史跡・城跡

大谷摩崖仏~日本のシルクロード~国の特別史跡及び重要文化財、宇都宮家や亀姫が援助してきた古刹・大谷寺

大谷寺 入り口



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【大谷摩崖仏】


大谷磨崖仏(おおやまがいぶつ)は、
栃木県宇都宮市大谷にある磨崖仏です。
千手観音像、伝釈迦三尊像、伝薬師三尊像、
伝阿弥陀三尊像の4組10体の石心塑像が
4区に分かれて彫出されています。
このうち千手観音像は、
現在大谷寺の本尊でとなっています。
これらの石像は全て撮影禁止となっています。

臼杵磨崖仏(大分県臼杵市)と並び、
学術的に非常に価値の高い石仏とされています。
1954年(昭和29年)3月20日に
「大谷磨崖仏」として
国の特別史跡に指定され、
更に1961年(昭和36年)6月30日には
同名称で国の重要文化財(彫刻)に指定されています。

【大谷摩崖仏とは?】
大谷磨崖仏は、
栃木県宇都宮市大谷の御止山といわれる
凝灰岩の山の西南側にある
洞穴の壁面に造立された石心の塑像です。
この凝灰岩層は、
この地の特産物大谷石で知られています。

【石像についての説明】
壁面は4区に分けられています。
西に面する壁面の一区には
千手観音立像
(像高3.89メートル)が彫られており、
これが大谷寺の本尊となっています。

南に面する二区・三区・四区の彫像は、
それぞれ
釈迦三尊像、
薬師三尊像、
阿弥陀三尊像
と伝承されています。

【千手観音立像】
一区の千手観音立像は42臂を有し、
凝灰岩で概形を彫り出し、
細部を塑土で造形しています。
当初は大手42本の他に
小手を塑土で表していそうですが、
現状では剥落しています。

大谷観音

【二区】
二区の像は釈迦如来(像高3.54メートル)の左右に
文殊菩薩と普賢菩薩を配した
釈迦三尊像と伝えています。
ただし、右脇侍像(向かって左の像)は
合掌する僧形像で、
図像的に普賢菩薩像とは思われず、
本来の像名は未詳です。

【三区】
三区の像は薬師如来
(像高1.15メートル)の左右に
日光菩薩と月光菩薩を配した
薬師三尊像とのことです。
この像は風化損傷が著しくなっています。

【四区】
四区は阿弥陀如来
(像高2.66メートル)の左右に
観音菩薩と勢至菩薩を配した
阿弥陀三尊像とのことです。
二区と同様に右脇侍像は合掌する僧形像で、
本来の像名は未詳です。
なお、壁面には以上10体の仏像のほか、
座位の仏像と粘土を張り付けた立位の
仏像数体が確認されています。




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【造立時期】
大谷磨崖仏の造立時期は、
史料がなくはっきりとは
わかってはおりませんが、
千手観音像と伝薬師三尊像がもっとも古く、
伝釈迦三尊像がこれに次ぎ、
伝阿弥陀三尊像が
もっとも遅れての造立といわれています。
平安時代中期から鎌倉時代にかけての
制作と推定されています。
造立当時は金箔と彩色が施された
煌びやかな像であったと推定されており、
その後覆っていた漆や粘土が火災などで
剥離した部分も多いのですが、
保存状態は比較的良好です。

【文化財指定】
「大谷磨崖仏」の名称で
1926年(大正15年)2月24日に国の史跡に指定。
1954年(昭和29年)3月20日に
特別史跡に指定されました。
1961年(昭和36年)6月30には
「大谷磨崖仏 10躯」として
国の重要文化財(彫刻の部)に指定されています。

【周辺の遺跡及び施設】
【遺跡】
付近には大谷岩陰遺跡と呼ばれる
縄文時代の遺跡があります。
当時から人が生活していた痕跡が見られます。

【現代の摩崖仏】
また、現代になって大谷石を彫刻した
磨崖仏の平和観音像(像高26メートル)があります。
平和観音

【施設】
大谷資料館

【大谷寺】


大谷寺(おおやじ)は、
栃木県宇都宮市大谷町にある
天台宗の寺院です。
山号は天開山。院号は千手院。
本尊は千手観音で、
坂東三十三箇所第19番札所。
国の特別史跡および
重要文化財に指定されている
「大谷磨崖仏」の所有者となっています。

【歴史】
大谷寺は大谷石凝灰岩層の洞穴内に
堂宇を配する日本屈指の洞窟寺院です。
本尊は、凝灰岩の岩壁に彫られた
高さ4mの千手観音で、
一般には「大谷観音」の名で知られています。

<観音堂>
観音堂

【縄文時代の遺跡有り】
当寺周辺には大谷岩陰遺跡と呼ばれる
縄文時代の人の生活の痕跡が認められており、
大谷岩陰遺跡と称します。

大谷岩陰遺跡

空海が開山とされる】
また弘仁元年(810年)に
空海が千手観音を刻んで
この寺を開いたとの伝承が残っており、
定かではありませんが、
千手観音が造立された平安時代中期には
周辺住民等の信仰の地となっていたものと
推定されています。

【平安時代末期まで】
こうして、平安末期には
現代に残される主要な
磨崖仏の造立がほぼ完了。
鎌倉時代初期には
鎌倉幕府によって
坂東三十三箇所の一に定められたものと
推定されています。




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【鎌倉時代以降は宇都宮氏の保護下】
鎌倉時代に入ると、
大谷寺は宇都宮社の神職で
鎌倉幕府の有力御家人でもあった
下野宇都宮氏の保護の下で隆盛したと見られ、
1965年(昭和40年)の
大谷寺発掘調査において、
鎌倉時代の懸仏、
1363年(貞治2年又は正平18年)奉納の経石、
1551年(天文20年)と書かれた銅椀などが
出土しています。
けれども豊臣秀吉により
下野宇都宮氏が改易されると、
一時は衰退を余儀なくされてしまいました。

【江戸時代、奥平忠昌の援助】
しかし江戸時代に入って、
奥平忠昌が宇都宮城第29代城主に
再封された後の元和年間(1615年⇒1624年)、
慈眼大師天海の弟子であった
伝海が宇都宮藩主である
奥平忠昌の援助を得て堂宇を再建しました。
天海僧正は天文年間に
宇都宮城下の粉河寺で
修行した経歴を有しており、
徳川幕府が擁立された後、
徳川家康と代々の将軍家の援助により
上野寛永寺を建立したほか、
日光山貫主として堂宇再建を行っています。

【奥平忠昌公の祖母は徳川家康公の長女】
大谷寺を援助した
宇都宮城第29代城主・奥平忠昌の
祖母は徳川家康公の長女である亀姫です。
母親は築山殿(瀬名姫)で
同母兄には松平信康がいました。
父親が日光に祀られたところから、
江戸と日光の中継所として復興され、
伝海による中興を援助しました。
宇都宮城主である奥平忠昌の援助には
亀姫の尽力があったことと思います。
また奥平忠昌は父親が急逝したので
わずか7歳で家督を継いでいます。
亀姫はその後見役となり、
孫たちの面倒をよく見たそうです。

歴代日光輪王寺の
宮様の休憩所・宿泊所として利用され、
寺紋は、「菊の紋」と「葵の紋」があります。

<観音堂には葵の紋>
観音堂 葵の紋

その後、宝永年間にも
諸侯の援助により
堂宇建立を中心とした勧請が行われましたが、
その後の火事で多くの堂宇を焼失しています。

【指定文化財】
<大谷磨崖仏>
国の特別史跡及び重要文化財。

<銅鐘>
元禄8年(1685年)、
大谷寺中興の祖との一人と云われる
第4世応賢の依頼により
鋳物師の戸室定国が鋳造したものです。
小形、端正、古様の様式であることが特徴です。
昭和63年(1988年)4月3日に
県より有形文化財(工芸品)に指定されています。

<銅製灯篭>
享保元年(1716年)、
河内郡新里村の住民の寄進により
戸室元蕃が鋳造したものです。
巧みな意匠と安定感が特徴で、
昭和63年(1988年)3月22日に
市より有形文化財に指定されています。

<銅製鰐口>
寛文7年(1667年)に
鋳造された青銅製の鰐口。
作者は不詳です。
金属性鰐口としては市内最古とのことです。
耳が蕨手状になっていることが特徴で、
1996年(平成7年)3月22日に
市より有形文化財に指定されています。

<大谷岩陰遺跡>
大谷寺の洞窟に見られる古代遺跡です。
古代人が生活した痕跡が認められています。
洞穴内の深さ3mの地層から
屈葬された特に
ほぼ完全な形の縄文人の人骨が出土しました。
身長154cm、20代の痩せ型の男性です。
そのことから、
大谷寺の洞窟は元々は
縄文人の横穴式住居であったものと
考えられています。
1998年(平成10年)に
お茶の水女子大松浦秀治助教授らに
依頼した学術調査では、
放射性炭素法とフッ素法の二種類で
年代を測定した結果、
縄文時代草創期(約1万1千年前)
と判定されたとのことです。

なお、骨格から顔立ちの予想復元図が
寺の宝物館にありますが、
鼻筋が通っており、目鼻立ちがくっきりと整った
イケメンな顔立ちです。

大谷寺出土 縄文最古の人骨

<弁天堂 庭園>
弁天堂 庭園

<弁天堂と白蛇の由来>
弁天堂と白蛇の由来

<橋と弁天堂>
橋と弁天堂

<弁天堂と白蛇さん>
弁天堂と白蛇

【料金】
大人:500円(団体:400円)
中学生:200円(団体:150円)
小学生:100円(70円)
団体25名以上
※団体予約はなるべくFAXでお願いします、とのこと。
FAX:028-652-3656
※予約日時・人数・代表者名・携帯番号をご記入ください。

【拝観時間】
午前9時~午後4時30分
(受付は20分前に終了)

【休業日】
木曜日
毎年12月21日~31日

【御朱印】
御朱印は書置きのみの対応




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【参拝の際の注意事項】
◆新型コロナウイルス感染症拡大防止のため◆
風邪・発熱の症状がある方、
マスクを着用されていない方
の参拝はご遠慮、とのことです。
また、互いの距離をお取りください。

◆建物内は撮影不可です◆

【所在地】
〒321-0345 栃木県宇都宮市大谷町1198

【電話番号】
028-652-0128

【FAX番号】
028-652-3656

<場所>
青印は大谷寺及び駐車場の
出入り口付近です。

【交通アクセス】
<バス>
JR宇都宮駅西口・東武駅前
(東武宇都宮駅)バス停から
関東自動車(関東バス)
「立岩」行きに乗車約30分
「大谷観音前」下車、徒歩2分程度。
<車>
宇都宮環状道路駒生町交差点⇒
大谷街道を西進⇒
大谷交差点⇒栃木県道188号大谷観音線へ。
約10分程度。

【駐車場】
50台(大型バス用駐車場3台)
※参拝の方は駐車場料金が無料。
※乗車人数分の参拝料が必要。

他に宇都宮市営無料駐車場
(乗用車100台・バス10台)有り。

宇都宮城~800年の歴史を誇る関東七名城~宇都宮氏が築城し本多正純が築いた城下町

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根古谷台遺跡~縄文時代前期の集落遺跡~うつのみや遺跡の広場として

SL大樹に乗車しました!2020年7月4日より運行再開!!動画あり。

大福寺(崖観音)~千葉県最古の摩崖仏、漁師の安全と豊漁を祈願して奈良時代に彫刻と伝わります。

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