史跡・城跡

周防源氏武田氏屋敷跡・周防武田氏の祖である武田宗慶は毛利元就に仕え今日に至っています。

周防源氏武田氏屋敷跡




【周防源氏武田氏屋敷跡】

【所在地】
〒742-0311 山口県岩国市玖珂町欽明路

室町戦国時代の末期、
周防武田氏初代の武田小三郎宗慶は
母八重女と安芸国より欽明路に移りました。

「武田屋敷」は玖珂町の
欽明路峠欽明川 沿いにあります。
旧山陽道に欽明路峠欽明川の橋があり、
そこから川沿いに歩くと
程なく屋敷の白壁が見えてきます。

周防源氏武田氏屋敷跡 目印1

周防源氏武田氏屋敷跡 目印2

現在は廃家となっていますが、
旧正門、白壁の塀が残っています。

屋敷の旧正門をくぐると
左奥に、「武田信宗」、「武田光和」
の墓をはじめ、
現代までの代々の武田家の墓が並んでいるそうです。
さらに奥に進み緩やかな裏山の墓所に、
「小三郎」「八重女」「光信」などの墓があります。 

屋敷の旧正門から入って右側には
「文政元年 稽古屋敷創設之地 創立者武田宗左衛門 」
と書かれた石碑や井戸があるとのことです。 

周防源氏武田氏屋敷跡内 案内図

【交通アクセス】
JR岩徳線欽明路駅から徒歩で15分

【武田宗慶】

武田 宗慶(たけだ そうけい)は、
戦国時代の武将です。
安芸武田氏の一族で
周防武田氏の祖となる人物です。
武田光和の三男です。
母は熊谷氏の娘というが不明です。
正室は安国寺恵瓊の娘という説があります。
仮名は小三郎で俗名は不明です。
官位は刑部少輔。
子に武田光信がいます。

【時代】
室町時代

【生誕】
大永4年(1524年)?

【死没】
慶長2年2月4日(1597年3月21日)
【改名】
(仮名)小三郎、実名不詳

【戒名】
(法名)滄海院殿鉄叟大禅定門

【墓所】
山口県岩国市玖珂町「周防源氏武田氏屋敷跡」

【官位】
刑部少輔

【主君】
毛利元就⇒毛利隆元⇒毛利輝元

【氏族】
清和源氏義光流武田氏(安芸武田氏)

【父】
武田光和 

【母】
熊谷氏女?
【兄弟】
小太郎、小次郎、小三郎

【妻】
正室:伝・安国寺恵瓊女

【子】
武田光信

【生涯について】
幼少期に父である武田光和が病死しました。
当時、兄二人は夭折しており、
彼の存命する唯一の実子でしたが、
庶子であったため家督を
継ぐ事ができませんでした。
従兄弟の武田信重と、
若狭武田氏出身の武田信実は
武田光和死後の家督を巡って争ったため、
その難を逃れるべく隠棲生活を送っていました。





武田光和恩顧の家臣で
八木城主であった香川光景は
武田小三郎の生存を聞き覚え、
国内を探し回りこれを見つけ、
次期当主に据えるべく
毛利元就に助勢を乞いました。
毛利元就もそれに対して確約を行いました。
天文9年(1540年)11月、
武田小三郎は義母である八重女
(父の室であり、吉川興経の妹)と共に
周防国玖珂にある欽明路峠に匿われました。

周防源氏武田氏屋敷跡(門)

翌年の天文10年(1541年)3月、
毛利元就が武田光広と名を変えた
武田信重を討ち滅ぼしましたが、
香川光景と約した銀山城主の件は
反故にされてしまいました。
(毛利家お得意の手法ですな・・)

武田小三郎は、成長すると
容姿端正な顔つきとなり、
父と同じ刑部少輔を名乗り、
甲斐武田氏のお家芸という
柔術を会得して武において優れていました。
よって毛利元就の要求により
毛利元就の影武者という
とても重要な役目を務めたのでした。
天文24年・弘治元年(1555年)、
陶晴賢との厳島の戦いでも
毛利元就の護衛を務めました。
それに引き続く防長経略では、
鞍掛山城主である杉隆泰との戦いで
案内人として鞍掛山城へと手引きし、
後にも毛利家の主要な合戦で活躍しました。

銀山城主の安芸武田氏は、
天文10年(1541年)、
毛利元就によって滅ぼされましたが、
この武田宗慶は毛利氏に従って代々続きました。
その後、武田刑部少輔小三郎は入道して
「宗慶」と名乗るようになりました。

慶長2年(1597年)に74歳で亡くなりました。

【その後の周防武田氏と子孫】
その後も周防武田氏は玖珂の武田屋敷に
376年間居住しました。

文政元年(1818年)、
12代当主の「武田宗左衛門」は、
文武両道の 「稽古屋敷」 を設けました。

大正6年に16代当主であった
「「武田甲斐人」氏の
時に広島県呉市に移住しました。
そして現在の「呉武田学園」の前身となる
「大正中学校」を創設しました。

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