【沢山城(三輪城)】
三輪城の詳細は不明ですが、
北条氏照の書簡が残っていることから、
北条氏の支城の可能性があると
推定されています。
なお、その書簡では
大石筑前の部下に
兵糧を渡すようにとあります。
この大石筑前守は、
北条氏照が発行した
別の書状宛名として
「大石筑前守殿・横地与三郎殿・
間宮若狭守殿、氏照花押」
とある古文書も
見受けられるため、
北条氏照の重臣である可能性が
極めて高いといえます。
よってこの大石氏は、
滝山城主であった
大石一族の武将と推定できます。
【城主は誰?】
北条氏照の家臣が
沢山(三輪)城主であったと
考えられており、
今でも麓にお住いの
荻野氏が城主だったのでは?
という説もあります。
【地理地形】
鶴見川河岸の丘陵の先端付近を
広く使っている城で、
主郭と考えられる南東端の
曲輪の高いとこには、
七面堂があります。
櫓台であった可能性があります。
【三輪の地名】
三輪の地名由来としては、
元応年間(1319年⇒1321年)に、
大和国城上郡三輪から、
斎藤氏・矢部氏・荻野氏が、
この広袴郷に
移り住んだことによるとされます。
【遺構】
現在城址には土塁や空堀の遺構が
確認できます。
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【諸注意】
なお、沢山城は荻野家所有の私有地ですが、
七面堂への参詣ということでの
ご厚意により見学できます。
歩行できる通路以外は
「立入禁止」とあちこちに看板があり、
団体での訪問や見学は
禁止されています。
またマムシ注意ですので、
夏場でも長ズボン・登山靴など、
足元はしっかりした装備が
お勧めで、虫よけも必須です。
【城の様子】
沢谷戸自然公園西入口横の階段が
登城口となるとのことです。
遊歩道に沿って進むとのことです。
思ったより堀切の規模が大きいのだそうです。
主郭にある神社に立て掛けられた
木碑に「北条」「小田原」等の
文字を読み取ることが出来るとか。
【縄張形態】
丘城
【標高(比高)】
73m(40m)
【築城年】
戦国時代か
【主な城主】
小田原北条氏
【遺構】
曲輪、土塁、空堀
【交通アクセス】
(電車・バス・徒歩)
小田急電鉄小田原線「鶴川」駅から
小田急バスに乗り
「三輪入口」バス停下車、徒歩約10分
小田急電鉄小田原線「鶴川」駅から
徒歩25~35分程度
(車)
東名高速道路「横浜青葉」ICから15分程度
公園の南側から西方面の場所は、
宅地造成の分譲の失敗?したような場所で
「畑」となっており、
その公園脇の道路は
駐車禁止にはなっていませんでした。
北条氏照~北条氏政の同母弟、文武両道で外交手腕に長けており、兄を補佐し盛衰を共にしました。
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