【木曽福島城】
福島城(ふくしまじょう)は、
信濃国筑摩郡(のち木曽郡)福島
(現・長野県木曽郡木曽町)にあった日本の山城です。
他の地域の同名の城との混同を避けるため、
「木曾福島城」とも呼ばれています。
【別名】
木曾福島城、向城
【城郭構造】
山城
【築城主】
木曾義康
【築城年】
天文年間(1532年-1554年)
【主な城主】
木曾氏
【廃城年】
慶長3年(1598年)
【遺構】
土塁、堀、石碑
【標高(比高)】
1050m(250m)
【木曽福島城の概要】
戦国時代、木曾義康により築かれました。
平時は、上之段城を館とし、
山城を詰の城としていました。
木曾義昌も居城としました。
【天正壬午の乱】
本能寺の変が勃発すると、
信濃国内も新たな支配権を巡って混乱します。
木曽義昌は北信濃の所領を放棄して
美濃へと逃げる森長可の命を狙いましたが、
企みに気付いた森長可に木曾福島城に押し入られ、
逆に子の岩松丸(後の木曾義利)の身柄を
拘束されてしまうのでした。
岩松丸を人質に取られたことで
木曽義昌はやむなく遠山友忠など
森長可をよく思っていなかった将達に
森軍に手出しをしないように依頼して回り、
むしろ森長可の撤退を助ける役目を負わされました。
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【徳川家康との盟約】
乱に際して木曽義昌は徳川家康に通じて
盟約を結び、安曇・筑摩・木曾の
安堵を得ました。
【今度は豊臣方に恭順】
しかしながら
徳川家康と豊臣秀吉が対立すると
盟約を反故にし今度は豊臣秀吉に恭順しました。
【小笠原貞慶の侵攻】
このため徳川家康は
天正12年(1584年)9月、
菅沼定利、保科正直、諏訪頼忠らを差し向けて
妻籠城の木曽義昌を攻めましたが、
撃退されています。
これに先立つ同年8月、
小笠原貞慶が贄川又兵衛を調略して
木曾福島へ侵入し、
木曽義昌は興禅寺に逃れました。
戦国時代小笠原軍が
敵対するようになったため
北からの進入に備え、
対岸の北側に聳える山の尾根に
空堀を設けて三つの郭を造り福島城としました。
福島まで攻め込まれた時は、
木曽川の橋を落とし
進入を免れましたが
上之段城や小丸山城は焼かれてしまいました。
その後、木曽義昌は豊臣秀吉の麾下となった
徳川家康とともに関東に移封され、
城は廃城となりました。
【交通】
JR中央本線「木曽福島」駅から徒歩1時間程度
【木曽福島城の様子について】
木曽福島の街から城跡、城山、権現滝と
周回する登山道が整備されているとのことです。
城跡は堀切、郭がしっかり残っているそうです。
古城の雰囲気に満ちた
素晴らしい所であるようです。
ただし熊が生息しており、
実際に遭遇した先輩方もいらっしゃいます。
熊除けの鈴は必需品です。
必ず持っていきましょう。
あと、福島の町中からですと、
徒歩で約1時間はかかるとのことです。
【登城】
国道361号上町信号北へ行き
木曽川を渡ります。
興禅寺を過ぎたら左折し、
木曽福島郷土館方面へ行きます。
郷土館を過ぎて100m右側に
林道入口が有るとのことです。
そこから約1.8㎞の距離だそうです。
トレッキングシューズやポール、
クマよけの鈴があるとよいと思います。
<木曽福島郷土館>
<開場期間>
令和4年の開館は次のとおりとなります。
5/14~7/10の間:土日・祝日のみ開館。
7/16~11/3の間:定休日(木曜日)以外開館。
木曽町の公式サイトです。
木曽福島郷土館
【駐車場】
代官屋敷東側有料駐車場
林道脇路駐(1台分くらい)
【所在地】
〒397-8588 長野県木曽郡木曽町福島
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