史跡・城跡

善栄寺(小田原市)~北条氏康夫人・木曾義仲・巴御前・二宮尊徳のお墓があります。

善栄寺 木曾義仲・巴御前墓



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【善栄寺】

如意山善栄寺と称します。
現在は曹洞宗ですが、
創建の初めは律宗でした。

巴御前が開基】
建保3年(1215年)、
巴御前木曽義仲
和田義盛の菩提を弔うために
善法真栄上人を招じて
開山したものと伝えられています。

木曾義仲と巴御前の墓>
木曾義仲と巴御前の墓

【南北朝時代】
時代が南北朝の頃、延元3年(1336年)、
鎌倉円覚寺第十世東明恵日禅師が
足柄の地に隠棲のとき再建して
臨済宗に改め、一時大いに繁栄しましたが、
中世の末に酒匂川の幾度も氾濫し、
寺地が流失し、寺院も荒廃してしまいました。

【瑞渓院が中興開基】
戦国時代、
小田原北条氏が関東の覇者となり、
小田原3代北条氏康の夫人である
瑞渓院(ずいけいいん)が
巴御前開基の寺ということで
私財を投じて再興し、
透源大通禅師を招請して、
天文23年(1554年)に
律宗だった宗派を
現在の曹洞宗に改めました。
そのため善栄寺は、
瑞渓院を中興開基としています。
名僧悦叟宗忻和尚(透源大通禅師)に
請うて再興し堂宇を完成させました。
瑞渓院は、人として
賢婦のほまれ高かったとのことです。

北条氏康夫人(瑞渓院)の墓>
北条氏康夫人(瑞渓院)の墓

二宮尊徳とその一族】
二宮尊徳(にのみや たかのり)と
一族の菩提寺として知られています。
この栢山の里は二宮尊徳の生誕地であり、
一族父母兄弟みな
当時の境内墓地に眠っており、
二宮尊徳の墓もあります。
寺には二宮尊徳の多くの遺品と
逸話とを伝えているとのことです。

<二宮尊徳とその一族の墓>
二宮尊徳とその一族の墓

<二宮尊徳先生の墓の説明>
二宮尊徳先生の墓の説明

【お墓】
本堂前には、巴御前と木曽義仲の五輪塔が、
墓地には、瑞渓院の墓と
栢山で生まれた江戸時代の農政家である
二宮尊徳とその一族の墓があります。 

【交通アクセス】
小田急小田原線「栢山」駅 から徒歩7分程度。
小田急小田原線「富水」駅 から徒歩12分程度。
※いずれも「各停」のみ停車。




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【駐車場】
参拝者用の駐車場があります。

【トイレ】
あります。

【所在地】
〒250-0852 神奈川県小田原市栢山868

和田義盛と巴御前】

「源平盛衰記」では木曾義仲滅亡後、
木曽義仲の愛妾であった女武者の
巴御前が鎌倉へ下り、
和田義盛があのような剛の者に
子を産ませたいと源頼朝に申し出て、
巴御前を娶ったとあります。
更に2人の間には朝比奈義秀が
生まれたとされています。
けれども「吾妻鏡」の記録では
木曽義仲滅亡時に朝比奈義秀は
すでに9歳になっており、
巴御前が朝比奈義秀の母というのは
年齢的にありえず、
物語上の創作と見られています。
また、和田義盛が巴御前を
妻としたとするのも
「源平盛衰記」のみで、
「吾妻鏡」や「平家物語」には
記述が見られません。
和田義盛は、侍別当として、
屋敷に罪人を預かる牢屋を
備えていたとされており、
巴御前を三浦の自館に預かっていた
可能性が考えられるとのことです。

そして善栄寺の由来で
木曽義仲と和田義盛の菩提を弔うために
建立したとあるので、
朝比奈義秀を産んだか否かは別として
本当に妻になったのかもしれません。
もしかしたら元服前だった
朝比奈義秀の面倒も
見ていたかもしれませんね。
それがいつしか朝比奈義秀を
産んだことになったかもしれません。
なので、全くの創作とも言い切れないなと
思います。
巴御前のその後の伝承では、
和田合戦で和田義盛が討死した後は、
越中国礪波郡福光の石黒氏の元に身を寄せ、
出家して91歳で生涯を
終えたと伝えられています。

善栄寺 本堂

【瑞渓院】

瑞渓院(ずいけいいん)または
瑞渓院殿(ずいけいいんでん、
生年不詳 – 天正18年6月12日
(1590年7月13日))は、
戦国時代の女性で、
相模国及び伊豆国の戦国大名である
北条氏康の正室です。
瑞渓院は法名で、実名は不詳です。
北条氏康とは、はとこ同士です。
父は駿河国守護今川氏親で母は寿桂尼です。
兄弟に今川氏輝、今川義元、今川彦五郎がいます。
異母兄に玄広恵探。
子に男子は、
夭折した長男新九郎(氏親、天用院殿)、
次男で嫡子の北条氏政
三男の北条氏照
四男の北条氏邦
五男の北条氏規
女子では今川氏真室の早川殿
足利義氏室の浄光院殿の母とされています。
なお、氏照、氏邦、早川殿の母に関しては
異説もあります。




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北条氏康との婚姻時期は不明ですが、
兄である今川氏輝の
小田原への訪問記録等により、
天文5年(1536年)以前の
天文4年(1535年)だと考えられています。
この後、小田原北条氏と
代替わりした今川義元との
河東一乱による断交があっても
実家には戻らず、
北条氏康正室及び嫡子生母として
小田原北条家にいました。
子宝に恵まれ、
しかもその弟たちは嫡男である
北条氏政を強く支え、
小田原北条氏を更なる
発展へ導いていきました。

北条氏康夫人の墓碑

天正18年(1590年)6月12日、
豊臣秀吉による小田原征伐の際に死去。
北条氏政継室の鳳翔院殿と
同日であることなどから、
自害の可能性が指摘されています。

【二宮尊徳】

二宮 尊徳(にのみや たかのり)は、
江戸時代後期の経世家、農政家、思想家でした。
自筆文書では金治郎(きんじろう)
と署名している例が多いですが、
一般には「金次郎」と表記されることが多いです。
また、諱の「尊徳」は正確には
「たかのり」と読むのですが、
「そんとく」という読みで定着しています。

経世済民を目指して報徳思想を唱え、
報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導しました。

<二宮金次郎の像>
二宮金次郎の像

相模国足柄上郡栢山村
(現在の神奈川県小田原市栢山(かやま))に、
百姓二宮利右衛門 の長男として生まれました。
母は曽我別所村・川久保太兵衛の娘・好(よし)。
二宮尊徳は、はじめは
堀之内村の中島弥三右衛門の娘・きの(キノ)
を妻としましたが、
生まれたばかりの長男が夭折し、
家風に合わぬという口実で
妻きのが離別離縁。
次いで20歳も年の離れた飯泉村の
岡田峯右衛門の娘・なみ(波子)を娶り、
賢夫人と称されました。
子息は、なみとの間に、
嫡男の尊行(弥太郎)、
長女ふみ(富田高慶室)がいます。
晩年は1843年、
幕府直轄領(天領)下総大生郷村の仕法を命じられ、
弘化元年(1844年)には
日光山領の仕法を命じられました。
その翌年、下野真岡の代官山内氏の属吏となって、
真岡に移住しました。
日光神領を回って
日光奉行の配下で仕法を施していましたが、
安政3年(1856年)、
下野国今市村
(現在の栃木県日光市)の
報徳役所にて病にて没しました。
享年は70歳でした。

巴御前~強弓の名手で荒馬乗りの美貌の女武者、常に木曾義仲の傍にいたが最期の時だけは叶わず。

木曾義仲(源義仲)河内源氏の一族で源頼朝とは従兄弟、美男子で信義と情を備えていたが武骨で公家文化には疎かった

和田義盛と和田合戦~三浦一族~鎌倉幕府創始の功臣だが北条義時に嵌められる

北条氏康~小田原北条3代目~相模の獅子 ・関東八州にその名を轟かした猛将は戦国随一の民政家。

今井城(今井砦)~木曾義仲家臣で巴御前とは兄弟である今井四郎兼平の居城という伝承があります。

北条氏政~小田原北条4代目~最大の領土を築くも、生きた時代と合わなかった慎重派で愛妻家で家族思い。

北条氏照~北条氏政の同母弟、文武両道で外交手腕に長けており、兄を補佐し盛衰を共にしました。

糸(早川殿)~政略結婚で今川氏真の正室になりましたが、最期まで添い遂げました。

今川氏真~お坊ちゃま育ちで蹴鞠の名手、家は失えど強かに生き抜き明治まで子孫を繋ぎました。

お田鶴の方(椿姫)~今川一族で祖母は寿桂尼、夫亡き後の城を守り緋威の甲冑を纏い家康と最期まで戦った烈女。

曾我城跡~曾我兄弟が育った曽我氏の館。北条氏康に滅ぼされたが嫡流は足利将軍や徳川家に仕え出世した。

徳音寺にある木曽(源)義仲公之墓と小枝御前・巴御前・樋口兼光・今井兼平の墓、義仲館と巴淵

今川義元~祝・生誕500年~足利一門の名門・海道一の弓取りと称された東海の覇者!

下館城~藤原秀郷が築いた三館の下館との伝承あり、江戸時代は下館藩でした。

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