朝廷

正倉院~聖武天皇・光明皇后を中心とした天平時代の多数の文化財の一大宝庫で世界遺産に登録されています。

正倉院



スポンサーリンク



正倉院

正倉院(しょうそういん)は、
奈良県奈良市の東大寺大仏殿の
北北西に位置する、
校倉造(あぜくらづくり)の
大規模な正倉(高床式倉庫)です。
聖武天皇光明皇后ゆかりの品をはじめとする、
天平時代を中心とした
多数の美術工芸品を収蔵していた建物で、
1997年(平成9年)に国宝に指定され、
翌年の1998年(平成10年)に
「古都奈良の文化財」の一部として
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。
なお正倉院宝物は通常時は非公開です。

正倉院 見学エリア

【正倉院の概要】
江戸時代以前は朝廷の監督の下、
東大寺によって管理されていました。
明治8年(1875年)、
収蔵されていた宝物の重要性に鑑み、
内務省の管理下に移りました。
明治14年(1881年)4月7日、
農商務省の設置に伴い、
内務省博物局が農商務省へ移管され、
明治17年(1884年)5月に
宮内省所管となりました。
明治41年(1908年)4月、
正倉院は帝室博物館の主管となり、
昭和22年(1947年)5月3日の
日本国憲法施行により
正倉院を含めて皇室用財産が
国有財産になったことに伴い、
宮内府図書寮の主管となりました。
現在は宮内庁の施設等機関である
正倉院事務所が正倉院宝庫および
正倉院宝物を管理しています。

【正倉院の宝物】
正倉院が所蔵する宝物の9割以上は
異国風のデザインを取り入れた日本産です。
しかしながら中国(唐)や西域、
ペルシャなどからの
輸入品もあることから、
日本がシルクロード
の東の終点と言われる
由縁となっています。
正倉院は、絵画・書跡・金工・
漆工・木工・刀剣・陶器・ガラス器・
楽器・仮面などの古代の
美術工芸の粋を集めた
文化財の一大宝庫であり、
奈良時代の日本を知るうえで
貴重な史料である正倉院文書、
東大寺大仏開眼法要に関わる
歴史的な品や古代の薬品なども
所蔵されております。

【宝物の9割は日本産】
宝物の意匠や文様には
ペルシャなど西アジア起源のものが多く、
宝物に用いられている素材にも
アフガニスタン特産の
ラピス・ラズリなどがありますが、
西アジアで制作された宝物は
ガラス器(白瑠璃碗、紺瑠璃坏)を除くと
ほとんどなく、多くが日本で
異国風を取り入れて
制作されたものであるとのことです。
近年の調査研究によりますと
所蔵する宝物の95%が
日本産であると考えられています。




スポンサーリンク



【正倉院の語義】
奈良時代の官庁や
大寺院には多数の倉が並んでいたことが
記録から知られています。
「正倉」とは、
元来「正税を収める倉」の意とのことです。
律令時代に各地から
上納された米穀や調布などを
保管するため、大蔵省をはじめとする
役所に設けられたものでした。
また、大寺にはそれぞれの寺領から
納められた品や、
寺の什器宝物などを
収蔵する正倉があり、
正倉のある一画を塀で囲ったものを
「正倉院」と称していました。
南都七大寺にはそれぞれに
正倉院が存在していましたが、
歳月の経過で廃絶して
東大寺正倉院内の
正倉一棟だけが残ったため、
「正倉院」は東大寺に所在する
正倉院宝庫を指す固有名詞と化したのでした。

正倉院「正倉」

なお、現代においては、
「正倉院」は貴重な文化財の
宝庫である事を指す
比喩表現としても使われることがあります。
例えば沖ノ島は「海の正倉院」、
春日大社は「平安の正倉院」、
国宝の平城宮跡出土木簡は
「地下の正倉院」
と呼称されることがあります。

【正倉院宝物】
天平勝宝8歳(756年)6月21日、
光明皇太后は夫である
聖武太上天皇の七七忌に際して、
天皇遺愛の品約650点、
及び60種の薬物を東大寺の
廬舎那仏(大仏)に奉献したのが始まりです。
光明皇太后はその後も3度にわたって自身や
聖武天皇ゆかりの品を大仏に奉献し、
これらの献納品は正倉院に納められました。
献納品目録である「東大寺献物帳」も
正倉院に保管されています。
献物帳は五巻からなり、
それぞれ「国家珍宝帳」、「種々薬帳」、
「屛風花氈等帳」、「大小王真跡帳」、
「藤原公真跡屛風帳」と通称されています。

正倉院宝庫は、
北倉(ほくそう)、
中倉(ちゅうそう)、
南倉(なんそう)に区分されます。

北倉は主に聖武天皇と
光明皇后ゆかりの品が収められ、
中倉には東大寺の儀式関係品、
文書記録、造東大寺司関係品などが
収められていました。
また、天暦4年(950年)、
東大寺羂索院(けんざくいん)・
双倉(ならびくら)が破損した際、
そこに収められていた物品が
正倉院南倉に移されています。
南倉宝物には、仏具類のほか、
東大寺大仏開眼会(かいげんえ)に
使用された物品なども納められており、
文治元年(1185年)の後白河法皇による
大仏再興の開眼会に
宝物の仏具類が用いられました。
そのほか、長い年月の間には、
修理などのために宝物が倉から
取り出されることが度々あり、
返納の際に違う倉に
戻されたものなどがあって、
宝物の所在場所はかなり移動しています。
倉ごとの品物の区分は明治以降、
近代的な文化財調査が
行われるようになってから
再整理されました。




スポンサーリンク



【記載の品と現存の品】
「献物帳」記載の品が
そのまま現存しているわけではなく、
武器類、薬物、書巻、楽器などは
必要に応じて出蔵され、
そのまま戻らなかった品も多いです。
刀剣類などは
藤原仲麻呂の乱
(恵美押勝の乱)の際に
大量に持ち出され、
「献物帳」記載の品とは
別の刀剣が代わりに返納されています。
また大仏開眼の際に
聖武天皇と光明皇后が着用した冠など、
何らかの事情で破損した宝物も存在しますが、
その破片が所蔵されている場合もあります。
礼服御冠残欠などの残欠です。
また、一部の唐櫃は鎌倉時代、
江戸時代のものであり、
宝物の中にも後世に
追納されたものが多いという説があります。

【「国家珍宝帳」の陽宝劔と陰宝劔】
「国家珍宝帳」に記された献納品には
後の時代に持ちだされたことを示す
除物の付箋が付けられたものが
7点(封箱、犀角蕆、陽宝劔、
陰宝劔、横刀、黒作懸佩刀、挂甲)あります。
このうち光明皇后が死去する
半年前の天平宝字3年(759年)12月に
出蔵された陽宝劔と陰宝劔は、
献物帳にある大刀100口の筆頭に
記されていましたが、
その後の行方は判明していませんでした。
明治40年(1907年)から
翌年にかけて東大寺金堂(大仏殿)
盧舎那仏須弥壇の周辺から大刀6口、
水晶玉、挂甲残欠などが発見され
「東大寺金堂鎮壇具」として
国宝に指定されています。
2010年に元興寺文化財研究所が
このうち金銀荘大刀2口の
X線撮影をおこなったところ、
刀身から「陽劔」「陰劔」の象嵌銘が発見され、
国家珍宝帳に記されていた
陽宝劔と陰宝劔であることが確認されのでした。
専門家の間では光明皇后が
国家の平安を願って
埋納したものであると考えられています。
陽宝劔と陰宝劔は現在は
東大寺ミュージアムに保管されています。

<北倉>
正倉院の三倉のなかでも
特に北倉は聖武天皇と
光明皇后ゆかりの品を収めることから、
早くから厳重な管理がされていました。
宝庫の扉の開封には
勅使(天皇からの使い)が
立ち会うことが必要とされていました。
なお「勅封」という言葉は本来
「天皇の署名入りの紙を鍵に
巻きつけて施錠すること」を指すします。
正倉院宝庫がこの厳密な意味での
「勅封」になったのは室町時代以降です。
が、平安時代の各種文書記録にも
正倉院を「勅封蔵」と表現しております。
平安時代中期には北・中・南の三倉とも
勅封蔵と見なされていましたが、
東大寺の什器類を納めていた
南倉のみは、後に勅封から
綱封(東大寺別当らの寺僧組織が管理する)
に改められました。
明治8年(1875年)、
正倉院全体が明治政府の
管理下におかれてからは
南倉も再び勅封となっています。




スポンサーリンク



【正倉院の代表的な宝物】
◆赤漆文欟木御厨子
(せきしつぶんかんぼくのおんずし)
◆平螺鈿背円鏡
(へいらでんはいのえんきょう)
◆平螺鈿背八角鏡
(へいらでんはいのはっかくきょう)
◆金銀山水八卦背八角鏡
(きんぎんさんすいはっけはいのはっかくきょう)
◆黄金瑠璃鈿背十二稜鏡
(おうごんるりでんはいのじゅうにりょうきょう)
◆鳥毛立女屏風
(とりげりつじょのびょうぶ)
◆鳥毛篆書屏風
(とりげてんしょのびょうぶ)
◆鳥毛帖成文書屏風
(とりげじょうせいぶんしょのびょうぶ)
◆象木臈纈屏風
(ぞうきろうけちのびょうぶ)
◆羊木臈纈屏風
(ひつじきろうけちのびょうぶ)
◆紫檀木画挟軾
(したんもくがきょうしょく)
◆御床
(ごしょう)
◆花氈(かせん)
◆銀薫炉(ぎんくんろ)
◆青斑石鼈合子(せいはんせきべっこうす)
◆蘇芳地金銀絵箱(すおうじきんぎんえのはこ)
◆白橡綾錦几褥(しろつるばみあやにしきのきじょく)
◆紺夾纈絁几褥(こんきょうけちあしぎぬのきじょく)
◆蘭奢待(らんじゃたい)
 天下第一の名香と謳われる香木。
 正倉院の中倉薬物棚にあり、現在までに、
 足利義満
 足利義教、
 織田信長
 明治天皇らが切り取ったといわれています。
※2020年NHK大河ドラマ「麒麟が来る」で出てきましたね。

◆白瑠璃碗(はくるりのわん)
◆瑠璃坏(るりのつき)
◆瑠璃壷(るりのつぼ)
◆螺鈿紫檀五絃琵琶
(らでんしたんのごげんびわ)
◆螺鈿紫檀琵琶
(らでんしたんのびわ)
など。

正倉院の宝物(一部)

【正倉院「正倉」の外溝の公開】
正倉院「正倉」外構の公開は、
次のとおり実施しています。
(申込手続不要、無料)
宝物は公開していません。

<公開実施日時>
月曜日から金曜日まで
(休日等を除く)の毎日で、
午前10時から午後3時までです。

<公開を実施しない日>
行事の実施、
その他やむを得ない理由のため支障のある日
土曜日・日曜日・国民の祝日・休日
12月28日から翌年1月4日まで

所要時間:5分程度
(外溝だけなので)
土日祝日休みとは・・・。

東大寺に行ってきました!~朝がおススメです!午前7時30分より、二月堂・三月堂追加しました。

春日大社~藤原氏の氏神を祀る全国の春日神社の総本社で世界遺産に登録されています。

興福寺~藤原鎌足・不比等ゆかりの寺で世界遺産に登録されており阿修羅像が著名です。

手向山八幡宮~かつては東大寺の鎮守神、紅葉の名所で菅原道真も詠んでいます。

後白河院(後白河院天皇)(後白河法皇)「治天の君」の地位を保持した「日本一の大天狗」の異名をとる人物。

関連記事

  1. 華厳山 金剛寺(厚木市) 華厳山 金剛寺(厚木市飯山)、創建は空海で平安時代前期です。伝安…
  2. 吐月峰柴屋寺 吐月峰柴屋寺~今川氏に仕えた「急がば回れ」を唱えた連歌師宗長ゆか…
  3. 大溝城跡 大溝城・打下城~城主は津田信澄(織田信澄)、岳父は明智光秀 京極…
  4. 浦賀城(叶神社)明神山 浦賀城~東叶神社境内、安房里見軍に備えて小田原北条氏が水軍を配置…
  5. 館山城址 安房里見氏 館山城と八遺臣の墓~安房里見氏最後の城であり、南総里見八犬伝のモ…
  6. 明王院 五重塔 本堂 明王院(広島)~歴史ある古刹で国宝の本堂と五重塔が自然の中に調和…
  7. 熊川城 熊川城~沼田麝香(細川マリア)の出身地・細川藤孝正室で細川ガラシ…
  8. 摺上原(磨上原)古戦場跡 摺上原(磨上原)古戦場跡~蘆名氏VS伊達政宗の決戦地!会津の歴史…



スポンサーリンク




コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

おすすめ記事

  1. 末森城跡~末森城攻防戦の地~前田利家VS佐々成政、前田利家の加賀・能登統治の基礎構築の場。 末森城跡(遠景)

ピックアップ記事

  1. 亀穴城址(滝山城址)と宮崎神社
  2. 竹御所(源媄子)(源鞠子)の墓
  3. 三河黒川城跡
  4. しとどの窟(土肥椙山観音像群)
  5. 真里谷城跡 入口
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
PAGE TOP