城(浄古寺城)~武田信玄時代に築城、後に徳川家康家臣が城代、遺構規模が多い城跡。

小田野城(小田野山城)(甲斐国)~甲斐源氏である安田義定が築城したと伝わる山梨県内最古の部類の山城。

御坂城(甲斐)~標高1500mの峠に小田原北条氏が築城、徳川方の鳥居元忠らが黒駒合戦で勝利しました。

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