城跡

鳴海城~築城は足利義満の時代、戦国期は織田信秀から今川義元直轄となり、織田信長が手にする。

鳴海城跡(天神社)



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【鳴海城

鳴海城(なるみじょう)は、
かつて愛知県名古屋市緑区鳴海町城に
存在した日本の城です。
別名は「根古屋城(ねごやじょう)」とも称します。

天神社 境内 鳴海城

【別名】
根古屋城

【城郭構造】
平山城

【築城主】
安原宗範

【築城年】
応永年間(1394年~1428年)

【主な改修者】
織田信秀

【主な城主】
山口教継、岡部元信佐久間信盛

【廃城年】
天正末年(1593年)頃

【遺構】
堀、土塁?

【指定文化財】
未指定

【再建造物】
石碑、東福院山門(伝・旧城門)

【鳴海城の概要】
室町時代の応永年間に足利義満の配下であった
安原宗範によって築かれたとされています。
その際にこの地にあった
成海神社は北の乙子山に移されました。
安原宗範の死後、廃城になったといわれています。

戦国時代の天文年間には
尾張国の織田信秀の支配下にあり、
その配下である山口教継が
駿河国の今川義元に備えるべく
城主を務めていました。
けれども織田信秀が没すると、
息子の織田信長を見限った山口教継は
今川氏に城ごと寝返りました。
その後、山口教継は
息子の山口教吉に鳴海城を任せます。
天文22年(1553年)、
織田信長は800の兵をもって
鳴海を攻めましたが
落とすことはできませんでした。
やがて山口教継父子は
今川義元により切腹に追い込まれました。
最もこれは織田信長の計略に
よるとも考えらえています。
結果的にいつ寝返るかわからない
外様の山口氏から今川家譜代の
岡部元信に城主が変更され
今川家直轄の重要拠点になりました。
これに対抗すべく、
織田信長は永禄2年(1559年)ごろに
鳴海城の周囲に
丹下砦、善照寺砦、中嶋砦を築きました。

鳴海城跡公園の竹やぶ

永禄3年(1560年)に
桶狭間の戦いが起こり、
今川軍はまず大高城に付けられた
織田方拠点の各砦の排除を敢行します。
残りの鳴海城に付けられた
三砦の排除を残すのみとなり
作戦は順調であるかにみえました・
しかし、作戦総司令部である
今川義元本陣が織田本隊の強襲により
総大将である今川義元が討ち取られ
総崩れとなってしまったのです。
しかしあくまで本隊が敗北したのみであったので、
砦排除のため待機中であった
鳴海城兵はかなりの兵数を
維持していたと思われ無傷でした。
織田信長との交渉の結果、
岡部元信は今川義元の首級と
引き換えに城を明け渡すという条件を呑み、
ついに城は織田信長の手に落ちたのでした。
戦後、佐久間信盛・信栄父子が城主をつとめ、
天正末期に廃城になったといわれています。
現在でも彼の名にちなんだといわれる
「作町(さくまち)」という地名が
城下に残っています。




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城の規模は記録によっては一定してはいません。
丘陵の西に立つ東西に
長い城郭であったと考えられています。
たとえば「鳴海誌」では
「東西75間半、南北34間」とされています。
現在城があったとされる場所は、
道路を隔てて西側の城跡公園から、
天神社のある東の小さな高台あたり
といわれています。
これらには碑が立っているほか、
近辺にある東福院という寺院には、
鳴海城の廃材で造られたという門が
存在しています。
それほどはっきりとした遺構は
残ってはいませんが、
公園の近辺には空堀や土塁状の地形が存在しています。

【遺構及び近隣施設】
鳴海城跡公園には
何もない行き止まりの公園
(児童遊具の富士山がある)になっています。

鳴海城跡公園

鳴海(成海)神社にも
遺構は残されてはいません。
城跡公園の向かいの
小さな神社(天神社)に城跡碑と説明板があります。

天神社 鳴海城

なお鳴海城跡公園から天神社付近は
高台になっています。

<登城口>
公園東側から続く。

<天神社>
城址碑。境内に土塁跡らしき地形が散見されます。
鳴海城址(天神社)

<東福院>
山門の左に由来など記す案内板。

【交通アクセス】
名鉄名古屋本線「鳴海」駅より北へ徒歩で約5分。

【鳴海城跡公園所在地】
〒458-0801 愛知県名古屋市緑区鳴海町根古屋22−3

【天神社所在地】
〒458-0801 愛知県名古屋市緑区鳴海町城3

【駐車場】
鳴海城跡公園及び
天神社専用の駐車場はありません。
近隣のコインパーキング利用となります。

【トイレ】
鳴海城跡公園内に男女別のトイレがあります。

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鷲津砦~織田信長が今川方の大高城と鳴海城の往来を遮断するために築いたとのこと。

丸根砦~織田信長が今川義元との争いの前線として 整備した砦とされています。

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