城跡

大宮城(塩谷町)~千葉常胤の子孫である大宮胤景が築城、その後は城主が変遷したと考えられています。

大宮城(塩谷町)



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【大宮城(塩谷町)】

大宮城(おおみやじょう)は、
栃木県塩谷郡塩谷町大字大宮に
存在した日本の城です。
14世紀前期頃築城、
慶長2年10月13日
(1597年11月22日)廃城。

【縄張形態】
山城

【標高(比高)】
236.1m(17.5m)

【築城主】
大宮胤景

【築城年】
南北朝時代

【廃城年】
慶長2年(1597年)

【主な城主】
大宮氏

【遺構】
曲輪、土塁、空堀

【遺構】
郭、土塁、空堀

【築城と役割】
大宮城は、南北朝時代の14世紀前期頃、
千葉常胤の孫である
大須賀嗣胤のさらに孫である
君島胤時の3男である
大宮胤景が、
大宮氏の創始とともに
宇都宮公綱(宇都宮第9代城主)により
宇都宮北部の守りとして大宮村に封じられ、
築城したと云われています
当初は、本家君島氏の居城である
船生城の東南の守りを
成す城として位置づけられていました。

【地理と構造】
大宮の地は、城の南側にあった
大宮城南遺跡を始めとして
古くから開けた場所で、
城は、西の山古墳群によって
形成された既に人工的に
整地されていた丘陵地帯の東側を
巧みに利用して築かれ、
一城別郭の構造を成しています。
大宮城(塩谷町)

【その後の大宮城主】
その後、大宮氏代々の
居城になったと考えられていますが、
その事跡はほとんど
伝わっていないとのことです。
ただ、大宮城主については、
亀田大蔵助、赤埴周防守などの
名前も見られるので、
ある時期からは
何らかの事由で大宮氏の
居城ではなくなり、
城主が変遷していったと
考えられています。
その後、天正13年(1585年)に
大規模な修築がおこなわれ
現在の縄張になったと
考えられています。




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【今宮祭祀録】
また、今宮祭祀録によりますと、
天正15年(1587年)2月に
「大宮の地再興、これにつき、
上の郷の衆在城」とあり、
金枝土佐守、上平弥七郎、
飯岡新左衛門などが
城主に据えられたと
記されている事から、
大宮城は、途中で廃城となり、
天正15年まで
廃れていたと考えられています。
現在に残る大宮城の遺構は、
この頃に改修された
時のものであるとのことです。

【廃城】
その後、
慶長2年(1597年)、
主君である宇都宮氏改易に伴い
大宮城も廃城となりました

【登城口】
登城口は日々輝学園高等学校の
グラウンド北側にあり、
本丸跡付近に案内板が
設置されているとのことです。
大宮城は大宮小学校の
西の丘陵に築かれています。
主郭へは宝福寺から登る道が
わかりやすいとのことです。
案内板や石碑は寺から
西へ歩いた先にある墓地へ入る道から
グラウンドの東端沿いに
山に入って行くとある、とのことです。

<現地報告>
実際にはよくわからず
見つけることができませんでした。
日々輝学園高等学校の
グラウンド隣にある
遊歩道(ウォーキングコース)の
駐車場から墓地に
通じている道があるのですが、
訪れた季節が残暑厳しい
9月であり、草木が高く生い茂り、
藪となり頑丈に絡み合い
踏み込むことができませんでした。
やはり冬~早春の季節に訪れるのが
よろしいかと思います。
付近一帯の地形は道なりは、
かつて城があったなごりを感じさせる
形状になっています。
お時間などある場合は
徒歩で散策されても良いかと思います。
大宮城(塩谷町)

【現代の地形と城の構造】
日々輝学園のグランド東側の本丸・
二の丸がある西ブロック、
宝福寺背後の三の丸がある中央ブロック、
愛宕神社周りの東ブロックが
遺構が残っている城域になると
見られています。

本丸の北に「乾の大堀」があります。
本丸南に二の丸跡があり、
グラウンドとの間に大手虎口があります。
二の丸跡の東に空堀で隔てて
三の丸跡があり、その東に空堀で
隔てて曲輪があり、
愛宕神社・甲氏神社が
建てられています。
東に一段下がって、墓地となっています。

【本丸跡・説明板】
「日々輝学園高等学校」(表記番地)の
グランド北側に「西の山古墳群」があり
その間の通路を東に行くと、本丸跡があります。
本丸跡は東西約54m南北約45mで
北に高台があり、その前に
「大宮城本丸跡」の碑、
説明板が建てられています。

【交通アクセス】
(電車)
JR東北新幹線/東北本線「宇都宮」駅から
関東バス「玉生車庫行き」に乗り
「氏家街道口」バス停下車、徒歩10分
(車)
東北自動車道「矢板」ICから約15分

【所在地】
〒329-2332 栃木県塩谷郡塩谷町大宮2105

専用の駐車場はありません。

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