城跡

壬生城~壬生氏が築城し、江戸時代に鳥居氏が城主となり先祖の鳥居元忠公を祀りました。

壬生城址公園



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【壬生城】

壬生城(みぶじょう)は、
栃木県下都賀郡壬生町にあった日本の城です。
江戸時代には下野国都賀郡、
壬生藩の藩庁が置かれていました。
壬生城 本丸跡

【別名】
馬蹄城

【城郭構造】
平城

【築城主】
壬生綱重

【築城年】
文明年間(1469年⇒1486年)

【主な城主】
壬生氏、鳥居氏

【廃城年】
明治4年(1871年)

【遺構】
土塁、水堀
壬生城 土塁 水堀

【概要】
寛正3年(1462年)に
壬生氏の始祖である壬生胤業が、
この城より北西にある
常楽寺の西側・柵の内と呼ばれる場所に
館を建てたとのことです。
俗に壬生古城といわれています。
その後文明年間(1469年⇒1486年)に
壬生氏第2代当主である
壬生綱重によって築かれたとされています。

天正18年(1590年)、
小田原征伐で壬生氏第5代当主である
壬生義雄が病没し、
壬生氏が滅んだ後は
小山氏の旧領も併せて
結城秀康の所領となりました。




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慶長5年(1600年)に
結城秀康が越前に移封すると
日根野吉明が1万5千石で
信濃高島城から入封となりました。

寛永11年(1634年)には
阿部忠秋が2万5千石で
武蔵から入封しました。

寛永16年(1639年)には
三浦正次が2万5千石で
下総矢作から入封しました。

元禄5年(1692年)には
松平輝貞が3万2千石で入封しました。

元禄8年(1695年)には
加藤明英が近江水口から
2万5千石で入封しました。

正徳2年(1712年)には
加藤明英と所領を交代するように
近江水口から鳥居忠英が
3万石で封じられ、
この後、明治維新まで
鳥居氏8代の居城として
用いられました。
壬生城址公園
天守や櫓はなく、
比較的簡素な作りの城郭でしたが、
本丸御殿は江戸時代初期に
将軍の日光社参の宿舎に
用いられていました。

【廃城後】
明治維新での廃城後は、
壬生では城跡は取り壊すことになり、
本丸を残して堀や土塁は
消滅して農地や宅地となりました。
本丸も昭和2年(1927年)に
鳥居家の別邸が落雷により焼失後、
鳥居家から壬生町へ寄付されました。
壬生町では公園が計画されていましたが、
第二次世界大戦後の昭和23年(1948年)に
中学校用地として
堀と土塁は西側と南側を残して
青年団の勤労奉仕により
削り埋め立てられ整地されました。
その後、2度に渡る校庭の拡張により
本丸西側の堀と土塁が消滅しました。
昭和61年(1986年)の
中学校移転と前後して、
昭和59年(1984年)から
昭和62年(1987年)まで
本丸や二の丸などの発掘調査が
断続的に行われましたが、
あくまで記録保存のためであり、
調査後は町立図書館や
大ホールを備えた中央公民館、
歴史民俗資料館、駐車場に整備されました。
残りも城址公園として
再整備することになり、
噴水が造られたほか
最後まで残っていた本丸南側の土塁や
堀は平成元年(1989年)に
整形した石を組み合わせた
石垣風に作り変えられ、
廃城時の面影はなくなってしまいました。
壬生城址公園

【遺構】
移築された城門が
鹿沼市と小山市の民家に残っているそうです。
令和2年(2020年)に
壬生城大手門(現在の足利銀行壬生支店付近)
の礎石のうち5基が
現存していることが判明しました。
内訳は町内の民家2軒に3基、
本丸の精忠神社に2基であるとのこと。
令和2年(2021年)に
民家敷地にあった3基が
城址公園内の芝生に移設されました。
壬生城大手門 礎石

【駐車場】
城址公園にあります。

【トイレ】
あります。

【所在地】
〒321-0225 栃木県下都賀郡壬生町本丸1丁目8−33

【交通アクセス】
(電車)
東武鉄道宇都宮線「壬生」駅から徒歩約15分
(車)
北関越自動車道「壬生IC」から15分程度

【精忠神社】

精忠神社(せいちゅうじんじゃ)は、
栃木県下都賀郡壬生町の神社です。
干瓢神社とも呼ばれているます。
1712年から明治維新まで、
代々壬生城主を務めた鳥居家ですが、
精忠神社は、その祖である
鳥居元忠が祀られています。
精忠神社

1712年から壬生城主を務めた
鳥居忠英が城内東北に
鳥居元忠を祀ったのがはじまりとなります。
その後1799年になって、
神道界において圧倒的な権力を持っていた
神紙菅領吉田家より精忠霊神の神号を受け、
精忠神社となり今に至っているとのことです。
精忠神社 境内略図

鳥居元忠は徳川家康の忠臣として仕え、
最期は徳川家康の居城である
伏見城石田三成の軍勢から
10日間以上に渡り守りきり、
落城の際にはその場にいた
約300名とともに自刃しました。




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徳川家康はこの鳥居元忠の忠義を賞賛し、
血のついた畳を江戸城の伏見櫓の階上におき、
登城の諸大名に鳥居元忠の精忠を
偲ばせたといわれています。

そして現在、その畳は
精忠神社の畳塚に納められ、
記念碑が建てられています。
精忠神社の畳塚 記念碑

【所在地】
〒321-0225 栃木県下都賀郡壬生町本丸1丁目9−13

【交通アクセス】
東武鉄道宇都宮線「壬生」駅から徒歩約15分

【駐車場】
壬生城址公園の駐車場をご利用ください。

神社脇のスペースにも駐車できる場所はありますが、
民家が近く、未舗装で草も多いので足元がよくありません。

鳥居元忠~竹千代時代からの側近で伏見城にて玉砕、その最期は血染め畳と血天井として後世に伝えられています。

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