史跡・城跡

寒竹囲いの家~喜連川ならではの城下町の佇まいを伝えている寒竹の生垣です。

寒竹囲いの家(喜連川)



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寒竹囲いの家】

喜連川ならではの城下町のたたずまいを、
今に伝えているものとして「御用堀」と
「寒竹囲い」があります。
「寒竹囲い」とは江戸時代から続く、
当時を偲ばせる笹を使った寒竹の生け垣のことです。
板塀より経済的であるとして
喜連川足利氏第6代当主である
喜連川茂氏(しげうじ)が奨励しました。
現在でも阿亀笹(おかめざさ)を使った
生け垣を見ることができます。
喜連川神社の夏祭り、天王際の前には
毎年締め直しが行われています。
城下町の雰囲気を感じられるこの生け垣は
別名「鼈甲垣(べっこうがき)」
とも呼ばれているとのことです。
寒竹囲いの家(喜連川)

奥州街道と城下町】
「城下町」と[宿場町]。
この二つの顔が喜連川に
独自の風貌と歴史、
文化を育んできたとのことです。

【城下町】
古くは「狐川」という名で
呼ばれていたこの地が、
歴史的に整えられたのは、
今から約800年前のことでした。
源平合戦で功を立てたことによって、
源頼朝から塩谷郡に二千町の土地を
与えられた矢板川崎城主の弟である
塩谷五郎源惟広は、文治2年(11861年)、
お丸山に大蔵ケ崎城を築城します。
大蔵ケ崎城 喜連川
これが城下町としての
喜連川の起こりとなり、
同時にそれまでは「来連川」と
綴っていたのを「喜連川」と改めたとのことです。

塩谷氏の統治は、17代400年に及びました。
豊臣秀吉の東征の際、
豊臣秀吉の怒りを恐れた17代惟久が
出奔したために廃城となりました。
以後は足利氏の流れを汲む
古河公方家が後を継ぎ、
喜連川氏を名乗って、
約280年にわたって統治しました。
2代頼氏の代に、山城の大蔵ケ崎から
お丸山下に館を築き町割を行いました。
以後「御用堀」や「寒竹囲い」が
整備されるなどして、
城下町としての喜連川が完成しました。
寒竹囲いの家 喜連川
また、足利氏の血縁に当たるため
喜連川氏は高い家格(四品格式十万石実高一万石)を誇り、
幕府から特別な地位を与えられたので、
このことが地の栄華を築く一因となりました。




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【奥州街道】
一方、喜連川には古代から
重要な道が通っていました。
古くは「東山道」と呼ばれていました。
大化の改新後に設けられた
都と地方とをつなぐ7路の一つで、
のちには将軍道も重なり、
室町時代の義経記には
「きづかは(喜連川)を打ち過ぎて・・・」とあり、
源義経はこの道を通って
鎌倉にいる兄の源頼朝の陣に
駆け付けたと書かれているとのことです。
江戸時代に入ると、
五街道の一つである「奥州街道」が
喜連川を通るようになります。
宇都宮から白河までを結んだ
この街道の中でも喜連川宿は
賑わった宿駅の一つとなりました。
かつては、宿中には諸大名が
参勤交代のときに宿泊した
本陣や脇本陣があり、
まわりに多くの旅籠が立ち並んで
繁盛していたとのことです。
今でも街道の面影を伝えているものとして、
あちこちに点在している道標のほか、
早乙女の羽黒には500mほど
昔のままの街道が保存されているとのことです。

【御用堀】
「御用堀」は、領民思いの
名君として知られる喜連川氏の十代ひろ氏が、
飢餓や大火から領民を守るため、
町中のどこにあっても
生活用水が使えるように、
天保13年(1842年)に
開削した用水路です。
数十町歩の新田開発にも
利用されて藩財政を潤わせたとのことです。
堀には荒川と内川から
水を引いた二筋があり、
現在「御用堀」と呼ばれているのは、
荒川筋の「横町堀」となります。
平成11には一部修復して鯉を放流し、
「やすらぎの散歩道」と整備したとのことです。
御用堀 喜連川

【寒竹囲いの家・所在地】
〒329-1412栃木県さくら市喜連川4468
寒竹囲いの家 矢印
専用の駐車場は特にありません。
さくら市喜連川庁舎駐車場(無料)に駐車して
散策となります。

喜連川足利氏館~足利氏後裔の喜連川頼氏が築いた陣屋で喜連川藩の政庁として幕末まで利用されました。

大蔵ヶ崎城(喜連川城)~平安時代の末期に塩谷氏が築城し400年統治後は足利氏の後裔である喜連川氏の居城。

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