【阿波崎城】
地区阿波崎にある阿波崎城跡は、
南北朝の争乱の頃、
南朝方の雄である
北畠親房が転戦した古城跡で、
昭和10年(1935年)に
県指定史跡となっています。
延元3年(1338)9月、
北畠親房は東国において
新たな南朝方の軍勢を組織するため、
義良親王、宗良親王、結城宗広、
北畠顕信らと伊勢国大湊を出帆しました。
けれども、途中暴風雨に遭い船団は四散。
義良親王らは伊勢へと戻りましたが、
北畠親房の船は常陸国東条庄に漂着し、
神宮寺城に入城しました。
同年10月5日、
北朝方の軍勢が押し寄せると、
激戦の末神宮寺城は落城し、
次いで北畠親房がここ阿波崎城に移ると、
所々より後詰めが参集して
北朝方と戦いました。
けれども阿波崎城もほどなく落城し、
北畠親房は小田城(現つくば市)へと
移っていきました。
現在は、阿波崎城跡保存会による
公園化が進められており、
桜の名所としても知られるようになりました。
【所在地】
稲敷市阿波崎2387番地ほか
小田城跡(つくば市)~鎌倉初期に八田知家が築城し、戦国時代の小田氏15代の居城でした。
関城跡(常陸国)~南北朝時代に南朝方であった関宗祐・宗政親子が北朝の標的に晒されながらも戦いました。
大宝城(茨城県)~関東最古の八幡宮である大宝八幡宮境内にあり下妻氏によって築城された城です。
伊佐城~伊達氏の祖とされる一族の伊佐氏が築城し、南北朝時代には南朝側について戦いました。
土浦城~伝説上では平将門の砦、文献上では八田知家後裔の若泉氏が築城、戦国期を経て土浦藩となる。
神宮寺城(常陸国)~南北朝時代に築城された南朝方の城で遺構が良好な状態で残っています。
藤沢城~小田城主の小田氏の支城であり、小田城を奪われた際には何度も拠点とした城です。
鹿島城(常陸国)~平安時代末期に鹿島氏によって築城されました。築城者の平姓鹿島氏とは?
塚原城~大掾氏一族で鹿島氏分流の塚原氏が居城し、剣聖として有名な塚原卜伝も城主となりました。
笠間城~鎌倉時代に笠間氏が築城し18代治めた後、江戸時代は笠間藩庁が置かれました。
島崎城~常陸大掾氏の一族である島崎氏の居城、よく整備され遺構もわかりやすく登城しやすい城です。
常陸・長山城~大掾氏の庶流行方氏の一族の長山氏が居城し、同族の島崎氏に攻められました。
古渡城(常陸国)~築城は山岡景友、後に丹羽長重が大名再スタートとなった城です。
江戸崎城~常陸土岐氏である土岐原氏が築城し約200年の統治後に、蘆名氏(佐竹氏)、丹羽長重が入封しました。
木原城~土岐氏の家臣であった近藤氏の居城と伝えられており、城主の近藤利勝の肖像画が発見されました。
平将門公本據豊田館跡~平将門誕生の地と伝わる場所、後に豊田氏の向石毛(向石下)城址となりました。
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