鎌倉殿の13人

泉親衡(泉小次郎)~泉親衡の乱は和田一族の炙り出し?泉小次郎館跡と小次郎馬洗いの池が泉区にあります。

泉中央公園の泉




泉親衡

泉 親衡(いずみ ちかひら、治承2年(1178年)?⇒
文永2年5月19日(1265年7月3日)?は、
鎌倉時代初期の信濃国の武将です。
鎌倉幕府御家人です。
通称は泉小次郎です。
信濃源氏の泉次郎公衡の子で
泉親衡の乱の首謀者。
名を親平とも書きます。

【時代】
鎌倉時代初期

【生誕】
治承2年(1178年)?

【死没】
文永2年(1265年)7月2日?

【改名】
入道静海

【別名】
小次郎(通称)、
親平

【幕府】
鎌倉幕府

【主君】
源頼家源実朝

【氏族】
清和源氏満快流信濃泉氏

【父】
泉公衡(あるいは片切二郎禅師行心)

【母】
不明

【兄弟】
親衡、俊衡、頼衡、公信

【妻】
正室:井上経長の娘?

【子】
満衡

【信濃源氏の泉氏】
信濃国小県郡小泉荘(現長野県上田市)
を本拠としたと言われる泉氏は、
源満仲の五弟である源満快(満扶)の曾孫となる
信濃守為公の後裔と伝えられており、
泉親衡は源満快(満扶)
の十代孫に当たるとされています。
けれども泉親衡には荒唐無稽な伝説が
附与されたため、
実像ははっきりとはしていません。
子孫は信濃国飯山(現飯山市)を拠点とし、
泉氏として栄えたということです。

神奈川県横浜市泉区には
泉親衡の居館と伝わる
城跡(泉小次郎親衡館)と
泉小次郎馬洗い池が残っております。

泉中央公園案内図

【泉親衡の生涯】
建暦3年(1213年)、
源頼家の遺児である千寿丸を
鎌倉殿に擁立して
執権北条義時を打倒しようと図り、
郎党である青栗七郎の弟で
安念坊という僧を
北条氏に批判的な御家人に遣わし、
挙兵への協力を求めていましたが、
千葉成胤により安念坊が捕縛され、
彼の自白により陰謀は露見してしまいます。
直ちに遣わされた捕縛の使者と合戦に及び、
その混乱に乗じて逐電したとされています。
この時の配下に
青栗四郎・保科次郎・籠山次郎・
市村近村、粟沢太郎らの名が見えます。
その後の泉親衡の行方は不明となっています。

泉中央公園の小径

埼玉県川越市小ヶ谷町にある
瑶光山最明寺の縁起によると、
泉親衡は千寿丸とともに
当地に落ち延びて出家し
「静海」と名乗り、
文永2年5月19日(1265年7月3日)に
長寿を全うし88歳で亡くなったとされています。
静海の宝篋印塔も残るということです。

乱の後、小泉荘は北条泰時に没収され、
北条泰時が荘内の室賀郷を
善光寺に寄進したとのことです。

【泉親衡の乱】

泉親衡の乱(いずみちかひらのらん)は、
鎌倉時代初期の
1213年(建暦3年)2月15日に
発覚した内乱です。
鎌倉幕府御家人で
信濃源氏の泉親衡が
源頼家の遺児千寿丸を鎌倉殿に擁立し、
執権北条義時を打倒しようとした陰謀と
それに続いた合戦を指します。
一般的には和田合戦の前哨戦とされています。





鎌倉幕府では、
(建仁4年/元久元年)
(1204年)に
将軍である源頼家が幽閉された後に暗殺され、
北条氏によって源実朝が将軍に擁立されていました。

【乱の発端】
建暦3年(1213年)2月、
泉親衡の郎党である
青栗七郎の弟で安念坊という僧が
千葉成胤を訪ね、
源頼家の遺児千寿丸を擁して挙兵し
執権北条義時打倒への協力を
求めてきたことが発端とされています。
千葉成胤は安念坊を捕縛し
北条義時の元へ連行し、
彼の自白により泉親衡に与同した武士は
張本130人余、
伴類200人にのぼっていたことが
判明したとの事です。
そのうち和田義盛の子である
義直、義重、甥の胤長ら十数人が
直ちに捕縛されました。
当時、和田義盛は上総国の自領である
伊北庄に行っており
鎌倉を留守にしていたとの事です。

泉親衡は直ちに遣わされた
捕縛の使者と合戦に及び、
その混乱に乗じて逐電した
とされています。
急を聞いて駆けつけた
和田義盛が一族の赦免を嘆願し、
義直、義重は許されましたが、
和田胤長は事件の張本であるとして許されず、
3月に陸奥国岩瀬郡へ配流され、
屋敷は没収されることになったのでした。

【泉親衡の乱後】
和田胤長の屋敷は一旦は
和田義盛が拝領することになりましたが、
北条義時の反対に遭い、
結局は北条氏の預かりとなってしまいました。
面目を潰されてしまった
和田義盛はこれで
北条氏を打倒する意思を固め、
和田合戦に繋がることになったとされています。

【泉親衡の乱の真相】
乱にかかる捕縛者のうち
和田一族以外は直後に放免されている上に、
泉親衡も生き延びており、
和田一族を滅ぼす目的で
北条義時が和田義盛を挑発した事件
であったとも見られています。

【泉親衡の乱の首謀者の炙り出し】
一方で、源氏の一族ではありますが
さほど有力な御家人ではない
泉親衡が鎌倉で300人以上もの
武士を集めていることから、
この乱の本当の首謀者は和田義盛、
もしくは和田義盛の子や
孫の世代の和田一族とする説もあります。

・・・ま、和田一族と三浦氏の関係を鑑みると、
和田一族を陥れるために
北条義時と三浦義村
共謀した可能性は
十分にあり得るでしょう。
本来なら三浦宗家は
和田一族であった可能性が
高かったわけですし・・。
泉親衡はそのための
「囮」だった可能性も考えられます。
その後の人生は、
社会的にはアウトとなりましたが、
役目を果たし、後は
ゆっくりと過ごせるように
保証されたのでしょう。
但し、千寿丸はどうでしょう?
源氏の血を引く源頼朝の近親者の
男子が悉く粛清されていった事実を
鑑みると、どんなに幼くとも
生かすはずはないと考えられるので
タブン・・・・・のでしょうね。
火種の元になりかねないので。
そこまでの命令を受けていたとも
考えられます。

【泉小次郎親衡館】

泉小次郎親衡館(いずみこじろうちかひらやかた)、
または中和田城(なかわだじょう)は
神奈川県横浜市泉区和泉中央南
にある日本の城跡です。
建暦3年(1213年)に起きた
北条義時打倒未遂事件(泉親衡の乱)の
首謀者とされた
泉小次郎親衡の居館とする伝承があります。
横浜市地域史跡です。

泉小次郎館跡 土塁跡付近

【概要】
相模鉄道いずみ野線
いずみ中央駅の南東、
横浜市泉区内を流れる
和泉川左岸に面した台地に築かれています。





城跡は南北400m、東西200m測り、
曲輪と見られる平坦地は
現在「泉中央公園」となっています。
公園東端には南北に走る
高さ1mほどの土塁が残り、
現在は埋没していますが、
V字に掘られた空堀も見つかっています。

泉中央公園と館跡の説明板

信濃国を本拠地とする御家人の
泉親衡の関東での居館と伝わっています。
周辺には泉親衡が京都祇園社の
牛頭天王を勧請したとされる須賀神社や、
泉親衡の道場だったとされる長福寺など、
泉親衡に関する伝承地が複数あります。
また泉中央公園内の池は
「泉小次郎馬洗の池」と呼ばれ、
古くから雨乞いに使われていたということです。

泉小次郎馬洗い池

「泉小次郎伝承地」として、
昭和63年(1988年)に
横浜市地域史跡に登録されています。

【今の遺構は南北朝?】
ただし馬洗の池から出土した板碑には、
建武4年(1337年)銘や
延文6年(1361年)銘のものがあることから、
泉親衡の乱の時代(1213年)とは
100年以上後の時代となる
南北朝時代の城郭である
可能性もあるとのことです。

小次郎池と泉小次郎 説明

鎌倉時代が滅亡した後の事ですから、
泉一族の子孫が暮らしていた
可能性はありますね。

【所在地】(泉中央公園)
〒245-0023 神奈川県横浜市泉区和泉中央南4丁目22

【交通アクセス】
相模鉄道いずみ野線
「いずみ中央」駅より徒歩7~10分程。

「いずみ中央」駅から泉中央公園に行く途中に
「和泉川親水広場」があります。

<駐車場>
泉中央公園としての駐車場はありません。
公園の東側、高くなっている場所に墓地があり、
そこに墓地利用者のための駐車スペースがあります。

<トイレ>
泉中央公園には多目的トイレがあります。
(男女兼用・車いす対応トイレ)

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