城跡

木原城~土岐氏の家臣であった近藤氏の居城と伝えられており、城主の近藤利勝の肖像画が発見されました。

木原城跡(常陸国) 木原城址城山公園



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【木原城】

木原城(きはらじょう)または
神越城(かみこしじょう)は、
現在の茨城県稲敷郡美浦村に
存在した日本の城(平山城)です。

木原城址城山公園周辺案内図

【別名】
神越城

【城郭構造】
山城

【築城主】
近藤氏

【築城年】
不明

【主な改修者】
土岐治英

【主な城主】
近藤利貞、近藤利勝、
近藤義勝、蘆名盛重

【廃城年】
慶長8年(1603年)頃

【遺構】
曲輪、土塁、堀、石碑

【木原城の概要】
霞ヶ浦南岸に位置し、三の丸、二の丸、
本丸(詰曲輪)に向かうに従い
標高が低くなるという特徴があります。
現在、本丸跡地は
「木原城址城山公園」として整備され、
例年ですと春には
城山まつりが行われるとのことです。
二の丸は畑地、
三の丸は木原小学校および宅地、
大手郭は個人宅、寺郭は永厳寺、
さらに南の森の中には
巨大な二重掘や出丸、
物見台などが残っているとのことです。

木原城跡(常陸国)

土岐氏の家臣である
近藤氏の居城として知られていますが、
城や城主近藤氏に関する
直接的な史料は極めて少なく、
不明な点が多いということです。
ただし、木原城の一角にあたる場所に
近藤氏の菩提寺である永厳寺があります。

【木原城の歴史】
近藤氏菩提寺の永厳寺寺伝によりますと、
( 永厳寺:〒300-0421 茨城県稲敷郡美浦村木原1941)
永正元年(1504年)に
居城を失った近藤利勝が
「神越之城」に移り住み、
永正3年(1506年)には
「神越村を木原と改む」とあり、
木原城の事とされています。
けれどもこの「神越之城」と
現在の木原城跡が同じ城かは
不明とされています。
同年、近藤義勝が城主になりました。




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永禄5年(1562年)、
土岐治美が改修をし、
近藤義勝が城の守備を任されました。

天正2年(1574年)に
小田氏の家臣で
上条城主の江戸崎監物が寝返り落城しました。
さらに天正11年(1583年)に
常陸国の大半を支配していた、
佐竹義重佐竹義宣、蘆名盛重らの
軍に攻められ、また落城したのでした。

天正18年(1590年)に
豊臣秀吉の攻撃を受けて
小田原北条氏が滅亡すると、
勢力を失った土岐氏の城は、
豊臣秀吉の家臣となった
佐竹義宣に降伏し、
天正19年(1591年)に
蘆名盛重が支配するようになりました。
関ヶ原の戦いの後、
慶長8年(1603年)に
徳川家の譜代大名だった
内藤清成、青山忠成の所領になりましたが
この頃に廃城になったとのことです。

【その他】
近年、城主・近藤利勝を描いた
肖像画が発見され、
2019年(平成31年)に
村の有形文化財に指定されました。

【所在地】
〒300-0421 茨城県稲敷郡美浦村木原1714−1

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