城跡

桑名城~築城の起源は永正10年、関ヶ原の戦いの後に本多忠勝が入封し城郭を建造しました。

桑名城跡 二ノ丸方向 水城



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桑名城

 
桑名城(くわなじょう)は、
三重県桑名市にあった日本の城です。
江戸時代は伊勢桑名藩の藩庁が
置かれました。
元禄14年(1701年)に焼失しました。
桑名城 絵図

【別名】
扇城、旭城

【城郭構造】
梯郭式平城

【天守構造】
複合式層塔型4重6階
(1635年築・非現存)

【築城主】
一柳可遊、本多忠勝

【築城年】
慶長6年(1601年)

【主な改修者】
松平(久松)定勝

【主な城主】
本多氏、松平氏

【廃城年】
明治6年(1873年)

【遺構】
石垣、堀
桑名城 堀

【指定文化財】
三重県史跡

【再建造物】
蟠龍櫓(外観復元)

【お城の概要】
桑名市街の東端に位置し、
揖斐川に臨む水城でした。
城の北辺には
東海道桑名宿「七里の渡し」があり、
交通の要衝となっていました。
歌川広重の東海道五十三次
「桑名」に往時の城が描かれています。
桑名城跡 水城
城跡には現存建造物はなく、
石垣、堀が残るのみで、
現在は桑名城址九華公園として
整備されています。
桑名城跡 神戸櫓跡寄りの眺め
2003年に
国土交通省水門統合管理所を
建造するにあたって、
かつての蟠龍櫓跡に
建てることとなり、
蟠龍櫓を外観復元しました。
二重櫓であり、
1階は水門管理所となっており、
2階は桑名市所管の
展望台兼資料室となっています。




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【桑名城の歴史】
戦国時代の桑名の地には
北勢四十八家と呼ばれる土豪が
広い土地を領有し、勢力を張っておりました。
伊藤氏の伊藤武左衛門の東城、
樋口氏の樋口内蔵の西城、
矢部氏の矢部右馬允の三崎城
以上3つの城が桑名三城
呼ばれる城がありました。
現在の桑名城は東城があった辺りです。
永正10年(1513年)に
伊藤武左衛門が城館を築いたのが
桑名城の起源と考えられています。
天正2年(1574年)、
織田信長がこの地を征し、
部将の滝川一益が三城を配下に置きました。
その後、豊臣秀吉の時代になると
神戸信孝、天野景俊、服部一正、
一柳可遊、氏家貞和、松平家乗と
支配者が目まぐるしく入れ替わりました。

<神戸櫓跡>
神戸櫓跡(桑名城)

<神戸櫓跡・説明>
神戸櫓跡・説明(桑名城)

本多忠勝の入封】
関ヶ原の戦い後、覇者となった徳川家康
慶長6年(1601年)、
徳川四天王の本多忠勝を
桑名10万石に封じました。
本多忠勝は入封直後、
揖斐川沿いに城郭の建造を開始しました。
本多忠勝公の像(桑名城)
城には船着場も整備し、
4重6階の天守をはじめ51基の櫓、
46基の多聞が立ち並んだとのことです。
また同時に城下町も整備されました。
築城開始当初には四天王の一人である
井伊直政も家臣を動員して
普請の応援を行ったという逸話があります。

【元禄の大火】
元和3年(1617年)、2代目となる
本多忠政は播磨姫路藩に移封となり、
代わって松平定勝が入城します。
松平定重の時代、
元禄14年(1701年)には
桑名市街地の過半を焼く大火に遭い、
この際に天守も焼失し、
以後再建はされなかったのでした。
<天守台跡>
桑名城 天守台跡
<天守台跡・説明>
桑名城 天守台跡・説明

【久松家の再入城】
宝永7年(1710年)、
松平定重は越後高田藩に移封となり、
代わって松平(奥平)忠雅が入城し、
7代続いた後、文政6年(1823年)に
武蔵忍藩に移封となりました。
代わって松平(久松)定永が入城します。
先に高田に移封となった
久松家の再入城となりました。
この際に藩祖である
松平定綱(鎮国公)と
実父松平定信(守国公)を祀る
鎮国守国神社を城内に勧進しました。
松平越中守家 略図

【幕末、開城】
幕末には松平容保の実弟である
松平定敬が藩主となり、
京都所司代として兄と共に
京都の治安を預かりました。
大政奉還の後の慶応4年(1868年)、
鳥羽・伏見の戦いに敗れた旧幕府軍と共に
松平定敬も江戸に向かいます。
藩主不在の桑名城では
抗戦か恭順か激論となり
鎮国守国神社の神籤により
上層部では抗戦と決定しましたが、
下級藩士の猛反発にあい、
結局は無血開城となりました。
明治政府軍はこの際に
辰巳櫓を焼き払い開城の証としたのでした。

<辰巳櫓跡>
辰巳櫓跡(桑名城)

<辰巳櫓跡・説明>
辰巳櫓跡・説明(桑名城)

【昭和~平成】
松平定信没後100年にあたる
昭和3年(1928年)に
本丸・二之丸一帯を整備し
九華公園としました。
昭和17年(1942年)には
三重県の史跡に指定されました。
2003年には国土交通省
水門統合管理所を
建造するにあたって蟠龍櫓を
外観復元しました。




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【遺構】
伝承では、了順寺(桑名市大福)の山門が
城門を移築したものとされ、現存しています。
三の丸御殿は浄泉坊(三重郡朝日町小向)
に移築され、現存しています。
その他の遺構としては、
一部堀が残り、
また、海沿いには石垣が残り、
県史跡の指定を受けています。

【「潮吹き堤防」】
四日市港(四日市市)の建設工事の際に、
明治政府の桑名藩に対する懲罰処分として
桑名城石垣の一部を転用して
外洋との防波堤が建造されています。
この堤防は通称「潮吹き堤防」と呼ばれ、
堤防上に空いた穴より
波の威力を半減するという
珍しい構造から
国の重要文化財に指定されています。
けれどもその一方で、
歴史的建造物を破壊し
富国強兵・殖産興業政策を推し進めた
明治政府の行った悪政とみる見方もあります。

【復元建造物】
<蟠龍櫓>
(外観復元)
「ばんりゅうやぐら」と読む二層櫓。
国土交通省水門統合管理所の建物。
桑名城 蟠龍櫓

<本多忠勝像>
他に「本多忠勝公墓石碑」など
随所に忠勝関連の建造物。
桑名城 本多忠勝像

<鎮国守国神社>
桑名城 鎮国守国神社

<照恩寺山門>

【周辺施設】
<七里の渡し>
「東海道」道標と鳥居が建つ。
<六華苑>
実業家二代目諸戸清六の邸宅。
国の重要文化財・名勝。

<立教小学校>
藩校「立教館」の流れをくむ小学校。

【桑名城跡・九華公園】
桑名城跡の本丸及び
二之丸跡を利用した公園で、
約7.2haの広さがあります。
園内では4月に桜、5月につつじ、
6月に花菖蒲まつりが行われています。
明治維新によって桑名城は灰燼に帰し、
以後荒廃していましたが、
昭和3年(1928年)に
松平定信(守国公、楽翁)
没後百年祭を記念して、
本丸・二之丸一帯が
九華公園として
整備されました。公園
の設計者は、元桑名藩士で
庭園史研究家の
小沢圭次郎です。
桑名城跡・九華公園
昭和17年(1942年)に、
「桑名城跡」が
三重県指定史跡となりました。
指定地域には九華公園の一部が
含まれています。

【駐車場】
駐車場は柿安コミュニティパーク駐車場
※普段は4月~10月
(午前9時~午後6時)
11月~3月
(午前10時~午後5時時)
イベント時は午前9時~午後10時
普通車:65台
大型車:3台
自動二輪:2台
<料金>
普通車:250円(1日1回)
大型車:1010円(1日1回)
自動二輪:120円(1日1回)
※料金につきましては最新情報をご確認ください。

【桑名七里の渡し公園の駐車場】
桑名城から徒歩10分ぐらいの場所にあります。
料金は無料です。
4月1日~6月30日:
午前9時~午後5時
7月1日~8月31日:
午前9時~午後6時
9月1日~11月30日:
午前9時~午後5時
12月1日~2月末日:
午前9時~午後4時30分
3月1日~3月31日:
午前9時~午後5時
<休園日>
毎月第2月曜日
(休日の場合は直後の平日)
※8月は第4月曜日
12月31日、1月1日
駐車台数は14台です。
<所在地>
〒511-0005 三重県桑名市太一丸22−2




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【交通アクセス】
JR関西本線・近鉄名古屋線・養老鉄道養老線
「桑名」駅から徒歩で約15分。

<桑名城 蟠龍櫓・所在地>
〒511-0031 三重県桑名市三之丸

【トイレ】
神戸櫓跡の隣に
男女別の水洗トイレがあります。
神戸櫓跡・トイレ
(桑名城跡)

【所在地】
〒511-0032 三重県桑名市吉之丸5−1

滞在所要時間:35分~
(蟠龍櫓含む)

本多忠勝~徳川四天王の中でも屈折の剛勇者で愛槍の「蜻蛉切」で主君を救いました。

千姫~織田の血を引く将軍家の超お嬢様、祖母譲りの美貌、波乱万丈の人生でも自分らしさを貫きました。

大多喜城~築城は真里谷信清、徳川四天王の本多忠勝が城主となり今日の大多喜城となります。

忠勝公園~本多忠勝公、正室、次男で大多喜藩の第2代藩主である本多忠朝公の墓があります。

会津若松城(鶴ヶ城)~日本100名城、蘆名氏が築城、伊達・上杉・蒲生・加藤・保科・松平と続いた天下の名城。

白河小峰城(日本100名城)~東北三名城、東北では珍しい総石垣造りのお城です。

三岐鉄道北勢線と阿下喜駅~ナローゲージで、小さな車両で地域の足として頑張っています!

南湖公園~「士民共楽」の理念で松平定信によって造園された日本最古の公園で国の史跡・名勝。

伊勢・神戸城~神戸具盛もしくは神戸利盛が築城、織田(神戸)信孝により修築され江戸時代は神戸藩がおかれました。

伊勢・亀山城~伊勢平氏の流れをくむ関氏が亀山古城を築城し、岡本良勝が近代亀山城を築城しました。

松坂城~蒲生氏郷が築城し、中でも壮大な石垣が実に見事な日本100名城及び国の史跡です。

伊勢・長島城~鎌倉時代に藤原氏による築城が起源、元亀元年に長嶋一向一揆の拠点となる。

古木江城~伊勢長島の一向宗の抑えとして織田信長の弟である織田信興が築城しました。

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