【浦賀城】
浦賀城(うらがじょう)は、
神奈川県横須賀市東浦賀にあった、
戦国時代末期の日本の城(山城)です。
城跡は浦賀港の入り口である
叶神社(東叶神社)境内の明神山にあり、
浦賀水道から房総半島が一望できます。
叶神社は源頼朝と関りがある神社です。
<勝海舟・断食修行時の使用井戸>
【城郭構造】
山城
【築城主】
北条氏康
【築城年】
16世紀後半
【廃城年】
1577年または1590年
【遺構】
空堀、井戸、虎口
【浦賀城について】
安房里見氏からの攻撃に備えて、
北条氏康が三崎城の支城として築いたとのことです。
里見義弘との房相一和後に廃城となった説と
豊臣秀吉の小田原征伐後に
三崎城同様廃城となった説があります。
浦賀城は里見氏からの攻撃に備えて、
北条水軍の拠点として使われた城です。
もともと三浦氏が築いていた城を
北条氏康が改修して三崎城の支城として
利用したと考えられています。
そのため里見義弘との房相一和後に廃城となりました。
別の説では豊臣秀吉の小田原征伐後に
三崎城とともに廃城になったともされています。
浦賀港の入口である叶神社(東叶神社)境内の
明神山にあり、
曲輪跡などが残るのみです。
【所在地・叶神社 (東叶神社)】
〒239-0821 横須賀市東浦賀2-21-25
【交通アクセス】
(電車)
京急線「浦賀」駅鴨居方面行きバス
⇒「かもめ団地行」「観音崎行」他(約5分)⇒
「新町」バス停下車、徒歩5分
(電車・徒歩)
京浜急行「浦賀」駅⇒
タクシーで5分或いは徒歩15分程度。
(車)
横浜横須賀道路「浦賀」IC下車⇒5分
【駐車場】
叶神社の参拝者用の駐車場があります。
10台分。
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