青天を衝け

尾高惇忠生家及び尾高惇忠について

尾高惇忠生家



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尾高惇忠生家】

尾高惇忠は渋沢栄一のいとこであり、学問の師でもありました。
明治維新後は富岡製糸場の初代場長を務めました。

尾高惇忠生家は江戸時代後期に
尾高惇忠の曽祖父である磯五郎が
建てたものと伝わっています。
当時は「油屋」の屋号で呼ばれ、
この地方の商家建物の趣を残す貴重な建物であります。
この家で渋沢栄一の最初の妻となったちよ、
渋沢栄一の養子となった平九郎、
尾高惇忠の娘で
富岡製紙工場伝習工女第一号となるゆうが
育ちました。
また若き日の尾高惇忠や渋沢栄一らが
時の尊皇攘夷思想に共鳴し、
高崎城乗っ取りの謀議をなしたのもこの家の二階と伝わります。
主屋裏のレンガ倉庫には「上敷免製」の刻印を残す
レンガが使われており、
日本煉瓦製造株式会社ができた
明治21年(1888年)以降の
建築であることがわかります。
平成22年(2010年)2月10日に
深谷市指定文化財(史跡)に指定されました。

【交通アクセス】
【電車】
JR「深谷」駅からタクシーで約15分程度

【車】
◆関越自動車道:
花園ICから約40分
本庄児玉ICから約30分

◆北関東自動車道:
太田藪塚ICから約40分

【所在地】
〒366-0002 埼玉県深谷市下手計236

【見学時間】
午前9時~午後5時

【休館日】
年末年始(12月29日~1月3日)

【入館料】
無料

【駐車場】
有り (大型バス可)

【収容人数】 
30名程度

【解説員】
有り
(予約については、
「団体予約の受付方法の変更について」をご確認ください)
【問合せ】
048-587-1100
渋沢栄一記念館




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<見学について>
令和2年4月から、
団体で見学をする場合は下記の「見学時間割表」のとおり、
30分間隔で解説員が案内してくださることになりました。
ご予約いただきますと約20分の解説がつくとのことです。

詳細は下記よりどうぞ⇓⇓
団体予約の受付方法の変更について

<案内図>
尾高惇忠生家 案内図

<間取り図>
尾高惇忠生家 間取図

<1階部分>
尾高惇忠生家 1階

<煉瓦造土蔵>
尾高惇忠生家 煉瓦造土蔵

<煉瓦造土蔵と鬼瓦>
煉瓦造土蔵と鬼瓦

<鬼瓦の拡大写真>
「入り山二」の印は
当時の菜種油などの商いをしていた尾高家の
商標にあたるものと考えられています。
煉瓦造土蔵の鬼瓦、拡大

【尾高惇忠】

尾高 惇忠(おだか あつただ(じゅんちゅう)、
文政13年7月27日(1830年9月13日)⇒
明治34年(1901年)1月2日)は、
日本の実業家。
富岡製糸場の初代場長、
第一国立銀行仙台支店支配人などを務めました。
通称は新五郎、号は藍香。

<尾高惇忠の写真>
尾高惇忠の写真

【人物紹介】
武蔵国榛沢郡下手計村(現・埼玉県深谷市下手計)に
名主の尾高勝五郎保孝の子として生まれました。
尾高惇忠は幼少時から学問に秀でており、
自宅に私塾の尾高塾を開き、
17歳から幕末の頃まで近郷の子弟たちを集めて
漢籍などの学問を教え始めました。
尾高惇忠に教えを受けた一人が渋沢栄一です。
尾高惇忠の母・やへが
渋沢栄一の父である渋沢元助の姉であり、
尾高惇忠と渋沢栄一は従兄弟でもありました。
また、のちに尾高惇忠の妹である千代は
渋沢栄一の最初の妻となり、
尾高惇忠と千代の弟である平九郎は
渋沢栄一夫婦の養子となりました。

【高崎城乗っ取りの謀議】
幕末に尊皇攘夷思想の機運が高まる中、
文久3年(1863年)に
渋沢栄一らと共に、
高崎城を襲撃して武器を奪い、
横浜外人居留地を焼き討ちにしたのち
長州と連携して幕府を倒すという計画を立てます。
ですが、しかし、
弟の尾高長七郎の説得により中止しました。

【飯能戦争】
慶応4年(1868年)の戊辰戦争の際には、
初め彰義隊に参加しましたが脱退し、
渋沢成一郎(尾高惇忠や渋沢栄一の従兄弟)らと共に
振武隊を結成して高麗郡飯能(現・埼玉県飯能市)の
能仁寺に陣営を築き、
同年5月23日に官軍と交戦しましたが敗退します。
この戦いで平九郎は自決し、
尾高惇忠と渋沢成一郎はさらに箱館まで転戦していきました。

【明治維新以後】
明治維新後、大蔵省官僚となった渋沢栄一の縁で、
官営富岡製糸場の経営に尽力しました。
長女の勇(ゆう)は志願して、
その最初の工女になりました。
また、秋蚕の飼育法の研究や普及にも尽力しました。
明治9年(1876年)末に製糸場を離れ、
翌年の明治10年(1877年)から
第一国立銀行の盛岡支店、
及び仙台支店の支配人などを務めました。

その他、製藍法の改良・普及にも尽力し、
「蚕桑長策」(1889年)、
「藍作指要「(1890年)を著しています。

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