青天を衝け

渋沢栄一生地にある旧渋沢邸「中の家(なかんち)」

渋沢栄一の写真




【旧渋沢邸「中の家」(なかんち)】

旧渋沢邸「中の家(なかんち)」は、
渋沢栄一生誕地に建ち、
渋沢栄一の妹夫妻(てい(貞)と市郎(才三郎))によって
明治28年に上棟された建物です。

渋沢栄一が多忙な中で帰郷した際に頻繁に立ち寄り、
寝泊まりした場所です。

渋沢家の住宅として使われていましたが、
昭和58年より
「学校法人青淵塾渋沢国際学園」の
学校施設として使用され、
多くの外国人留学生が学びました。
平成12年の同法人解散に伴い深谷市に帰属しました。
県指定旧跡「渋沢栄一生地」、市指定史跡。

【「中の家」の歴史】
この屋敷は渋沢家の住宅などとして
使われてきたものです。
通称「中の家(なかんち)」と呼ばれています。
渋沢一族はこの地の開拓者のひとつとされています。
分家して数々の家を起こしてきました。
「中の家」もそのひとつです。
この呼び名は各渋沢家の家の
位置関係によるものです。
代々の当主は市郎右衛門を名乗っていました。
古くは新七郎(安邦)の名まで知られています。
中の家は代々農家を営んできました。
ですが「名字帯刀」を許されており、
市郎右衛門(元助)<渋沢栄一の父>のときには、
養蚕や藍玉作りとその販売、
雑貨屋・質屋業も営んでおり、
大変裕福でした。
現在残る主屋は明治28年(1895年)、
市郎より上棟されたものです。
梁間5間、桁行9間の切妻造の2階建て、
西側に3間×3間の平屋部分などを持ちます。
また主屋を囲むように副屋、土蔵、東門がたち、
当時の北武蔵における養蚕農家屋敷の形態を
よくとどめているといえます。

渋沢栄一は、多忙の合間を縫って、年に数回は
この家に帰郷していました。
東京飛鳥山にあった私邸は、
空襲によって焼失したため、この家は
現在残る渋沢栄一が
親しく立ち寄った数少ない場所と言えます。

また中の家は元治、治太郎達の人材を輩出しました。
昭和60年からは「学校法人青淵塾渋沢国際学園」の
学校施設として使用され
、多くの外国人留学生が学びました。
平成12年、同法人の解散によって
深谷市に帰属されました。
昭和26年埼玉県指定史跡に指定されました、
昭和58年埼玉県指定旧跡
「渋沢栄一」に指定替えされました。
平成22年、主屋を中心とした範囲が
深谷市指定史跡に指定されました。

副屋の前には渋沢家歴代の墓地があります。
屋敷外の北東には渋沢栄一の号である
「青淵」の由来となった
池の跡に建つ「青淵由来の碑」があります。
また南方200m程には
この地の血洗島の鎮守である諏訪神社があります。





【血洗島(ちあらいじま)の由来】
江戸時代の文献には「血洗島」という
村の名前が確認されていますが、
いつからこの場所がこのような名称で
呼ばれるようになったのかは
わかっていないそうです。
「〇〇島」という名称は深谷市内で多く見られます。
利根川の氾濫によって築かれた自然堤防の上や
島の様に周囲よりわずかに高い土地の名前に
名づけられている事が多いそうです。

「血洗」の由来としては、
荒れ地を表す「地荒れ」や
常に川の水に洗われる土地を表す「地洗れ」、
更にアイヌ語で「下」「終」「端」を表す
「ケシ」が下の外れの島をあらわす「ケセン」に
変化したともいわれています。
そして更にこれに漢字の
「血洗」が当てられたとされる説があります。

また「血洗」の文字の由来としては、
その昔、日光の神と赤城の神が戦った時、
腕を斬られた赤城の神が
その傷を洗った場所であるという説、
源義家、或いはその家臣が
合戦で腕を斬り落とされて、
その傷を洗った場所であるという
伝承などが残されています。
今のところははっきりとしたことはわかってはいません。

【青淵(せいえん)】
渋沢栄一が用いた雅号です。
雅号とは本名以外で書画・俳諧・茶道などの場で
用いる名前の事です。
「中の家(なかんち)」の裏にあった池の美しさに
因んで「青淵」の名が生まれたと言われています。
現在では池の水は枯れてしまい、
当時の面影はありませんが、
其のほとりには「青淵由来之跡」の記念碑が建立され、
そのことを語り伝えています。

<正門>
渋沢栄一「中の家」正門

<土蔵Ⅰ・土蔵Ⅱ>
土蔵Ⅰは内部には落とし板が使用されており、
米蔵等だったようです。
土蔵Ⅱは大谷石を積んだ半地下室を持ち、
藍玉の製造・貯蔵場として使用されていたと伝えられています。
渋沢栄一「中の家」土蔵Ⅰ・Ⅱ

これらの土蔵以外にも
土蔵Ⅲ(道具蔵)と
土蔵Ⅳ(1階が奥座敷、2階を宝蔵)があります。

<主屋>
渋沢栄一「中の家」主屋

<主屋の内部(1階)>
渋沢栄一「中の家」主屋の内部

<若き日の渋沢栄一像>
渋沢栄一「中の家」若き日の渋沢栄一像





【所在地】
埼玉県深谷市血洗島247番地1
(JR谷駅からタクシーで約20分)
<場所>
パンフレットより。
旧渋沢邸「中の家」案内図

【開館時間】
午前9時~午後5時(入場は午後4時30分まで)
【休館日】
年末年始(12月29日~1月3日)
【入館料】
無料
【問い合わせ先】
深谷市教育印鑑 渋沢栄一記念館
【電話】
048-587-1100
【駐車場】
広い駐車場有り (大型バス可)
【解説員】
有り
(予約については下記をご確認ください)

<見学について>
令和2年4月から、
団体で見学をする場合は下記の「見学時間割表」のとおり、
30分間隔で解説員が案内してくださることになりました。
ご予約いただきますと約20分の解説がつくとのことです。

詳細は下記よりどうぞ⇓⇓
団体予約の受付方法の変更について

渋沢栄一記念館について

尾高惇忠生家及び尾高惇忠について

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