城跡

高山城~小早川(本家)氏の居城で隠れた人気のある山城です。

高山城(安芸高山城)




【高山城】

高山城(たかやまじょう)は、
現在の広島県三原市本郷町にあった日本の城です。
城跡は国の史跡に指定されています。

【別名】
妻高山城、古高山城

【城郭構造】
山城

【標高(比高)】
190m( 184m )

【天守構造】
建造されず

【築城主】
小早川茂平

【築城年】
建永元年(1206年)
 
【主な城主】
小早川氏

【廃城年】
天文21年(1552年)

【遺構】
石垣、堀、土塁

【指定文化財】
国の史跡

【高山城の地形】
高山城は沼田川東岸の標高198mの山塊に築かれています。
高山城のある山は周囲に岩肌が露出する要害ですが、
山上は広く中央の谷間を挟んで
南北に尾根があり、
それぞれ北西から南東側へと伸びています。
上から見るとお菓子の「カヌレ」に
どことなく似ているような形の山です。

【高山城の構造】
高山城は馬場と呼ばれる谷間を挟んで
北と南に尾根があり、
北の尾根は北西から南東に向かって
北の丸、二の丸、本丸、扇の丸と続いています。
案内板によりますと、
南の尾根は北西から西の丸、太鼓丸、高野丸(権現丸)、
イワオ丸、西丸、出丸と続いています。
曲輪は1m前後の段で繋がっていて、
堀切や土塁などは余り使われてはいないようです。
石垣や石積は随所にありますが、
土留程度のものとのことです。

北の丸は北端から東西大きく三段程の曲輪があります。
中央の段が石積によってやや高くなっています。
東端南に虎口があり、
ここからの通路は土塁状のやや高い地形で、
二の丸に通じています。

二の丸は西端が南西側に向かって段となっていて、
東西に長い曲輪となっています。
ここから一段下がった曲輪を経て
本丸に至ります。
本丸はやや南北に長い地形で、
本丸の南東側に扇の丸があり、
西端が高く東へ段々と曲輪が付いています。

本丸と扇の丸との間に三尺道と呼ばれる道があり、
搦め手側から馬場へ繋がっています。
この通路に虎口があり、
扇の丸側には石積が良く残っています。

馬場を挟んで南の尾根には北西側から
西の丸、太鼓丸、高野丸(権現丸)、イワオ丸と続きます。
高野丸とイワオ丸の間の曲輪は
南側に明瞭な土塁が付いています。
イワオ丸から西丸を経て出丸へとなりますが、
この出丸が高山城内で最も異質な存在とのことです。
出丸は西側に高い土塁と
堀切を設けて遮断しており、
土塁の南端は石積、堀切は竪堀となっています。

こうした構造や遺構を見つけていく喜びが
隠れた人気となっている秘密かもしれません。





【登城道は2つ】
非常にわかりにくい、とのことです。
登城口は住宅街を登り詰めたところに
目印があるそうです。
登城道は一般コースと健脚コースの2つあるそうです。
健脚コースは岩場が多いのですが
比較的上りやすい、との評判があるようです。
一般コースは道が狭く、季節によっては
枯葉も多く滑りやすいので危険、とのことです。

高山城(安芸高山城)と民家

【駐車場】
あるようですがわかりにくい、とのことです。
わかりやすいのは
本郷生涯学習センターの無料駐車場(午前9時より)。
本郷駅北口の有料駐車場(午前9時前)。
いずれの駐車場からも
登城口までは歩いて10分位とのことです。

【イノシシにご注意!!】
地元の方や口コミによりますと、
イノシシ出没!!とのことなので十分にご注意ください。

【手入れはあまりされていない】
手入れがあまりされていないので、
登城の際には山登りの靴や
服装で装備されるのが望ましいとのことです。
トイレ情報もありません。

【高山城と土肥氏
土肥実平は、源頼朝の元で
平家討伐に功績を挙げ、
吉備三国(備前・備中・備後)の
惣追捕使(守護)に任ぜられました。

土肥実平の子である遠平は、
土肥郷の地名である
小早川氏を称しましたが、
承久の乱で戦功を挙げて
安芸国沼田荘を与えられました。

高山城は小早川氏の居城とし
て建永元年(1206年)、
遠平の孫である小早川茂平により築かれました。
その後、小早川氏は沼田小早川氏と
竹原小早川氏に分かれました。
高山城は沼田小早川氏(本家)の居城でした。    

【毛利氏から養子】
天文10年(1541年)、
竹原小早川家の当主であった小早川興景が
継嗣なく早世したため、
毛利元就の三男である
徳寿丸(小早川隆景)を養子に迎えます。
小早川隆景は天文13年(1544年)、
竹原小早川家の当主となります。

【小早川家の統合】
一方、沼田小早川家の当主であった
小早川繁平は若年のうえ病弱でした。
一説には失明していたとも言われています。
その為隠居に追い込まれ、
天文19年(1550年)、
小早川隆景が沼田小早川家をも継ぐこととなり、
両家は統合されたのでした。

小早川隆景は天文21年(1552年)、
対岸の新高山城に居城を移したため廃城となりました。

【小早川氏】

相模国を本拠地とする桓武平氏土肥氏の分枝で、
鎌倉時代初期、源頼朝に仕えた土肥実平の子である
小早川遠平が土肥郷の北部・小早川
(現在の神奈川県小田原市早川付近)によって
小早川の名字を称したのが始まりの一つとされています。

小早川遠平は平家討伐の恩賞として
平家家人沼田氏の旧領であった
安芸国沼田荘(ぬたのしょう、現在の広島県三原市本郷町付近)
の地頭職を拝領し、
これを譲られた養子であった景平
(清和源氏流平賀氏の平賀義信の子)が、
安芸国に移住しました。

建永元年(1206年)、
小早川景平は長男の小早川茂平に沼田本荘を与え、
次男の小早川季平には沼田新庄を与えました。
小早川茂平は承久の乱で戦功を挙げ、
安芸国の都宇荘(つうのしょう)
竹原荘(たけはらのしょう)
の地頭職を加えられたのでした。





【沼田小早川氏】
小早川氏嫡流の一族で、本家筋にあたります。
小早川茂平の三男であった小早川雅平が
沼田本荘などを与えられ、
高山城を本拠としたのが
始まりであるとされています。

元弘の乱では小早川雅平の子である
小早川朝平は鎌倉方として
六波羅探題に味方し付き従ったため、
建武政権によって沼田本荘を没収されてしまいます。
が、竹原小早川家の取り成しなどにより、
旧領を安堵(あんど)されています。
その後、宣平、貞平、春平の3代の間に芸予諸島に進出し、
小早川水軍の基礎を築き上げました。
その後煕平、敬平で一時代を築きましたが、
扶平 – 正平まではいずれも20代で
早世し衰退していきました。

【竹原小早川氏】
茂平の四男であった小早川政景が、
都宇・竹原荘、沼田荘梨子羽郷の一部を分与され、
木村城を本拠としたのが始まりとされています。
沼田小早川氏の分家筋となりますが、
元弘の乱以降は足利尊氏の下で戦い、
室町幕府成立に貢献したこともあり、
徐々に勢力を拡大し、
室町時代中期には
本家である沼田小早川家と拮抗するまでになりました。

【小早川隆景】
天文13年(1544年)、
毛利家出身の小早川興景夫人の従弟である
隆景(毛利元就の三男)が養子に迎えられました。

小早川秀秋
小早川隆景には実子がなかったため、
弟の毛利秀包を養子としていましたが、
後に廃嫡して別家を立てさせました。
これに伴い家督は、高台院の甥である羽柴秀俊が
小早川隆景の養子として継ぎ、小早川秀秋となりました。
小早川氏は大江氏流毛利氏から
豊臣氏流羽柴氏に移ったのでした。

【小早川秀秋で断絶】
慶長7年(1602年)に小早川秀秋は21歳で死去。
豊臣氏一門の小早川家は名実ともに断絶しました。
小早川の別家(大江姓)を立てた毛利秀包も、
西軍加担により久留米7万石を召し上げられ改易、
後に毛利氏に戻り、
長州藩の家老である吉敷毛利家として明治維新を迎えました。

【近代以降】
明治12年に、
小早川秀秋で断絶した系譜の後継として、
旧姻戚家の公爵毛利元徳の三男である三郎を
当主とした小早川家が再興されました。
三郎は早世し子がいなかったため、
その弟の四郎が養子となって跡を継ぎました。
華族に列して男爵の爵位を授けられたのでした。
その後、四郎の養子として
毛利元昭の次男・元治が跡を継ぐことになりました。

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