平安時代

藤原秀郷公墳墓と藤原秀郷~関東武士の憧れであり平将門の乱を平定した人物です。

藤原秀郷公墳墓



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藤原秀郷公墳墓】

藤原秀郷公は、
天慶の乱(939年~940年)にて
平将門を討った功績により
従四位下に叙せられ、
下野、武蔵(現 東京都・埼玉県)
の国守に任じられました。
正暦2年(991年)に没し、
ここに埋葬されたと伝えられています。
藤原秀郷公は東明寺に
葬られたといわれていますが、
廃寺となり英宝2年(1705年)、
地元有志が田原八幡を建てました。
東明寺古墳や東明が丘とも呼ばれています。
藤原秀郷公墳墓 説明

【所在地】
〒327-0314栃木県佐野市新吉水町254

【駐車スペース】
普通車1台分位のスペースあり。
墳墓への道が大変狭く、
付近は住宅地なので、
車で行かれる際にはお気を付けください。

【交通アクセス】
東武佐野線「吉水駅」から徒歩約10分
北関東自動車道「佐野田沼IC」から約5分

【藤原秀郷】

藤原 秀郷(ふじわら の ひでさと)は、
平安時代中期の貴族、豪族、武将。
下野大掾・藤原村雄の子。
別名は、俵(田原)藤太とも称しました。

室町時代に「俵藤太絵巻」が完成し、
近江三上山を八巻きした
大百足退治の伝説で有名となっています。
滋賀県大津市の瀬田唐橋に銅像があります。
もとは下野掾でしたが、
平将門追討の功により従四位下に昇り、
下野・武蔵二ヶ国の国司と
鎮守府将軍に叙せられ、勢力を拡大しました。
源氏・平氏と並ぶ武家の棟梁として
多くの家系を輩出し、
近代に正二位を追贈されています。




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【出自について】
「尊卑分脈」などの系図から、
一般に藤原北家魚名流とされています。
魚名の子・伊勢守・藤原藤成が
下野史生・鳥取業俊の娘との間に
もうけたのが
下野権守(少掾とも)・藤原豊沢であり、
豊沢が下野史生・鳥取豊後の
娘との間にもうけたのが
下野大掾・藤原村雄であり、
村雄と下野掾・鹿島直行の娘との間に
生まれたとされています。

けれども下野国史生郷の土豪・鳥取氏が
藤原氏に仕えて
その系譜を冒したという説もあります。
更には古代から在庁官人を務めた
藤原秀郷の母方の姓を
名乗ったとする説もありますが
定かではないとのことです。
この系譜仮冒説では、
豊沢の父とされる藤成の系譜上での
位置づけが不安定であること、
魚名から藤原秀郷までの
わずか五代で二百年が
経過していることが
不審とされているとのことです。
藤原秀郷公墳墓 入口

【名乗りとそれにまつわる伝説】
俵 藤太(田原 藤太、
読みは「たわら の とうだ」、
「たわら の とうた」、藤太は
藤原氏の長、太郎の意味)
という名乗りの初出は
「今昔物語集』巻25
「平維茂 藤原諸任を罰つ語 第五」であり、
藤原秀郷の同時代史料に
田原藤太の名乗りは
見つかってはいないとのことです。
由来には、相模国淘綾郡田原荘(秦野市)を
名字の地としていたことによるとする説、
幼時に山城国近郊の田原に
住んでいた伝説に求める説、
近江国栗太郡田原郷に出自した
伝説に求める説など
複数あるとのことです。

【生涯について】
生年は不詳とされています。
「田原族譜」によりますと
寛平3年(891年)とされています。
いずれにしましても、
平将門討伐のときには
かなりの高齢だったといわれています。

藤原秀郷は下野国の在庁官人として
勢力を保持していました。
けれども延喜16年(916年)、
隣国上野国衙への反対闘争に
加担連座し、一族17名(もしくは18名)
とともに流罪とされました。
しかし王臣子孫であり、
かつ藤原秀郷の武勇が
流罪の執行を不可能としたのか
定かではありませんが、
服命した様子は
見受けられないとのことです。
が、その2年後の
延長7年(929年)、
乱行の廉で下野国衙より
追討官符を出されています。
唐沢山(現在の佐野市)に
城を築いたとされています。

【天慶の乱】
天慶2年(939年)、
平将門が兵を挙げて
関東8か国を征圧すると、
甥(姉妹の子)である
平貞盛・藤原為憲と連合し、
翌年の天慶3年(940年)2月、
平将門の本拠地である
下総国猿島郡を襲い乱を平定しました。
この時、藤原秀郷は
宇都宮大明神(現・宇都宮二荒山神社)で
授かった霊剣をもって
平将門を討ったとの伝承があるとのことです。
また、この時に藤原秀郷が着用したとの
伝承がある兜「三十八間星兜」
(国の重要美術品に認定)が
現在宇都宮二荒山神社に
伝わっているとのことです。

複数の歴史学者は、平定直前に
下野掾兼押領使に任ぜられたとの
見解を示しているとのことです。
この功により同年3月、従四位下に叙され、
11月に下野国(栃木県)の国司である
下野守に任じられました。
さらに武蔵国(東京都・神奈川県・埼玉県)
の国司である武蔵守、
および鎮守府将軍も兼任したとのことです。

平将門を討つという大功を挙げながらも、
それ以降は史料にほとんど名前が
見られなくなってしまいます。
没年は「田原族譜」によりますと
正暦2年9月25日(991年11月4日)に
101歳で亡くなったとされていますが、
「系図纂要」では天徳2年2月17日
(958年3月10日)に
亡くなったとされているとのことです。




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【後裔氏族】
藤原秀郷の子孫は、
中央において源高明に仕え、
官職を得るなどしたとのことです。
そしてその結果、鎮守府将軍として
奥州藤原氏に代表される
陸奥国に勢力を伸ばす一族や
関東中央部を支配する
武家諸氏が現れています。
また京都でも武門の名家として
重んじられた結果、
紀伊、近江、伊勢、信濃など
広範囲に分布したのでした。

唐沢山城~藤原秀郷の築城と伝わる「関東一の山城」と称される関東七名城。

小山城~小山氏の始祖である小山政光が平安時代に築城、下野国最大の武士団を率いていました。

平将門~困っている人を放っておけない面倒見の良い大将は東国に新国家を創ろうとした。

藤岡城~平将門が弟に築かせ、藤姓足利氏の始祖・足利成行が再興したとのことです。

赤見城~藤姓足利氏である足利俊綱が平安時代末期に築城、戦国期は赤見氏の城で400年の歴史があります。

館林城~戦国時代は北条氏が支配、江戸時代は守りの城沼に浮く「将軍の城」となりました。

源俊賢~一条朝の四納言の一人、父の源高明が政変で失脚するもバランス感覚に優れ権大納言まで昇進します。

源明子(源高明の娘)~藤原道長の妾妻で源俊賢の異母妹、明子の家系はやがて五摂家に繋がっていくのです。

多功城~宇都宮氏の一門である多功氏の居城で宇都宮城の南方防衛でした。

上三川城~多功城と共に宇都宮城の南方の防衛の支城で現在は城址公園です。

真岡城~宇都宮氏の家臣であった芳賀氏の居城、江戸時代には陣屋がありました。

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益子古城と益子城~宇都宮氏の家臣である 益子氏の居城でした。

茂木城(桔梗城)~宇都宮一族の茂木氏の居城で現在は綺麗に整備されています。

笠間城~鎌倉時代に笠間氏が築城し18代治めた後、江戸時代は笠間藩庁が置かれました。

真壁城~大掾氏の一族である真壁氏が支配、江戸時代に浅野長政が真壁藩5万石を与えられます。

太平寺(那須烏山市)~創建約1200年の天台宗の古刹で蛇姫様こと於志賀姫の墓があります。

烏山城~下那須氏が築城した北関東有数の巨大城郭で国の史跡、蛇姫伝説があります。

龍門の滝~大蛇伝説に相応しい壮観な滝で、列車と大滝が一緒に撮影できる貴重なスポットです。

水戸城~馬場氏が平安時代に築城し、江戸氏、佐竹氏が居城、その後は御三家・水戸徳川家の居城になりました。

武田氏館と湫尾神社~ひたちなか市武田は甲斐武田氏発祥の地でした。

伊佐城~伊達氏の祖とされる一族の伊佐氏が築城し、南北朝時代には南朝側について戦いました。

下館城~藤原秀郷が築いた三館の下館との伝承あり、江戸時代は下館藩でした。

小栗城~坂東平氏の流れをくむ常陸小栗氏が築城、室町期の関東地方の激動の渦にのまれていきました。

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