鎌倉殿の13人

山内首藤経俊~源頼朝からは無益な者との評価でも母のお陰で地位は保全されました。

杉本寺 池




山内首藤経俊

山内首藤 経俊(やまのうちすどう つねとし)は、
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての
武将及び御家人です。
相模国鎌倉郡山内荘を領していました。

【時代】
平安時代末期 – 鎌倉時代初期

strong>【生誕】
保延3年(1137年)

【死没】
嘉禄元年6月21日(1225年7月27日)

【別名】
滝口三郎

【官位】
刑部丞、刑部大夫・刑部大輔

【幕府】
鎌倉幕府 伊賀・伊勢守護

【主君】
源頼朝源頼家源実朝

【氏族】
秀郷流山内首藤氏

【父】
山内首藤俊通

【母】
山内尼
【兄弟】
俊綱、俊秀、経俊、家通、
俊弘

【子】
重俊、朝通、俊明、通直、通貞、
中山通基

【生い立ち】
保延3年(1137年)、
藤原秀郷の流れを汲む
刑部丞俊通の子として誕生しました。
母は源頼朝乳母であった山内尼です。
平治の乱は病のため参陣せず、
源氏方で戦った父である山内首藤俊通と
兄の山内首藤俊綱の戦死により家督を継ぎました。

安達盛長に暴言を吐く】
治承4年(1180年)8月の
源頼朝の対平家挙兵に際し、
源頼朝から乳母兄弟にあたる
山内首藤経俊にも加勢を呼びかける使者として
安達盛長が派遣されましたが、
山内首藤経俊は要請に応じず、
それどころか暴言を吐いたということです。
(「吾妻鏡」7月10日条)。
なお三井寺にいた山内首藤経俊の兄弟である
刑部房俊秀は、
源頼朝挙兵に先立って以仁王の挙兵に加わり、
南都に落ち延びる道中で討ち死にしています。
(「平家物語」)

【源頼朝に向けて放った矢】
山内首藤経俊は平氏方の大庭景親の軍に属して
石橋山の戦いで源頼朝に矢を放っています。
大庭景親降伏後の10月23日に
源頼朝軍に捕らえられて山内荘を没収され、
土肥実平に身柄を預けられました。
11月26日、
山内首藤経俊は斬罪に処せられる事が
内々に決められます。
母である山内尼が源頼朝の許を訪れ、
涙ながらに父祖である
山内資通入道が源義家に仕え、
源為義の乳母父であった事など
源氏への奉公を訴えて息子の
山内首藤経俊の助命を求めました。
けれども源頼朝はそうした山内尼に対し、
山内首藤経俊が自分に放った矢の刺さった、
当時自身が着用していた
鎧の袖を見せると、
山内尼はそれを見ると顔色を変えて
さすがにその場は引き下がったとのことです。
が、結局、山内首藤経俊は赦されて
源頼朝に臣従するようになりました。

【伊勢国守護に】
その後、元暦元年(1184年)5月の志田義広、
7月の平家残党の反乱の追討に出陣しました。
この年に伊勢国守護となっています。
また大内惟義の後を受けて
伊賀国の守護も兼ねており、
特に戦功もない山内首藤経俊に
このような重任が課された理由としては、
ひとえに源頼朝の乳母子であるためと考えれます。





【失態を重ねても乳母兄弟で地位は保全される】
翌年の文治元年(1185年)4月、
源頼朝の怒りを買った
無断任官者24名の内の1人になり、
源頼朝からは
「官職を望んでも役に立たない者である。
無益な事だ」と罵倒されてしまいました。
ここまで失態を重ねた上に、
源頼朝からの人物評価は低いのですが、
それでも乳母兄弟である
山内首藤経俊の地位は保全されたのでした。
その後、源義経の家臣である
伊勢義盛と交戦してこれを破ります。
奥州合戦、源頼朝の上洛にも
おともの行列に加わっています。

平泉 毛越寺

【伊勢・伊賀の守護職の罷免】
源頼朝死後の梶原景時弾劾に参画しました。
元久元年(1204年)、
伊勢・伊賀で平氏の余党の
平盛時らが起こした、
三日平氏の乱で
山内首藤経俊は
平氏残党の反乱鎮圧に失敗した事により、
伊勢・伊賀の守護職を罷免されました。
両国の守護職は山内首藤経俊が
守護所から逃亡した後に
乱を鎮圧した平賀朝雅に移されました。

【復職ならず】
その後、平賀朝雅は失脚し、山内首藤経俊の子の
六郎通基に殺害されたのでした。
その後、職の回復を願いましたが
許されなかったとのことです
(「吾妻鏡」同年9月20日条)。

【最後の記録】
「吾妻鏡」では
建保4年(1216年)7月29日に
源実朝に供奉して相模川に赴いた記録が最後となります。

【長寿を全うする】
嘉禄元年(1225年)6月21日、死去。
享年は89歳というご長寿でした。
(「山内首藤氏系図」)

【山内首藤氏】

山内氏の祖は
美濃国席田郡の郡司を務めていた
守部氏の後裔であると考えられています。
平安時代後期に入って藤原氏を名乗り、
藤原秀郷の後裔を称するように
なったとのことです。
首藤資清の代になって
首藤氏を名乗り、源氏の郎党となりました。
首藤資清の子である首藤資通は
源義家に従って後三年の役で活躍しましたが、
首藤資通の曾孫である山内首藤俊通が
相模鎌倉郡山内庄を領した際に
山内姓を名乗り、
山内首藤氏と呼ばれるようになったとのことです。
山内首藤俊通の妻である山内尼は
源頼朝の乳母となり、
その子供である
山内首藤経俊は頼朝の乳兄弟となったのでした。





なお、山内首藤経俊の孫にあたる
山内首藤宗俊の4男の山内首藤清俊は、
寛元1年(1243年)に母鶴熊から
熊野山領相模国愛甲庄・上総国畔蒜南北庄領主職、
備中国穂太庄預所并下司職を譲渡され、
一族としての所領を一挙に増やしています。

【備後山内氏】
山内首藤氏は承久3年(1221年)に
蓮華王院領の
備後国地毗庄(現広島県庄原市)の地頭に、
さらに延慶元年(1308年)に
山内首藤経俊の曾孫に当たる
山内首藤時通の2男である
山内首藤通綱の子どもの山内首藤通資は、
領家から地毗庄本郷の
年貢徴収を地頭請により請け負いました。
山内首藤通資は、正和5年(1316年)に
一族を率いて所領の地毗庄に下向し、
本郷を中心に同地で勢力を築きました。
この系統は以降、
備後山内氏と呼ばれるようになりました。

【室町時代】
室町時代には守護山名氏の下で
備後の守護代を務めましたが、
応仁の乱以後、山名氏の力が衰えたのに乗じ、
備後で独自の勢力を築いていきました。

【戦国時代~江戸時代】
戦国時代の当主である山内直通の孫の
山内隆通の代には安芸毛利氏に仕え、
江戸時代には長州藩の家老として存続しました。

【土佐山内氏】
備後山内氏の分家で、
山内宗俊の5男である山内俊家を
祖と考えていましたが、
真相については定かではなく
現在のところは有力な資料はありません。
戦国時代、まだ池田恒興前田利家
柴田勝家佐々成政が下級武士だったころ、
山内盛豊は尾張国守護代の
織田氏嫡流の岩倉織田家に家老として仕え、
黒田城主でもありました。
けれどのも山内盛豊は、
当時山内氏よりも下位にあった
清洲三奉行の一つ、
清洲織田家当主織田信長
侵攻され自害して果てました。





山内盛豊の息子である山内一豊と山内康豊は
裸一貫となって流浪することになりました。
山内一豊が織田信長、のちに豊臣秀吉に仕えて
遠江国掛川5万9千石を領する大名となりました。

山内一豊と妻の像

山内一豊の死去後、
養嗣子となっていた山内康豊の長男である
山内忠義が土佐2代藩主に就任しました。
けれども就任時の山内忠義は若年だったため、
山内康豊が2年間ほど後見人を務めたとのことです。
そして幕末の四賢侯の一人でもある
山内豊信(容堂)を輩出することになるのです。

2022年NHK大河ドラマ
鎌倉殿の13人」では
山口 馬木也(やまぐち まきや)さんが演じられます。

源頼朝の生涯~武家政治の創始者~武家源氏の主流の御曹司でイケメンだったそうです。

源義朝の墓(鎌倉)、忠臣の鎌田政家(政清・政長)と共に眠るもう一つのお墓。

勝長寿院跡、源頼朝が建立した源氏の菩提寺で大御堂といいます。当時の鎌倉の三大寺社の一つでした。

源実朝~3代将軍にて天才歌人~繊細で思慮深く秘めた志あり、やがて雪の中に散っていく。

安達盛長~源頼朝を流人時代から支え続け厚い信頼を得た人物。

土肥実平とその妻~武士団「中村党」の中心であり頼朝から厚い信頼を受けた宿老~小早川家の祖。

梶原景時~鎌倉ノ本体ノ武士~文武両道で実務能力の高さ故に疎まれやがて滅ぶ。

大庭景親~坂東八平氏の鎌倉氏の一族~最期まで平家に忠誠を尽くした人物です。

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