明智家臣

石谷頼辰とは 明智光秀と長宗我部元親の関係を結ぶキーパーソン

石谷頼辰



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石谷頼辰(いしがい-よりとき)は、美濃・白樫城主である斎藤利賢の嫡男として戦国時代(生年不詳)の生まれで、最初は斎藤孫九郎と称しました。
母は、越中・蜷川館主であった蜷川親順の娘(名前不詳)です。
父・斎藤利賢は、稲葉山城主・斎藤道三と、斎藤義龍に仕えた斎藤家の家臣です。
弟に斎藤利三(1534年生まれ)がおり、のち明智光秀の重臣になっています。




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母の実家は、室町幕府13代将軍・足利義輝の奉公衆である蜷川家です。
歴史とは関係ありませんが、アニメ「一休さん」に出て来る寺社奉行・蜷川新右衛門のモデルになったのが、この蜷川(にながわ)さんと言う事になります。
奉公衆(ほうこうしゅう)と言うのは、将軍家直属の軍事勢力のことを言います。

その母・蜷川親順の娘は、理由が分からないのですが、斎藤利賢と離縁して、石谷光政(石谷空然)に再嫁しました。
この石谷光政は、将軍・足利義輝の庶子ともされますが、石谷家(いしがい-け)は、明智光秀と同じく土岐氏の支流とされる、土岐・石谷氏となります。
鎌倉時代に土岐光行が美濃国方県郡石谷の地頭職となったのが、土岐・石谷氏の始まりとされます。
1556年、長良川の戦いにて、石谷氏は斎藤道三に味方したため、美濃を追われたあと、京にいたようです。

そして、石谷光政は男子に恵まれなかったため、継室(再婚)した妻(蜷川親順の娘)と斎藤利賢の子である石谷頼辰を長女の婿養子に迎えました。
ちなみに、妻(蜷川親順の娘)と離縁した斎藤利賢は、後妻(継室)として明智光継の娘(明智宗善の娘を迎えています。
この明智光継は、美濃・長山城主で、娘・小見の方が斎藤道三の側室になっており、のち、織田信長の正室になる濃姫に血が繋がっています。

話を戻しますが、本来であれば、斎藤利賢の嫡男として、斎藤家を継ぐ立場でしたが、石谷頼辰として石谷家の家督継承の立場になったと言う事は、ぜんぜん、石谷家の方が家格が格上だったのでしょう。
同じ土岐一族で室町幕府将軍にも仕えていた、明智家が間を取り持った可能性もあります。

更に、石谷頼辰の妹?(石谷光政の次女)は、1563年に、母の実家である蜷川親長の仲介で、土佐・岡豊城主である戦国大名・長宗我部元親の正室になりました。

しかし、室町幕府の権威は低くなっており、1565年、将軍・足利義輝は、松永久秀と三好三人衆によって暗殺されてしまいます。
この時、幕府奉公衆の多くは、領地の維持が困難に陥り、没落する家もありました。
石谷家も例外ではなく、養父・石谷光政と、石谷頼辰は、長宗我部元親の正室(元親夫人)を頼って四国に渡り、長宗我部家の家臣となりました。




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その後、明智光秀の尽力もあり、室町幕府将軍に足利義昭が就任した頃、石谷頼辰は明智光秀の家臣になっています。
実弟・斎藤利三は、正室に斎藤道三の娘を迎えていますが、同じ、土岐一族として斎藤姓も称していることから、斎藤一族としても地位は高かったようです。
斎藤義龍が織田信長に敗れると、斎藤利三は稲葉一鉄の家臣になっていました。
しかし、ケンカ別れていて、兄・石谷頼辰と同じく、明智光秀の家臣に加わり、のち筆頭家老へと出世します。

織田信長が畿内を手に入れ天下が見えてくると、石谷頼辰は、織田家(明智光秀)からの使者として、長宗我部元親に降伏するよう、使者として四国に赴いていたようです。
しかし、その交渉はまとまらず、1582年、織田勢の織田信孝・丹羽長秀らにより四国攻めの直前に、明智光秀が本能寺の変を起こし、織田信長と織田信忠は横死しました。
その明智光秀と羽柴秀吉(豊臣秀吉)との山崎の戦いでも、戦場で奮戦したようですが、敗れて明智光秀が命を落としたため、石谷頼辰は、四国に逃れて、長宗我部家の家臣に加わりました。

石谷頼辰の中央での経験は豊富であり人脈もあったことから、重用されたようで、石谷頼辰の娘は長宗我部元親の嫡男・長宗我部信親の正室(石谷夫人)になっています。
しかし、1587年12月12日、九州攻めの際に、仙石秀久のマズさもあり、戸次川の戦いにて豊臣勢は大敗し、石谷頼辰は長宗我部信親と共に討死しました。




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近年、石谷家文書(いしがいけもんじょ)と呼ばれる石谷家に伝わる書状(全47通)が発見され、注目も浴びています。

→斎藤道三~権謀術数を駆使し大名になった美濃の蝮
→明智光継とは 明智光秀のおじいさん?美濃・明智城主
→小見の方 (おみのかた)  斎藤道三の正室になった明智家の女性
→斎藤利三~明智光秀の重臣として明智家を支えた勇将
→天下分け目の山崎の戦いと勝竜寺城~明智光秀は遠慮して負けたか?
→木俣清三郎守勝~三河出身~明智光秀と徳川家康に仕えた武将、その正体は??
→織田信長について~駆け足で手短にわかる織田信長の49年~
→明智光秀について~駆け足で手短にわかる明智光秀の生涯~
→長宗我部元親について~手短にわかるその生涯と四国統一~

蜷川館跡~蜷川氏の発祥の地~蜷川氏とはアニメ「一休さん・蜷川新右エ門」のモデル、明智光秀の家臣など。

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