城跡

笠間城~鎌倉時代に笠間氏が築城し18代治めた後、江戸時代は笠間藩庁が置かれました。

笠間城跡



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笠間城

笠間城(かさまじょう)は、
茨城県笠間市の佐白山にあった日本の城です。
江戸時代には、笠間藩の藩庁が置かれました。
笠間城 説明
【別名】
桂城

【城郭構造】
山城

【天守構造】
2重

【築城主】
笠間時朝

【築城年】
承久元年(1219年)

【主な改修者】
蒲生郷成

【主な城主】
笠間氏、宇都宮氏
蒲生郷成、牧野氏

【廃城年】
明治4年(1868年)

【遺構】
空堀、石垣、土塁、井戸、移築櫓・門

【僧兵たちの勢力争い】
鎌倉時代、この地域は真言宗の正福寺と
徳蔵寺の勢力争いが盛んであり、
両寺院の僧兵たちが争っていました。
劣勢であった正福寺勢が
下野守護宇都宮頼綱に援軍を求めたところ、
宇都宮頼綱は甥の
笠間時朝(塩谷時朝)を派兵しました。
笠間時朝は元久2年(1205年)、
徳蔵寺の僧兵と戦うための拠点として
佐白山山麓に麓城を築城し、
徳蔵寺を討ちました。
ところが麓城の規模があまりにも
大きかったため、味方のはずの
正福寺の僧兵までも
笠間時朝に敵対したのでした。




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【築城】
笠間時朝は結局正福寺と
徳蔵寺を滅ぼした後、
承久元年(1219)年、堅固な城を
佐白頂上に築城しました。
これが笠間城の起こりであるとのことです。
その後笠間氏は18代の長きにわたって
笠間を治め、
南北朝時代5代笠間泰朝の時には、
南朝に属して勤王の兵を挙げ、
北朝の佐竹義春の攻撃を受けましたが、
籠城戦の末これを撃退しています。

【笠間氏の滅亡】
天正18年(1590年)の
小田原征伐の際、18代笠間綱家
宗家の宇都宮氏に逆らい、
同戦役後宇都宮氏に攻められ滅亡しました。
なお通説では笠間氏が北条氏に組したために
宇都宮氏に攻められたとされていますが、
笠間綱家が宇都宮氏に従って
小田原征伐に参加した記録が存在するため、
別の理由であると考えられています。
その後、一時宇都宮氏が支配した後
蒲生郷成が入城し、
この蒲生郷成の手により
織豊系城郭に改修されたと
考えられています。
笠間城跡

関ヶ原の戦い後】
慶長5年(1600年)、
関ヶ原の戦い後には松井松平家が入り、そ
の後小笠原氏が入りましたが改易されて、
ついで戸田松平家が入り、
そして永井氏が入りました。
その後、外様大名の浅野氏が2代、
井上氏が2代、本庄氏が2代、
再び井上氏が3代入った後、
永享4年(1747年)、
牧野貞通入城以後廃藩まで
牧野氏8代が居城しました。




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【廃城から現代】
明治3年(1871年)の廃藩置県、
明治6年(1873年)の廃城令により
廃城処分とされ、建物は取り壊されました。
2017年4月6日、
続日本100名城(112番)に選定されました。

【構造】
佐白山山頂の天守曲輪を中心に、
東から北に掛けての山腹に郭を重ねています。
天守曲輪および大手道には、
関東の城郭には珍しく、
石垣が多用されていました。
天守曲輪には天守台が設けられ、
2重の天守が建てられたとのことです。

主郭部は、天守曲輪から本丸、
二の丸、大手門に掛けての郭群により
構成されていましたが、
北方の谷に面した尾根上にも、
横堀を伴う複数の郭が存在していました。
また、本丸南方にも横堀が存在し、
東端は竪堀となって
山麓に向けて下っていました。
居館は、佐白山の北東山麓に
置かれていたとのことです。
笠間城 縄張り図

【天守】
天守は2重で、
「常盤国笠間之城絵図」(正保城絵図)では
天守曲輪にその姿が描かれていますが、
具体的な外観や構造は
わかってはいません。
笠間城の明治廃城後、
解体を受けた天守の用材は
佐志能神社(笠間城天守台に所在)
の拝殿に使用されました。
その後の調査によって、
天守は移築現存する
八幡台櫓とほぼ同一の構造
であったと推測されているとのことです。

【遺構】
山上の遺構は良く旧態を留めており、
一部に後世の手が加えられてはいますが、
石垣、堀などが残っています。
山麓居館部の保存状態は
必ずしも良くはありませんが、
現在佐白山麓公園として
整備され公開されています。

建造物の遺構としては、
本丸八幡台上にあった
八幡台櫓が真浄寺に移築され現存し、
「笠間城櫓」として
茨城県の文化財に指定されています。
また、薬医門形式の城門2棟が、
市内の民家に移築され
現存しているとのことです。

【行くなら冬季の乾燥した時】
上記で「整備」されていると記述しましたが、
冬以外は草木が生い茂り、
訪れた夏季は密林状態でした。
駐車場は停めることはできますが、
城跡は草木で覆われています。
長袖長ズボン、帽子、滑りにくい靴、
虫よけ、蜂対策を万全の上、
登城されるとよいと思います。
もちろん、水分・塩分補給も忘れずに。
熊情報は2023年7月の時点では
出ていませんでした。
あと天気は晴れていましたが、
前日が昼過ぎまで
雨だったせいかかなり湿気が高く、
全体的にかなりじめっとしていました。
前日に訪れた唐沢山城のほうが
雨天でしたが、変な表現ですが
「カラっと」していました。




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【所在地】
〒309-1611 茨城県笠間市笠間3613

【交通アクセス】
(電車)
JR水戸線「笠間」駅から徒歩1時間
(車)
北関東自動車「友部」ICから20分

【駐車場】
無料(30台)

【周辺の史跡】
大黒岩
大黒岩(笠間城)

笠間市の公式サイトです。
徳蔵寺の僧兵と正福寺の僧兵たちの
戦いの様子が語り継がれています。
大黒岩のいわれ

大石邸跡
大石内蔵助の祖父宅)
笠間城跡と大石邸

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滞在所要時間:10分~
(駐車場及び城跡徒歩エリア入口付近)

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