城跡

犬山城 ~現存天守12城・日本100名城・国の史跡で国宝、木曽川沿いの丘上にある美しい城です。

犬山城 天守



スポンサーリンク



犬山城

犬山城(いぬやまじょう)は、
尾張国と美濃国の境、
木曽川南岸の地「犬山」にあった
日本の城です。
現在の場所で愛知県犬山市にあり、
天守のみが現存し、
江戸時代までに建造された
「現存天守12城」のひとつとなります。
犬山城 遠景

また天守が国宝指定された
5城のうちの一つとなります。
ちなみにあと4城は
姫路城松本城彦根城松江城です。
城跡は「犬山城跡」として、
国の史跡に指定されています。
日本で最後まで個人が所有していた城
(2004年まで個人所有)です。
犬山城 図解

犬山城 図解 説明

【別名】
白帝城

【城郭構造】
平山城

【天守構造】
複合式望楼型 3層4階地下2階
(1620年改)

【築城主】
織田信康

【築城年】
天文6年(1537年)

【主な改修者】
成瀬正成

【主な城主】
織田氏豊臣氏、石川氏、
平岩氏、成瀬氏

【廃城年】
明治4年(1871年)

【遺構】
現存天守、石垣、土塁

【指定文化財】
国宝(天守)
国の史跡

【再建造物】
櫓、門(模擬)
犬山城 再建造物
櫓、門(模擬)

【概要】
尾張国と美濃国の境にあり、
木曽川沿いの高さ約88mほどの丘に
築かれた平山城となります。
木曽川(犬山城 天守より)

別名の白帝城は
木曽川沿いの丘上にある
城の佇まいを長江流域の丘上にある
白帝城を詠った李白の詩
「早發白帝城」(早に白帝城を発す)
にちなんで荻生徂徠が命名したと
伝えられています。
犬山城 丘上

前身となる岩倉織田氏の砦を
織田信長の叔父である
織田信康が改修して築いた城であり、
その後、池田恒興や織田勝長が入城、
豊臣政権の時に
石川貞清(光吉)が改修し、
現在のような形となりました。
また、小牧・長久手の戦い
関ヶ原の戦いにおける
西軍の重要拠点となりました。
犬山城 主郭の構造

江戸時代には尾張藩の付家老の
平岩親吉が入城し、成瀬正成以来、
成瀬氏9代が明治まで
城主として居城としました。
現存する天守が建てられた
年代については天文期説、
慶長期説などが
ありますが、
現在のような姿となったのは
成瀬正成が改修した
元和3年(1617年)ごろです。
<大手道>
犬山城 大手道

2004年(平成16年)3月末日までは
日本で唯一の個人所有の城でしたが、
同年4月1日付けで設立された
財団法人犬山城白帝文庫
(現在は公益財団法人)に
移管されています。
2006年(平成18年)4月6日には、
日本100名城(43番)に選定されました。
犬山城 天守と紅葉
日本100名城

【犬山城の歴史】
【室町時代】
文明元年(1469年)築城。
応仁の乱の最中に
岩倉織田氏当主である
織田敏広の弟・織田広近が
この地に砦を築いたのが
始まりとされています。
犬山城 天守への道1
文明7年11月(1475年12月)
織田敏広は京都から西軍の斯波義廉と
共に尾張に帰還し、東軍の斯波義敏、
織田敏定(清洲織田氏)
との戦いを優勢に進めましたが、
明応5年(1497年)に
同盟関係にあった美濃守護代の
斎藤妙純が近江で戦死したため、
岩倉織田氏の勢力は衰退しました。




スポンサーリンク



天文6年(1537年)
清洲三奉行の織田信秀の弟である
織田信康は居城の木ノ下城を廃し、
現在の位置に城郭(乾山の砦)を
造営して移りました。
現存する天守の2階までは
このころ造られたと考えられています。

天文13年(1544年)
織田信康が斎藤道三との戦い
(加納口の戦い)で戦死し、
子の織田信清が城主となりました。
犬山城 天守への道2
永禄7年(1564年)
織田信清は織田信長と対立して敗れ、
甲斐に逃れました。
以後、池田恒興
織田勝長などが城主を務めました。

【安土桃山時代】
天正10年(1582年)
本能寺の変後、尾張国を領有した
織田信雄配下の中川定成が城主となりました。

天正12年(1584年)
小牧・長久手の戦いでは、
織田信雄方と見られていた
大垣城主・池田恒興が突如奇襲をかけ、
織田信雄方から奪取します。
これにより、犬山城は
尾張国における西軍の橋頭堡となり、
さらに羽柴秀吉は本陣を敷いて
小牧山城の徳川家康と対峙しました。

天正15年(1587年)
織田信雄に返還されました。

天正18年(1590年)
織田信雄が改易されると
豊臣秀次の領地となり、
その実父である三好吉房が
城代を務めました。

文禄4年(1596年)
豊臣秀次が切腹すると、
石川貞清が城主となりました。
石川貞清は城の改築を行ない、
この際の建築用材は
美濃金山城の建物の
一切を解体移築したという
「金山越」の伝承がありましたが、
昭和36年(1961年)の
解体修理の際の調査の結果、
移築の痕跡がまったく発
見されなかったため、
移築説は現在は否定されています。




スポンサーリンク



慶長5年(1600年)
関ヶ原の戦いでは
岐阜城、竹鼻城などと共に
西軍の拠点となり、
稲葉貞通、稲葉方通、加藤貞泰、
関一政、竹中重門らが附属されましたが、
岐阜城が落城すると
石川貞清を残して東軍に移りました。
一方の石川貞清は犬山城を放棄し
関ヶ原に参陣し敗北しましたが、
東軍についた木曽衆の山村良候らを
犬山城で解放したことが評価され
助命されました。
犬山城 天守への道3
慶長6年(1601年)
小笠原吉次が城主となりました。

【江戸時代】
慶長12年(1607年)
平岩親吉が城主となりました。

成瀬氏を祀る犬山神社は
犬山城の西御殿
(平岩親吉の屋敷を移築した建物)
が存在した場所となります。
犬山神社 鳥居 西御殿

元和3年(1617年)
平岩親吉没後6年間、平岩親吉の甥である
吉範が城主を務めたのち、
尾張藩付家老の成瀬正成が城主になり、
天守に唐破風出窓が増築されました。
以後江戸時代を通じて
成瀬家9代の居城となりました。
犬山城 廓之図

<犬山神社>
成瀬正成を初代とする、
犬山城歴代城主(成瀬氏)が
ご祭神となります。
犬山神社

元和6年(1620年)
天守の大改修が行われました。

<三光稲荷神社>
犬山城主成瀬家の守護神とのことです。
「国宝 犬山城」の石碑の後ろです。
三光稲荷神社(犬山城)

【明治時代】
明治元年(1868年/1869年)
犬山城の松ノ丸本丸門が、
浄蓮寺(一宮市千秋町穂積塚本郷内に所在)
に払い下げられ、移築されて
山門として再利用されました。

明治4年7月14日(1871年8月29日)
廃城。この日、全国で廃藩置県が断行。
これに前後して全国各地の
城郭の多くは
廃城・破却処分となっていき、
犬山城も例外とはならず、
天守を除いて櫓・城門など
ほとんどが取り壊されたのでした。

明治9年(1876年)
犬山城から払い下げられた
各所の城門が、
複数箇所の寺院に移築され、
山門などとして再利用されます。




スポンサーリンク



明治24年(1891年)10月28日
濃尾地方で濃尾地震が発生し、
犬山城では天守の東南角の付櫓が
壊れてしまいました。

明治28年(1895年)
愛知県から旧犬山藩主・成瀬正肥へ
条件付き無償譲渡されました。
条件は修復等でした。
修復の際、現存天守及び
石垣に紋が入れられましたが、
別の家紋が誤って入れられた
可能性が高いとのことです。

【昭和時代】
昭和10年(1935年)
犬山城天守が、
当時の国宝保存法に基づき、
当時の国宝
(旧国宝。現法制下では
重要文化財に相当)に指定されました。

昭和15年(1940年)5月3日
「短刀 銘左安吉作 正平十二年二月日」が、
国の重要文化財に指定。

昭和27年(1952年)3月29日
犬山城天守が、
文化財保護法に基づき、
改めて国宝
(新国宝。現法制下の国宝)
に指定されました。
国宝 犬山城

昭和34年(1959年)9月27日
伊勢湾台風が当地を直撃し、
犬山城も大きな被害を受けました。

昭和36年(1961年)
犬山城の解体修理が始まり、
昭和40年(1965年)に完了しました。

【平成時代】
2001年
「犬山城下町地区(どんでん舘、大本町通り)」で、
手づくり郷土賞(地域整備部門)受賞。

2004年4月1日
犬山城の所有者が
個人から法人に変わりました。
犬山城は成瀬家(犬山成瀬家)の当主が
城主として個人所有する物件
(現代的価値では国宝である文化財)でしたが、
係る所有形態では
保持に大変な困難を伴うことから、
犬山成瀬家は個人所有を断念し、
一族の中から城主に選ばれた
成瀬淳子(犬山成瀬家第13代当主・
成瀬正浩の妹)が、
この日、財団法人犬山城白帝文庫を
設立して理事長に就任し、
この時をもって犬山城は
法人所有となりました。

2006年4月6日
犬山城が、日本城郭協会主催の
「日本100名城」に選定されました。
スタンプ設置場所:犬山城管理事務所
(犬山城内門2階の管理事務所)
午前9時~午後5時
(入城は午後4時30分まで)

2010年
手づくり郷土賞大賞受賞。

2014年
天守の部分修理が行われました。

2013年4月1日
財団法人犬山城白帝文庫が、
公益財団法人犬山城白帝文庫へ移行。

2017年7月12日
天守の鯱の損壊が判明しました。
当日の落雷が原因とのこと。
2018年に修理完了。
「天守」節にて詳説。

2018年2月13日
犬山城跡が国の史跡に指定されました。




スポンサーリンク



令和時代】
2019年
耐震工事。

2020年3月下旬
2017年の落雷により
破損した鯱の胴体部分が
天守の北東約30mの地点で
発見されました。

2021年7月から
犬山城南側の発掘調査を行っており、
このほど絵図に描かれていた堀などが
良好な状態で地中に
残っていたことが分かりました。

【天守】
犬山城の天守は、
外観3重、内部は4階、
地下に踊場を含む2階が付いています。
天守南面と西面に
平屋の付櫓が付属する複合式で、
入母屋2重2階の建物の上に
3間×4間の望楼部を載せた
望楼型天守となります。
犬山城 天守(模型)
窓は突上窓と火灯窓、
両開き窓なと、
地階1・2階出入口を含めて、
総延面積は698.775平方メートルに達します。
犬山城 天守 内部 窓

天守台石垣は野面積という積み方で、
高さは5mあります。
天守の高さは19mあるとのことです。
犬山城 天守閣

成瀬家7代の当主正壽が
オランダ商館長と親しかったことから、
天守の最上階に絨毯を敷いたと
伝えられており、
昭和の修理で再現されました。
天守閣 最上階からの犬山城下

なお、2017年7月12日16時過ぎ、
鯱が胴体から尾にかけて大きく
破損しているのが見つかりました。
天守の北側にある
避雷針が曲がっており、
この日は午後から
雷雨が降っていたため、
犬山市は落雷が原因
とみています。
鯱は瓦製で作り直されて、2
2018年2月26日に
天守へ設置されました。
同年3月17日に
記念式典が開かれました。

<つけ櫓>
犬山城 天守 つけ櫓

<上段の間>
犬山城 天守 上段の間

【天守の創建の時期】
昭和36年から昭和40年に
行われた犬山城天守の解体修理と
古文献等から、
この天守は下の2重2階の主屋が
天文6年(1537年)または、
慶長6年(1601年)に建てられ、
元和6年(1620年頃に3、4階を増築。
その後唐破風の付加などが行われて
現在の姿になったと考えられていました。

2019年から犬山市の依頼で
名古屋工業大学大学院などが行った
建築材の年輪年代法による調査では、
柱やはり、床板など、
天守の主な建築材は1585年からの
3年間に伐採されたものと判明し、
当初から1階から4階まで
現在のような姿で
建築されたものとみられると
報告されました。
犬山城 天守 内部

<天守閣ご見学の注意>
最上階には転落防止などの
フェンスがありません。
また、床が斜めになっており、
通路も狭く、靴を脱いでいるので
滑りやすいです。
そのため、特に混雑時には
より一層の注意が必要です。
押すことなく、流れに逆らわずに
ご見学ください。
特に小さいお子様や、
足腰に不都合のある方は
更なるご注意をなさってください。
フェンスがない分、
天守最上階からの眺めは
とても良い眺めです。
天守に登ると小牧城、
岐阜城がよく見えます。




スポンサーリンク



【現存する5つの門】
8つの門の内5つの移築門が現存しています。
天守北東側の瑞泉寺山門・搦手の内田門
常満寺山門・松の丸裏門
専修院東門・二の丸矢来門
徳林寺山門・第一黒門
浄蓮寺山門・松の丸本丸
と車で移動すると約1時間とのこと。
常満寺は近くのコインパーキング、
瑞泉寺、専修院と徳林寺は
駐車場があるとのことです。
<黒門跡>
犬山城 黒門跡

【営業時間】
開城時間:午前9時
閉城時間:午後5時
最終入城時間:午後4時30分
犬山城 天守閣入口

【料金(入城料・見学料)】
一般:550円
小中学生:110円
団体割引あり(30名以上)
セット券あり
※料金については、現地にて最新情報をご確認ください。
犬山城 券売所

【休み(休城日・休館日)】
12月29日〜12月31日
展示物の変更・整理期間

【トイレ】
本丸内にあり

【所在地】
〒484-0082 愛知県犬山市犬山北古券65−2

【電話】
0568-61-1711

【交通アクセス】
(電車)
名鉄「犬山遊園駅」西口より徒歩約15~20分
名鉄の往復切符との組み合わせがオトクとの情報アリ。
(車)
東名高速道路「小牧」ICから30分程度
中央自動車道「小牧東」ICから30分程度。

【駐車場】
犬山城第1駐車場
(140台、1時間300円、1日最大1800円)
犬山城第2駐車場
(123台、1時間300円、1日最大1800円)
犬山城第3駐車場
(150台、1時間200円)
※料金については、現地にて最新情報をご確認ください。

滞在所要時間:1時間~2時間30分程度

織田信長について~駆け足で手短にわかる織田信長の49年の華麗で残酷な生涯

織田信秀とは 織田信長の父親~配下の清洲三奉行から戦国大名となり、信長に託す!

羽柴秀吉(豊臣秀吉・木下藤吉郎)下層民から天下人の生涯を手短に!

織田信雄~織田信長の次男、散々な目に遭うも長生きしその血筋は明治維新まで受け継がれました。

池田恒興~織田信長とは乳兄弟で育ち幼馴染、最古参の家臣となり、長久手にて戦死します。

長久手城~長久手の戦いの前哨戦の岩崎城の戦いで奮戦した加藤忠景(加藤景常)の居城です。

羽黒城~梶原景時の孫である梶原景親が築城し尾張梶原氏として存続するも「本能寺の変」にて殉じ、滅亡しました。

美濃金山城跡~森蘭丸の生誕地~森可成・森長可・森乱丸(蘭丸)・森忠政と斎藤正義

小牧山城(小牧城)~織田信長が初築城し、小牧・長久手の戦いでは徳川家康が本陣を置きました。

長久手古戦場公園~徳川家康VS羽柴秀吉の小牧・長久手の戦いのうち主戦場となった長久手の戦いの場所。
 
平岩親吉~徳川家康に幼年から仕え、嫡男の松平信康の傅役、名古屋城築城の総指揮官となりました。

西尾公園~蒸気機関車 C12形230号機が静態保存されています。

リニア・鉄道館~名古屋市にあるJR東海が開館した鉄道保存展示施設です。

博物館明治村~明治期建造物を堪能、特筆すべきは明治期製造の動く蒸気機関車と市電に乗車できることです。

永保寺~開山は鎌倉時代、庭園は国の名勝で特に紅葉の時期が素晴らしい寺院です。

名古屋城~日本100名城、特別史跡、日本三大名城、名勝、金鯱、起源は今川氏が築城し織田信秀・信長が居城した那古野城でした。

岡崎城(日本100名城)~徳川家康の誕生地の城で岡崎公園は日本さくら名所100選でもあります。

カクキュー八丁味噌の郷に行ってきました~ドライブtоあいちを利用。

長篠城 (日本100名城)~城をめぐる激しい攻防戦で有名、国の史跡に指定されています。

清洲城~織田信長の天下統一への出発地、「清州同盟」「清州会議」と歴史上重要拠点となった天下の名城です。

勝幡城~織田信長誕生の城、二重の堀に囲まれた館城で尾張の中近世史上、重要な城跡と見られています。

松江城~天守は国宝、城跡は国の史跡。天守からは宍道湖が見えます。

関連記事

  1. 河和城(知多郡美浜町) 河和城~戸田宗光が築城、孫の守光没後にその遺児が母方の水野姓を名…
  2. 高部屋神社 糟屋有季~糟屋(糟谷)氏の所領は伊勢原市一帯で横山党とも繋がりが…
  3. 雉岡城(埼玉県本庄市児玉町) 雉岡城~山内上杉氏による築城で後に小田原北条氏、竹谷松平氏の居城…
  4. 小山田城址 小山田城址・築城は小山田氏の祖である小山田有重、小山田神社に小山…
  5. 網戸城跡(網戸神社) 網戸城と寒川尼墓~網戸郷の地頭となった寒河尼と築城した孫の網戸朝…
  6. 小田山城跡 小田山城~蘆名氏が築城し詰城として数百年機能、戊辰戦争時には会津…
  7. 岩瀬山城跡 岩瀬山城(愛宕山城)~鎌倉時代に築城され、須賀川城が移るまで二階…
  8. 宇都宮城址 宇都宮城~800年の歴史を誇る関東七名城~宇都宮氏が築城し本多正…



スポンサーリンク




コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

おすすめ記事

  1. 徳川秀忠~江戸幕府2代将軍、幕藩体制の基礎を固め政権運営方針を次代に引き継ぐ。 名古屋城 本丸御殿 内部 透かし彫り

ピックアップ記事

  1. 高天神城址 高天神社
  2. 成東城跡(千葉県)
  3. 比叡山 寺院
  4. 通化寺 風景
  5. 三好長慶像
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
PAGE TOP