史跡・城跡

金鑚神社~武蔵国五宮、社名は砂鉄からとの伝承があり、神体山を祀る古代祭祀の面影を残す神社です。

金鑚神社 



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【金鑚神社】

金鑚神社(かなさなじんじゃ、金鑽神社)は、
埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮にある神社です。
式内社(名神大社)、
武蔵国五宮(一説に二宮)。
旧社格は官幣中社で、
現在は神社本庁の別表神社です。

金鑚神社 説明板

【概要】
関東平野西縁、
埼玉県北西部に立つ御獄山
(標高343.4m)山麓に鎮座し、
社殿後背の御室山(御室ヶ獄)を
神体山として祀っています。
山を神体山とするため、
社殿には本殿は設けないという
古代祭祀の面影を残すことで知られています。
また、「武州六大明神(武蔵六所大明神)」
の一社にも数えられる神社です。

「武州六大明神(武蔵六所大明神)」は
小野神社(東京都多摩市一之宮)、
二宮神社(東京都あきる野市二宮)、
氷川神社(さいたま市大宮区高鼻町)、
秩父神社(埼玉県秩父市番場町)、
金鑚神社、
杉山神社(横浜市緑区西八朔町)
の六社を指すとされています。

【六所~金鑚大神~】
日本の律令制において
国司が着任して最初にする事は、
赴任した国内の定められた神社を
順に巡ることであったそうです。
全ての行程は徒歩であり、
その労が大変なものでありました。
やがて国府の近くに総社を設けて
国内諸神を配祀し、そこを詣でることで
巡回を省くことが制度化されました。
金鑚大神は、東京都府中市に鎮座する
武蔵国総社 大国魂神社 六所宮の
五之宮に祀られています。




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【ご神体山を直接拝する】
主要社殿は拝殿・中門からなり、
中門の背後には一般の神社に見られる
本殿がなく、
神体山とする御室山(御室ヶ獄)を
直接拝するという形式を採っています。
旧官幣社・国幣社でこのように
本殿を設けない古例を採るのは、
他に 長野県の諏訪大社と
奈良県の大神神社のみとなります。

【重文と特別天然記念物】
境内では、参道脇に建つ多宝塔が
国の重要文化財に指定されています。
また、御獄山の中腹にある「鏡岩」は
国の特別天然記念物に指定されています。

【社名】
社名「金鑚(かなさな)」は、
砂鉄を意味する「金砂(かなすな)」が
語源であると考えられています。
神流川周辺では刀などの原料となる
良好な砂鉄が得られたと考えられており、
御嶽山からは鉄が産出したという伝承もあります。
文献では当社について「金佐奈」と見えますが、
「かなすな」がこの「かなさな」に
転訛したとされており、
表記は「金鑽(貝の上の字が先)」のち
「金鑚(貝の上の字が夫)」と変遷して、
近代以降は「かなさら」とも
読むようになったとされるとのことです。

上とは別に、砂鉄の採集地である
「鉄穴(かんな)」
を意味するとする説もあります。

【ご祭神】
<主祭神>
天照大神(あまてらすおおかみ)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)

<配祀神>
日本武尊 (やまとたけるのみこと)
第12代景行天皇の皇子。

ご祭神について、「神道集」では
「金鑽大明神」と記して
本地仏を弥勒菩薩としています。
また「風土記稿」では、
ご祭神を金山彦神として
素戔嗚尊の別名とする別説を挙げています。

【歴史】
【創建】
社伝(「金鑚神社鎮座之由来記」)では、
日本武尊が東征の際に
伊勢神宮にて叔母の倭姫命から
授けられた草薙剣と火鑽金(火打金)のうち、
火鑽金を御室山に御霊代として納め、
天照大神と素戔嗚尊を祀ったのが
創建ということです。
また、元々の社殿は現社地の
南約400mの地にある元森神社であるといい、
古くはここから御室山が
遥拝されたと考えられています。

社名「かなさな」の語源は
「金砂」にあると考えられているように、
採鉱・製鉄集団によって祀られたのが
当社の実際の創祀と見られています。




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【概史】
社伝によりますと、
延暦20年(801年)に
坂上田村麻呂
東北への遠征前に
当社に戦勝祈願に参詣したということです。

国史の初見は貞観4年(862年)で、
正六位上の神階にある「金佐奈神」が
官社に列したといい、
神階は同年に従五位下に昇りました。
延長5年(927年)成立の
「延喜式」神名帳では、
武蔵国児玉郡に「金佐奈神社 名神大」
と記載され、名神大社に列しています。

「神道集」(南北朝時代)では
当社を「五宮金鑽大明神」として
「武蔵六所大明神(武州六大明神)」
の一社に挙げるほか、
本地仏を弥勒菩薩としています。
また「風土記稿」では、
永禄12年(1569年)銘の
鰐口にはやはり五宮と
刻銘があるということです。
以上の史料から当社は武蔵国において
五宮に列したと考えられており、
武蔵国総社の大國魂神社でも
五宮として当社の分霊が祀られています。
一方で江戸時代の「武乾記」
(安永元年(1772年))では
当社は二宮と記され、地名や神社公称も
二宮としていますが、
当社を二宮とする中世史料はなく
明らかにはなっていません。

【信仰を支えた武士たち】
神流川扇状地には九郷用水が開削され、
その要所には当社の分社が祀られています。
これらの所在地は武蔵七党の1つである
児玉党の勢力範囲と一致するといわれています。
同党からの当社崇敬の様子が見えます。

中世には同じく武蔵七党の1つである
丹党の安保氏(阿保氏)から崇敬を受け、
天文3年(1534年)には阿保全隆から
多宝塔(重要文化財)が寄進されています。

また、中世から近世の社務は
別当寺の大光普照寺(金鑚寺)が
担ったとされるほか、
戦国時代には鉢形城主である北条氏邦
御嶽城主である長井政実から
保護されたということです。

江戸時代には、江戸幕府から
朱印30石が寄進されました。

明治に入り、明治6年(1873年)に
近代社格制度において郷社兼県社に列し、
明治18年(1885年)に
官幣中社に昇格しました。
戦後は神社本庁の別表神社に列しています。

【境内】
<拝殿>
金鑚神社 拝殿

<中門>
金鑚神社 中門

<多宝塔(重要文化財)>
境内入口付近に建つ多宝塔は、
室町時代後期の天文3年(1534年)の建立です。
金鑚神社 多宝塔

方三間の杮葺、初層方形、
上層円形平面の二重塔婆です。
塔本体の高さは13.8mで、
相輪の高さは4mになります。
心柱の墨書には
「天文三甲午八月晦日、
大檀那阿保弾正全隆」として、
天文3年に阿保全隆から
寄進された旨が記されています。
建立時期が明確であり、
当地付近を拠点とした阿保氏(安保氏)
との関連を示す遺構になります。
この多宝塔は国の重要文化財に
指定されています。

<神楽殿>
金鑚神社 神楽殿

【御嶽(御岳)の鏡岩】
(国の特別天然記念物)
御嶽の鏡岩
(御岳の鏡岩、みたけのかがみいわ)は、
御嶽山の中腹にある岩です。
「鏡岩(かがみいわ)」の名は、
岩肌表面が鏡のように
平らであることにちなんでいます。
岩質は赤鉄石英片岩で、
岩面の長さは約4m、
幅は約9m。
北向きで約30度傾斜しています。




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この鏡岩は、約1億年前に
八王子構造線(関東平野と関東山地の境)が
形成された際に、
断層活動によって生じた
すべり面であるとされています。
岩面は赤褐色でありますが
強い摩擦で磨かれて光沢を帯びており、
表面には岩のずれた方向に生じる
さく痕が見られます。
岩面の大きさ・断層の方向が
わかることから地質学的に貴重とされ、
国の特別天然記念物に指定されています。
御嶽の鏡岩 説明

<鏡岩への入り口>
御嶽の鏡岩 入口

<鏡岩までの距離>
金鑚神社 御嶽の鏡岩までの距離

鏡岩に関する伝承では、
中世に城の防備において
岩が敵の目標となるのを
避けるため松明で
いぶし赤褐色にしたとも、
高崎城落城の時には
火災の炎が映ったともいうことです。
また、江戸時代の「遊歴雑記」には
鏡岩に向えば鏡のように
顔の皺まで映るという
記述があるほか、
「甲子夜話」にも
同様の記述が見えるとのことです。

【奥宮】
御嶽山の一峰の岩山山頂に鎮座し、
付近には護摩壇の跡が残っています。
また、周辺には江戸時代に
巡礼された百体の石仏群が残っています。

【元森神社】
鎮座地:神川町二ノ宮
例祭:10月19日
本社の北東約400mの地、
国道沿いに八坂神社と並んで鎮座しています。
当地からは御室山がよく仰がれ、
元々は本社の旧鎮座地であって
当地から御室山を
遥拝したと考えられています。
現在も元森神社の例祭では
御室山をほめる「山ほめ神事」が
行われるとのことです。

【祭事】
金鑚神社で年間に行われる
主な祭事は次の通りとなります。

◆福迎祭(1月3日)
◆筒粥神事(1月15日)
◆例祭(4月15日)
水口祭(5月辰日)
◆元森神社例祭(秋尽祭)(10月19日)
旧社地と伝える元森神社から
御室山をほめる「山ぼめの神事」で、
「カナサナのお山はよいお山、
アラ美しい山、アラ木の生い茂る山」
と3回唱え、柏手を打って遥拝を行います。

◆火金鑚祭(11月23日)
懸税神事を行います。
以上のほか、
大國魂神社の例大祭(くらやみ祭)には
当社も参加しているとのことです。

【考証】
金鑚神社に関しては、
「魏志倭人伝」に記述される
2~3世紀頃の倭人のクニの1つである
「華奴蘇奴(かぬそぬ)国」
の中心地とする説があるとのことです。
この説の背景として、
神川町の属す児玉郡には
埼玉県内でも
最古級の古墳が残っているとのことです。
当地は古墳時代に勢力を成した
毛野地域と隣接しており、
県内でも早い時期に
横穴式石室が採用されています。
また埼玉県の平成6年(1994年)度の
調査報告においても
県内有数の1380基の
古墳の所在が児玉郡で
確認されているとのことです。

【所在地】
埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮750

【交通アクセス】
本庄駅(JR東日本高崎線)または
丹荘駅(JR東日本八高線)から、
朝日バスで「新宿」バス停下車
下車後、「新宿」交差点から
国道462号を東へ徒歩約25分程度。

<駅から徒歩>
JR八高線「児玉」駅より 徒歩75分(6.3 Km)
JR八高線「丹荘」駅より 徒歩60分(5.3 Km)

(自動車)
関越自動車道「本庄児玉」ICより20分(10Km)




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武蔵御嶽城
武蔵御嶽城(みたけじょう)は、
かつて御嶽山にあった山城です。
この城は南北朝時代に
斎藤実盛(長井別当)の後裔である
長井実永が築城し、
文明12年(1480年)に
安保吉兼が再築城したということです。
ちなみに斎藤実盛
信濃国の中原兼遠のもとに
幼い木曽義仲
送り届けた人物です。

以後は阿保氏(安保氏)が
居城としましたが、
戦国時代に関東管領である
上杉憲政に属したために
北条氏康に攻められ落城しました。
それからは長井氏が
居城としたとされています。
その後の経緯は明らかには
なっていませんが、
武蔵御嶽城の長井政実(豊前守)が
上杉氏、後に武田氏に仕えます。
武蔵先方衆と呼称されています。
武田氏滅亡後の長井政実は越後に逃れ、
上杉景勝の家臣となっていた
藤田信吉を頼ったと伝えられています。
忌日は天正18年2月28日とのことです。

武蔵御嶽城(遠景)

現在、御嶽山には
その遺構が残っているとのことです。

【所在地】
〒367-0301 埼玉県児玉郡神川町渡瀬

飯盛山城~武蔵御嶽城の物見台・烽火台として使用されていた可能性あり。円錐形の山です。

鉢形城~数万の敵に1か月も籠城した頑強な要害で日本100名城で国の史跡です。

雉岡城~山内上杉氏による築城で後に小田原北条氏、竹谷松平氏の居城となりました。

扇谷上杉管領屋敷跡~扇谷上杉氏の遠祖は足利尊氏の叔父、鎌倉公方を補佐する関東管領家として鎌倉に居住しました。

長尾城跡(大船)・鎌倉氏系長尾氏発祥の地、南北朝から戦国時代おいて長尾氏は上杉氏の家宰職でした。

北条氏康~小田原北条3代目~相模の獅子 ・関東八州にその名を轟かした猛将は戦国随一の民政家。

金子家忠~大剛勇の強者として活躍した武蔵七党・村山党の金子一族で入間に墓と屋敷跡があります。

中山家範館~武蔵七党の丹党、中山家範は八王子城で戦死、子の中山信吉は水戸藩附家老に出世。

花園城~築城は平安末期、猪俣党の一族で山内上杉氏の重臣を代々務めた藤田氏の居城です。

武田信玄~風林火山の軍旗のもとに、戦に明け暮れ駆け抜けていった53年の人生でした。

尾附城 ~山中衆の土屋山城守高久が築城、武田の武将小幡氏の重臣である熊井土氏の配下です。

木曾義仲(源義仲)河内源氏の一族で源頼朝とは従兄弟、美男子で信義と情を備えていたが武骨で公家文化には疎かった

横山党館~八幡八雲神社(八王子)・横山党は武蔵七党の一つで関東最大勢力の武士団です。

四王天政孝 四王天政実 明智光秀家臣~先祖は武蔵武士団・児玉党の党祖、青木氏から家康次男・結城秀康の家臣となる

高崎城跡~井伊直政が築城し改修は安藤重信~元は鎌倉時代から存在し戦国時代を耐えた和田城

大神神社めぐり~奈良旅③

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