【平将門公本據豊田館跡】
平将門が本拠地としていたと伝わる
豊田館跡地が小さな公園として整備されています。
天台宗法輪寺(兼務寺で住職は都内在住)の隣地
もしくは境内敷地内に
城址の石碑があります。
元は平将門の居館、
後に豊田氏の居城となった模様です。
住宅街の中にあり、見過ごしがちです。
これが遺構だ、という遺構は見当たりませんが、
土塁の一部は残っているとのことです。
平将門が生まれたとされる場所となります。
将門公苑として整備されている豊田城館。
平小次郎将門の父親である
従四位下平良将はここ豊田を
根拠地として鎮守府将軍を務め、
東北地方の護りを固めていたとされています。
平将門は幼い頃より東北地方での実戦に
慣れていたが故に戦術に
優れていたと考えられています。
戦略(政治)としては、「正直こそが最大の戦略」
であったともされており、
そうした部分が現代まで続く
平将門信仰となっているのかもしれません。
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【向石毛(向石下)城址】
時代は流れ、豊田氏の居城となった
そして向石毛(向石下)城址となります。
向石下城は豊田城の支城ですが、
豊田城よりも前に築城されたとのことです。
豊田氏の祖である
豊田将基(赤須四郎)がこの場所に
居館を構えたとのことです。
平将門が豊田館を構えていた場所に
築城されました。
戦国時代には関館氏の一族である
館武蔵守が城主でしたが、
天文年間(1532年⇒1555年)に
多賀谷氏に攻められ落城し、
そのまま廃城になりました。
現在城址には法輪寺が建てられており
遺構はほぼありませんが、
境内に一部土塁らしき部分が残っています。
また法輪寺の東に隣接する公園である
「将門公苑」には
「平将門公本拠豊田館跡」の
石碑が建てられています。
【築城主】
豊田四郎平将基
【築城年】
康平5年(1062年)頃
【廃城年】
天文年間(1532年〜1555年)
【主な城主】
豊田氏
【遺構】
土塁
【交通アクセス】
(電車)
関東鉄道常総線「石下」駅から徒歩20分程度。
(車)
常磐自動車道「谷和原」ICから45分程度。
常磐自動車道「谷田部」ICから45分程度。
【所在地】
〒300-2742 茨城県常総市向石下121
【駐車場】
法輪寺敷地に駐車スペースがあります。
出入口は狭いです。
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