徳川家臣

松平昌久~元々は岡崎城を領し、松平清康に敗れた大草松平家の4代当主です。大草松平氏とは?

岡崎城



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【松平昌久】

松平 昌久 (まつだいら まさひさ)は、
戦国時代の三河国の武将です。
大草松平家の4代目当主。

【別名】
親光

江戸時代中期成立の系図集「諸家系図纂」は
松平昌久にあたる人物の名を親光としています。
なお「寛政重修諸家譜」などは
松平昌久の父の名を昌安としていますが、
菩提寺の大林寺の寺記は信貞を俗名、
昌安を法名としています。
信貞の名は「成瀬系図付録」所収の
永正8年11月付け判物写にも署名が残っています。

七郎

【主君】
松平家康

【氏族】
大草松平家

【父】
松平昌安

【兄弟】
昌久、於波留(松平清康室)
水野忠政室(水野信元・松平家広の妻の生母)

【子】
三光

大草松平家は元々岡崎城を領していました。
けれども父親の松平信貞(昌安)の代に
松平清康に敗れて岡崎を引き渡し、
以後従属したということです。

松平清康公の墓所(大樹寺)

永禄3年(1560年)、
松平清康・広忠・元康(家康)の
三代に仕えた孫の正親が
桶狭間の戦いで48歳で戦死しました。
永禄6年(1563年)、
三河一向一揆が起きると反徳川家康方に加わって
吉良義昭の東条城に籠城しました。
ただし大草松平氏は
西山浄土宗を宗旨としているため
反徳川家康の旗幟は信仰的要因ではなく、
一向一揆に直接加わった様子はないとのことです。
翌年の永禄7年(1564年)2月に
東条城が落ちると、
松平昌久は行方を晦ませたということです。

2023年NHK大河ドラマ
どうする家康」では
角田 晃広(かくた あきひろ)さんが演じられます。

【大草松平家】

大草松平家(おおくさまつだいらけ)は、
三河国額田郡大草郷
(現在の愛知県額田郡幸田町)出身の松平氏です。
岩津の松平信光の五男である
松平光重を祖としています。
十四松平・十八松平の一つとされています。
初めは岡崎松平家と称していました。

宗家に対抗的で、
3代・松平昌安(信貞・弾正左衛門)の時に
松平清康に叛しましたが敗れ、
4代である松平昌久は
三河一向一揆で一揆側に付きました。
このため大草松平家は一時追放されましたが、
再び一門に復し、
7代・松平康安の時、
徳川家康に忠を尽くして
旗本(6千石)となりました。
けれども9代の松平正永の代で
無嗣のため絶家となりました。




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【出自・沿革】
文明年間(1469⇒1487年)、
岡崎城主であった西郷頼嗣は
松平信光と争って敗れたので、
岡崎城を松平信光に譲り
自身は自領の大草郷に隠退しました。
この時、松平信光は五男である
松平光重(紀伊守・号榮金)に
西郷頼嗣の娘を娶らせ
岡崎城主として松平光重を
岡崎に分出させました。
その後、松平光重の嫡子である
松平親貞(左馬允)は無嗣のまま早世し、
西郷頼嗣の実子とされる松平信貞が
養子入りして松平親貞の跡を継ぎました。
松平信貞は一説には
実父の西郷姓に復して、
西郷弾正左衛門と称したとされていますが、
同族である安祥松平家の松平清康に
属城である山中城を略取されると
息女を室として婚姻関係を結んだうえで
額田郡大草郷に替え地を与えられています。
以後子孫は同地の大草城に
移住したので大草松平家と
呼ばれるようになりました。

【4代目】
松平信貞の子である松平昌久(七郎)は
これらの因縁から三河一向一揆に加担しましたが、
一揆軍が敗北したため
所領の大草を没収され、
これより一族は浪々の身となっていまいます。

【7代目】
6代である松平正親の
嫡男である康安が徳川家康の嫡男である
松平信康(徳川信康)の旗本として
復帰したとされています。
松平康安(石見守・善兵衛)は、
徳川家康の嫡子である松平信康(徳川信康)に、
仕え、徳川信康切腹後は徳川家康に仕えました。

【大番頭】
鉄砲射撃を得意とし、
足軽大将として対武田氏・北条氏戦で活躍し、
最初期の大番頭になります。
徳川家康死後、
2代将軍であった徳川秀忠より
6000石を給与されました。

【8代目・9代でラスト】
8代である松平正朝は徳川家康と
徳川秀忠に仕え、
後に駿河大納言・徳川忠長付きとなりましたが、
徳川忠長の改易・除封に連座して
所領を収公されてしまいました。
後に水戸徳川家に仕官して
家老になりましたが、
その子の正永は無嗣で絶家となりました。

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