松平家

安祥城~織田・松平・今川で激しい戦闘が幾度もあった城で三河安祥之七御普代の発祥地。

安祥城址



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【安祥城】

安祥城(あんじょうじょう、あんしょうじょう)は、
三河国碧海郡安城
(現在の愛知県安城市安城町)に
あった日本の城です。
城跡は安祥城址公園として整備されており、
安城市指定史跡となっています。
跡地には安城市歴史博物館及び
安城市民ギャラリーなどがあります。
安城城縄張り図

【別名】
安祥森城、安條古城、森城、安城城

【城郭構造】
平山城

【築城主】
和田親平

【築城年】
永享12年(1480年)

【主な城主】
和田氏、松平氏、織田氏

【廃城年】
永禄5年(1582年)

【遺構】
切岸・堀・曲輪

【指定文化財】
安城市指定史跡

【安祥城の歴史】
永享12年(1440年)、
三河国碧海郡周辺を支配していた
和田氏(畠山氏の一族と言われる)の
和田親平が築城したとされています。
なお安祥城築城以前は、
西隣の安城古城が
本拠地になっていました。
築城当初は居館でした。
安城城址 説明

「東照宮御実紀」巻一には
「畠山加賀守某が
安祥の城を攻め抜かれ」と
記載されているとのことです。
永享12年(1440年)、
畠山一族である和田親平が
築城したといわれ、別名を森城といい、
天守を持たない平山城で、安城町にあります。
戦国時代には、徳川氏の祖である
松平氏が居城しました。
現在、本丸跡に大乗寺、
二の丸跡に八幡社、
周囲に堀や土塁などが残っています。
安城城址

【家紋】
「新編柳営続秘鑑」
「十二巻・葵之御紋来由」
によりますと、
松平信光が、文明11年7月15日
(1479年8月2日)の安祥城攻めの時、
酒井氏の祖である酒井親清に、
三葵の葉の家紋を
与えたということです。
(その後、文亀元年(1501年)9月、
松平長親の時に今川方大将の
伊勢盛時(北条早雲)と
岩付の城下の岩津城下にて合戦勝利、
先陣の酒井左衛門尉・氏忠・
入道浄賢の働きを顕彰し、
松平信光が与えた三ツ葵の
酒井氏の家紋を奉還してもらい、
徳川家の家紋となったということです。
これ以後、酒井氏は、
葵紋に似た酸漿(カタバミ)の
家紋となったということです)。




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【安祥松平家の重要拠点】
大永4年(1524年)、
4代目の松平清康は、岡崎城を取得し、
松平氏の拠点を岡崎に移しましたが、
安祥城も、安祥松平家(徳川本家)の
重要拠点であり続けたのでした。
「徳川実紀」によりますと、
「御身は猶安祥におはしける。」
とあるとのことです。
安城城 大乗寺 本堂

【松平宗家の弱体化】
けれども天文4年(1535年)に
松平清康が家臣に殺され
森山崩れが起こると、
継嗣・松平広忠
一族の松平信定(広忠の大叔父)が
岡崎城から追放し実権を握ってしまいます。
が、翌年の天文6年(1536年)に
松平信定が岡崎城を退去したため、
松平広忠が再入城し、その後、
松平信定は許されます。
しかし、三河の諸豪族が相次いで離反し、
一族からも謀反が起こるなど
松平氏は弱体化していったのでした。

【第一次安城合戦】
天文9年(1540年)、
松平氏が弱体化したこの機に
尾張国古渡城主である
織田信秀が安祥城を攻撃し落城させ、
城代に織田信広を置きました。
また、織田信秀の攻撃は
失敗したと言う異説もあります。
その説によりますと、
天文13年(1544年)8月に
もう一度織田敏宗に攻撃させるも失敗し、
翌月、織田信秀が3度目の攻撃をして
ようやく落城させたとされています。

【第二次安城合戦と松平家の更なる弱体】
天文14年(1545年)、
松平広忠は安祥城を奪還するために出陣。
家臣は勝機は無いとして
攻撃の中止を進言したとのことですが、
松平広忠は聞き入れず戦いを挑みます。
しかし、織田勢の挟撃に合い大敗し、
松平広忠自身の命も危うくなりますが、
本多忠豊(本多忠勝の祖父)をはじめとする
家臣の奮戦によって
岡崎に逃げることが出来たのでした。
本多忠豊は松平広忠の
身代わりになって討ち死にしました。
この戦いに敗北したことによって、
松平氏の弱体化は、
決定的なものとなるのでした。

【今川家の傘下と広忠の死】
天文16年(1547年)、
織田氏の討伐軍が侵攻し、
それに耐えることが
出来ないと考えた松平広忠は、
やむなく今川氏に救援を求めます。
これに対し、今川氏の当主である
今川義元は人質として、
竹千代徳川家康)を引き渡すことを
要求します。
松平広忠はこれを受諾し、
竹千代を駿府に送りますが途中で
戸田康光に拉致され
尾張の織田氏に売られてしまいます。
しかし、これによって松平氏は
今川氏の傘下に
組み込まれることとなるのでした。
そして、天文18年(1549年)に
松平広忠は死去します。
松平広忠の死は諸説あります。
病死とされる説や
岡崎城内で岩松八弥に
暗殺されたという説があります。




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【今川氏の対応と第三次以降の安城合戦】
これに対する今川氏の対応はすばやく、
同年3月に太原雪斎率いる
約1万の軍勢で安祥城を攻め、
落城寸前まで追い詰めるも
城兵の奮戦によって失敗、
(第四次あるいは、第三次安城合戦)、
同年11月8日(11月26日)から
9日(11月27日)にかけて
再び攻撃し落城させたのでした。
(第四次あるいは、第五次安城合戦)

【徳川家康の御馬印】
「柳営秘鑑」の「巻ノ三」には、
徳川家康の扇の御馬印は
天文18年(1549年)の
安祥城攻めの時に討ち死にした
本多忠高に由来するとされています。
その子である本多忠勝が継承し、
文禄2年(1592年)に、
徳川家康の所望で馬印にしたとあります。

【人質交換】
このとき城代の織田信広を捕縛し、
織田家に奪われた竹千代と
人質交換をしました。
今川氏は攻略した安祥城に
天野景泰井伊直盛らを
城番として置き、
更に岡崎城にも城代を派遣して
三河国を統治しました。

【今川義元の死と清洲同盟】
この後、今川義元が桶狭間の戦いで横死し、
松平氏は独立します。
そして織田氏との間に
清洲同盟が締結されたことで
安祥城の前線としての価値が
薄れていきました。
永禄5年(1562年)ごろに
廃城となりました。
その後、小牧・長久手の戦いの時にも
兵が置かれました。

【城郭など】
舌状台地の先端に位置し
周囲を森と深田に囲まれていて、
その内側に土塁や堀があり、
天守を持たない平山城でした。
室町時代中期に築城され、
織田氏、今川氏、松平氏との間で
激しい戦闘が繰り広げられました。
「岡崎領主古記」に安祥森城、
「三河国二葉松」に安條古城・云城森、
という記載がありますが、
徳川の同時代史料
(「家忠日記」や
大久保の「三河物語」)には、
別名の森城なる記載はないとのことです。
「寛政重脩諸家譜」では
安城城とあります。
大乗寺(安城城址) 門

【徳川最古参の三河安祥之七御普代の発祥地】
徳川最古参の三河安祥之七御普代の
発祥の地でもあります。
三河安祥之七御普代とは、
酒井左衛門尉・大久保・本多・
阿部・石川・青山・植村、
または酒井・大久保・本多・
大須賀・榊原・平岩・植村を指します。
(「柳営秘鑑」)

信長公記に記載あり】
「信長公記」に
「三川の内あん城と云ふ城」
と記載されているとのことです。
織田氏が保有していた時代には
三河進出の牙城となりました。

【現在の安祥城】
現在は、地表上では
碑・塚・切岸・堀・一部曲輪などが
残るだけです。
本丸跡は寛政4年(1792年)以降、
大乗寺(了雲院)境内となっていますが、
昭和63年(1988年)から
数回の発掘調査が行われ、
境内地下にも戦国時代の
遺構が残っていることが
判明しています。
二の丸は八幡社、
三の丸は大乗寺の裏手あたりとなります。
安城城 大乗寺

【交通アクセス】
(鉄道)
名鉄西尾線「南安城」駅から徒歩15分程度。

(バス)
あんくるバス(市内循環バス)
「 1番系統安祥線(川島行き)」
⇒「歴史博物館」下車。

(徒歩)
JR「安城」駅より10~15分、
名鉄「南安城」駅より6分。

【所在地】
〒446-0026 愛知県安城市安城町赤塚1

【駐車場】
参拝者用の駐車場があります。




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【安城古城址】
起原は鎌倉時代に遡る古い城跡、
15世紀に安祥城に移転したとのことです。
現在は祠と解説板が立つのみで
遺構はほぼ見つかっていません。

駐車場はありません。

【所在地】
〒446-0026 愛知県安城市安城町社口堂

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