城跡

花岳城跡~平安末期に土肥一族の小早川氏が居館、室町期に大森頼春が築城したが伊勢盛時に奪われた。

花岳城址(小田原)




花岳城(かがくじょう)】

地理的には丘陵地のくぼ地になります。
小田原駅から北側の坂道を上がりきって
下り始めたあたりにあります。
現在「花岳山月光院城源寺」というお寺のある辺りが
花岳城だったとされております。
お城の名前がお寺の山号になっています。

城源寺(花岳城 跡地) 庭

城源寺の寺史によりますと、
室町初期の応永24年(1417年)、
大森信濃守式部大輔頼顕がこの地に居城し、
城郭内に三寺を建立、城源寺と号し、
等蓮社大誉上人を帰招して開山したということです。
大森信濃守式部大輔頼顕は系図を見ると
大森頼春の曽祖父にあたる人物です。

なお、お寺は新編相模風土記によりますと、
鎌倉末期の正中2年(1325年)6月12日、
開山道蓮社大誉直原上人卒とあるとのことです。

最も、地形を見たうえでは、お城の前身となる
舘が築かれたのは、もっと前の様な気がします。
大森頼春の曽祖父にあたる人物が築いたとされるならば、
新編相模風土記にある鎌倉末期かもしれません。
地理地形や、他の場所の居館跡から推測すると、
平安時代頃に建てられた可能性もあります。

花岳城址 周辺の地形

かつて、平安時代末期、
相模国の豪族土肥氏一族である
小早川遠平(土肥小早川氏の祖とされる)
の居館があったとされています。
従って最初は土肥一族の小早川氏が
この地に建てたのかもしれません。

大森氏鎌倉時代の中期以降、
北条氏得宗被官(家来)であり、
名前が見えるとのことですが、
其の頃の動向は明確ではなく、
歴史の表舞台に登場するのは
鎌倉時代末期から
室町時代に入ってからでした。
南北朝時代の観応の擾乱直後に発生した
武蔵野合戦にて大森氏の名前が
合戦に加わっている、とのことです。

武蔵野合戦は正平7年/文和元年(1352年)
閏2月から3月にかけて、
武蔵国・相模国(現、東京都・埼玉県・神奈川県)
の各地において、足利尊氏ら北朝方の軍勢と、
新田義興・新田義宗南朝方の
軍勢との間で行われた
一連の合戦のことです。

「太平記」によりますと、
相模の武士では
酒匂・松田・河村・四宮・中村らの諸氏が
新田方に味方したということです。
そのほか、大森右衛門入道が
鎌倉期に見えて以来、
動向が不明であった
駿河国駿東郡の大森氏や葛山氏も
かれらとともに味方したとのことです。
ということは、このころの大森氏が
西相模と関係をもっていたと推測されます。
新編相模風土記では城源寺の創建は、
鎌倉末期の正中2年(1325年)とあり、
大森信濃守式部大輔頼顕は
鎌倉侍所と記されているので
この頃に大森氏がこの辺り一帯に
何らかの住まいを構えていた
可能性があります。





応永13年(1406年)、
第3代鎌倉公方足利満兼による
円覚寺修繕のために大森頼春が
伊豆国三島に関所を設置して
関銭を徴収した記録があります。

関銭徴集は、その地域の
経済的実力者に委ねられることが多く、
関預人は見返りの多い請負でもあったそうです。
このように大森氏は、
駿東郡から箱根道に連なる交通網の
拠点を押える実力者として、
歴史に台頭していきました。

そして応永23年(1416年)に
上杉禅秀の乱が発生します。
鎌倉を追われた第4代公方である
足利持氏は箱根権現に逃れ、
箱根権現別当であった大森證実は
これを匿って実兄である
大森頼春の館に連れていき、
兄弟は足利持氏を
駿河国の守護である今川氏の元に届けました。
その後、同乱の鎮圧の功により、
足利持氏より箱根山一帯の支配権を与えられ、
更に土肥・土屋一族の所領も与えられ、
翌年の応永24年(1417年)頃、
前領主土肥氏の拠点があった
小田原に小田原城
築いたとされているのです。
従って、元々は平安末期に
小早川氏の居館があり、
その後、大森信濃守式部大輔頼顕が住し、
土肥・中村氏の所領を得た大森頼春が、
かつて中村党の
土肥・土屋一族が支配した小田原を
本格的に支配するために、
従来あった居館を城として
築城したのかもしれません。

そしてここから「小田原城」の歴史が始まるのでした。

城源寺 花岳城 説明

【「花岳」の由来】
「花岳」の「花」は梅の事を指すそうです。
古来よりこの地は早春になると
梅が咲き乱れていたそうです。
ちなみに小田原市の花は梅です。

伊勢盛時がやってきた】
相模国・伊豆国方面に
勢力を広げた大森氏でしたが、
明応4年(1495年)から
文亀元年(1501年)の間に
伊豆国を支配していた
伊勢平氏流伊勢盛時(北条早雲)が
大森頼春の孫である大森藤頼から
小田原城を奪い取るのでした。

【城源寺・所在地】
〒250-0045 神奈川県小田原市城山2丁目14−32

【駐車場】
城源寺の駐車場があります。
城源寺 駐車場
※周辺は住宅街なので走行には十分お気を付けください。

【交通アクセス】
<最寄り駅>
JR・小田急小田原線「小田原」駅。
小田急小田原線「小田原」駅より0.6km
<徒歩>
10分~15分程度。

<バス>(伊豆箱根バス)
(小71)
<小田原駅西口~兎河原循環~小田原駅西口(小田原駅西口行)>
小田原駅西口⇒「丹羽病院前」下車、徒歩5分程度。

大森氏頼~兄弟親子の分裂を経て当主になり西相模で勢力をのばしました。居館跡(矢崎城)は紫雲寺です。 

生土城跡~大森氏が築城した支城~鎌倉公方・足利持氏が滞在したと伝わる中世の城。

相模沼田城~波多野氏の一族の沼田氏が築城し、後に大森氏の所領となる。

小田原城跡~小田原北条五代~近世城郭と中世城郭の両方の遺構が残る城。

岡崎義実~代々源氏の家人で特に忠義心厚い人物。三浦一族だが中村党とも深い関係で真田与一の父親です。

真田城~神奈川県平塚市にある真田の郷、真田與一義忠(佐奈田義忠)について。

めだかの学校~日本全国で世代を超えて親しまれている童謡はここで生まれました。

伊勢盛時(北条早雲・伊勢宗瑞)の登場~小田原北条初代~名門一族の出自で関東に覇を唱えに行く!

三太刀(みたち)城跡~小早川氏の祖である土肥遠平の御館か?~相模から安芸国沼田荘へ。

城願寺~神奈川県指定文化財となっている土肥一族のお墓と国指定天然記念物・ビャクシンがあります。

漁港の駅 TOTOCO小田原~小田原漁場の恵みがたくさん詰まった美味し処です。

関連記事

  1. 山吹城跡 登城口 山吹城 ・石見銀山遺跡に登録の城跡~石見銀山の利権で大内氏・尼子…
  2. 鎌倉幕府政所跡 鎌倉幕府の政所跡について
  3. 十三士の墓 修禅寺 十三士の墓~源頼家の家臣たちの眠る場所
  4. 伝堀越御所跡 伝堀越御所跡~堀越公方が居住していた場所と伝わる。伊勢盛時に攻め…
  5. 高瀬城 出雲 高瀬城(出雲)、鳶ヶ巣城・平田城と同じく宍道湖の水軍の要衝として…
  6. 村上武吉永眠の地 村上武吉夫妻の墓(宝篋印塔)~能島村上水軍の当主で「日本最大の海…
  7. 穴水城跡 穴水城跡~畠山七人衆で、加賀八家である長一族の元々の本拠地~ご先…
  8. 由木城跡 由木城跡(柚木城跡)~大石氏館跡・大石定久公の像とお墓~永林寺に…

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

おすすめ記事

  1. 足利茶々丸~堀越公方の2代目、室町時代の不良少年と呼ばれた短い生涯について。 茶々丸の墓

ピックアップ記事

  1. 大江広元の墓(西御門)
  2. 草戸稲荷神社
  3. 三笠山城跡 島根
  4. 了仙寺 入り口 山
  5. 周布城(島根県)
PAGE TOP