史跡・城跡

須我神社~日本初之宮で和歌発祥の地と伝わっています。かつては海潮(うしお)郷でした。

須我神社 島根県




【須我神社】

須我神社(すがじんじゃ)は、
島根県雲南市大東町須賀にある神社です。
旧社格は県社。
須佐之男命が八岐大蛇退治の後に
建てた宮殿が神社になったものと伝え、
「日本初之宮(にほんはつのみや)」としています。
出雲國神仏霊場第十六番。
延喜式には記載されていません。

日本初之宮(にほんはつのみや)

【ご祭神】
須佐之男命と
妻の稲田比売命、
両神の子である清之湯山主三名狭漏彦八島野命
(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと。八島士奴美神)
を主祭神としています。
諏訪大社の分霊の武御名方命を配祀しています。

<八島士奴美神>
八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)は日本神話に登場する神。
「古事記」において、
八島士奴美神から遠津山岬多良斯神まで
十五柱を指す十七世神(とおまりななよのかみ)
の初代とされています。
須佐之男命の子である国津神。
大年神や宇迦之御魂神の異母兄にあたります。

「日本書紀」においては
「清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠」
(すがのゆやまぬしみなさるひこやしましの)、
「清之繁名坂軽彦八嶋手命」
(すがのゆいなさかかるひこやしまでのみこと)、
「清之湯山主三名狹漏彦八嶋野」
(すがのゆやまぬしみなさるひこやしまの)
などの名称で記述されています。

「先代旧事本紀」では
八島士奴美神の別名を大己貴神とし、
粟鹿神社の書物「粟鹿大明神元記」では
蘇我能由夜麻奴斯弥那佐牟留比古夜斯麻斯奴
(そがのゆやまぬしみなさむるひこやしましぬ)
と記述されているとのことです。

<粟鹿(あわが)神社>
但馬国随一の古社であり、
2000年以上の歴史があるとも言われています。
日下部氏との関係が深いそうです。

粟鹿とは、鹿が粟を三束くわえて
山(粟鹿山)から現れ、
人々に農耕を教えたことからつけられ、
粟鹿神社にその鹿が祀られていると言うことです。

<言葉の意味>
「八島」は「多くの島々」、
「士」は「知」(領有する)、
「奴」は「主」、「美」は「神霊」と解し、
名義は「多くの島々を領有する主の神霊」と考えられています。





【歴史】
境内由緒書きには以下のように
記されているとのことです。

「古事記」によりますと、
須佐之男命は八岐大蛇を退治した後、
妻の稲田比売命とともに住む土地を探し、
当地に来て
「吾此地に来まして、我が心須賀須賀し」

「気分がすがすがしくなった」として

「須賀」と命名しました。
そして宮殿が出来上がった時に、
美しい雲が立ち上がるのを見て

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣つくる その八重垣を
(やくもたつ いずも やえがき つまごみに 
やえがきつくる そのやえがきを)」

と御歌を詠みました。

三十一文字和歌発祥の地、
さらにはこの御歌の出雲が
出雲の国名の起源ということです。

そしてこの地に宮殿を建てて鎮まりました。
これが日本初の宮殿ということで
「日本初之宮」と呼ばれ、
この時に須佐之男命が詠んだ歌が
日本初の和歌ということで、
「和歌発祥の地」とされています。

天平5年(733年)、
「出雲国風土記」大原郡条に記載されている
「須我社」に比定されています。
風土記の時点では神祇官の管轄ではなく、
延長5年(927年)の延喜式神名帳には
記載されてはいないそうです。
本来の祭神は大原郡海潮郷の
伝承に登場する須義禰命でしたが、
記紀神話の影響により
須佐之男命に結び付けられたとも
考えられているそうです。

須我神社 境内

【須義禰命(スガネノミコト)が登場する神話伝承】
須我神社や三笠(牛尾)城跡がある辺りは昔は
大原郡海潮(うしお)郷と呼ばれていました。
その大原郡海潮郷の地名由来として以下の
神話伝承があります。

加茂町宇治の宇能治神社に祀られてい
る宇能治比古命(ウノジヒコノミコト)が
海潮にいる親神の須義禰命(スガネノミコト)
に恨みをもち、日本海の海水を押し上げて
親神を漂わせてしまったというのが
海潮郷の地名の由来とされています。

古代、「川」は神々の通り道として認識されていました。
代表的な例が何と言ってもの
「古事記」のヤマタノオロチ退治の前段です。

肥河上(斐伊川)に降り立った
スサノオノミコトが、
川上から流れてきた箸を見て川を遡り、
足名椎、手名椎の親子と出会うというエピソードです。

大雨で洪水になった時、
赤川の水が逆流することがあったために、
このような伝承が生まれた
可能性があるかもしれません。

なお、宇能治比古命(ウノジヒコノミコト)は
(今は宇能活比古命(うのちひこのみこと))
三笠(牛尾)城跡の登城入り口にある
海潮神社の主祭神です。

海潮神社 三笠(牛尾)城跡 登城口

【牛尾は海潮・・かも】
鎌倉時代に信州諏訪からきた中沢氏が
牛尾荘に入りやがて牛尾氏になった・・とのことですが、
「牛尾」は元は「海潮」だったかもしれませんね。

三笠(牛尾)城跡 登城口 海潮神社

磐座
背後にある八雲山には、
夫婦岩と呼ばれる巨石と小祠があり、
当社の奥宮となっています。
そこは須我神社奥宮
(磐座=いわくら)として祭祀信仰されています。

【磐座はパワースポット】
2つの岩が寄り添うように並んでいるその傍らに
もう一つ小さな岩があります。
大きなものからスサノヲノミコト、
櫛名田比売命(クシナダヒメ)、
二神の子である清之湯山主三名狭漏彦八島野命
(スガノユヤマヌシミナサロヒコヤマノミコト)
であると言われています。

そこに立つとすがすがしい気持ちになれると、
地元のひとの信仰のよりどころの
ひとつとなっているそうです。

この巨石は磐座であり、
元は須賀の地の総氏神として
信仰されていたものとのことです。

本社と奥宮との二宮言詣りの習わしがあります。





【再び信濃より・・・】
天文年間(1532年 –1554年)、
当地に地頭として信濃国諏訪から中沢豊前守が赴任し、
信仰していた諏訪大社の武御名方命を
勧請して須我神社に合祀しました。
以降長らくの間「諏訪大明神」と称され、
一帯の地名も「諏訪村」とされていました。
明治22年(1889年)に地名・社名ともに須我になりました。
明治25年(1892年)に県社に列しました。

【神紋】

【摂末社】
◆海潮神社
天神神社、大石神社、山神神社を合祀。
◆若宮神社
稲荷神社、秋田神社、火守神社、琴平神社、木山神社を合祀。
◆弁護荒神社
神木。
◆虚空社
隣接する寺院(普賢院)の境内との境界付近にある。
◆御親神社、社日神社、義綱神社
境内の奥に鎮座する。
◆夫婦岩
奥宮。

【主な行事】
2月17日 – 百手の的神事
6月30日 – 茅之輪神事
8月22日
茣蓙替祭
八雲祭
9月27日 – 鹿食神事
9月28日 – 例大祭

【鹿食神事】
例祭の前夜祭の後に神楽殿において
宮司、神職、伶人(雅楽を演奏する者)
たちによって執り行われます。
周囲の灯火が消され、
殿内のわずかな明かりの中で
祭事が進行します。
神饌としてかつては
鹿の頭が供えられていましたが、
現在では茄子の実を輪切りにしたものを
鹿の頭に見立てて供えられます。
国家安泰、五穀豊穣を祈る神事とのことです。
諏訪大社の分霊が
合祀されたことによって
始められたと考えられています。
江戸時代には鹿食免も出されていたということです。

【交通アクセス】
◆JR松江駅から一畑バス大東行き須賀下車
徒歩3分
◆JR出雲大東駅から一畑バス松江行き須賀下車

【所在地】
〒699-1205 島根県雲南市大東町須賀260

三笠(牛尾)城跡・島根県~尼子十旗で尼子再興軍の拠点の城。城主は牛尾氏。

熊野城~尼子十旗のひとつで月山富田城の防衛の要

関連記事

  1. 土岐高山城 土岐高山城跡(土岐高山城跡の森)・甲斐や尾張との境界を巡っての攻…
  2. 山木判官平兼隆館跡 山木判官平兼隆館跡~源氏再興の狼煙はここから始まりました。
  3. 近江八幡 八幡堀 豊臣秀次が築いた八幡山城と八幡堀~近江八幡~
  4. 有岡城跡 荒木村重と残された女性や家臣たちの悲惨な最期~有岡城の戦い~
  5. 今福薬医門公園 今福薬医門公園に行ってみよう!祖先は武田氏家臣。四季折々のお花見…
  6. 戸定邸 戸定邸・戸定が丘歴史公園~富士見百景~戸定邸は重要文化財で庭園は…
  7. 鎌倉幕府政所跡 鎌倉幕府の政所跡について
  8. 清水谷製錬所跡と山吹城 石見銀山の歴史・日本最大の銀山~世界遺産「石見銀山遺跡とその文化…

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

おすすめ記事

  1. 宇龍城跡~奥出雲産の鉄の積出港として大変栄えた宇龍の湊。 宇龍城跡 登城口

ピックアップ記事

  1. 大胡城跡 本丸へ
  2. 石浜神社(石浜城跡候補)
  3. 米子城跡
  4. 修善寺城跡
  5. 夕方の岐阜(稲葉山)城
スポンサーリンク

スポンサーリンク
PAGE TOP