城跡

多功城~宇都宮氏の一門である多功氏の居城で宇都宮城の南方防衛でした。

多功城 下野国



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【多功城】

多功城(たこうじょう)は、
下野国(現在の栃木県河内郡上三川町)
にあった中世の日本の城です。
宇都宮氏の一門・多功氏の居城でした。

【城郭構造】
平城

【築城主】
多功宗朝

【築城年】
宝治2年(1248年)

【主な城主】
多功長朝
多功房朝
多功綱継

【廃城年】
慶長2年(1597年)

【遺構】
土塁、二重堀

【指定文化財】
町指定史跡

【歴史・沿革】
多功城は鎌倉時代後期にあたる
宝治2年(1248年)に、
宇都宮頼綱の四男である
多功宗朝によって築かれたと
いわれています。

小山、薬師寺から
宇都宮に通じる要路にあり、
多功氏と同じく
宇都宮氏一門の横田氏の
上三川城と並び、
宇都宮城の南方の防衛に
大きな役割を果たしていました。

戦国時代になりますと、
宇都宮城を防衛する拠点として
大いに機能します。
上杉氏や北条氏の苛烈な侵攻を
幾度も撃退しています。
弘治3年(1557年)に
上杉謙信の軍勢が
宇都宮城を攻略するために多功城、
上三川城を攻撃しますが、
多功城主の多功長朝の采配のもと、
一門や援軍で駆け付けた
一説には2000余りといわれる
軍勢の活躍によって、
撃退したとのことです。

元亀3年(1572年)1月には
北条氏が2000の軍勢で
多功城に攻めてきましたが、
多功城主で多功長朝の子である
多功房朝が迎え撃ち、撃退しています。

天正13年(1585年)12月、
北条氏が再び多功城に攻めてきました。
多功城主で多功房朝の弟である
多功綱継による徹底抗戦により、
北条氏はまたもや多功城を
攻略できなかったとのことですが、
裏付ける史料が判明しないとのことです。

天正17年(1589年)9月、
北条氏が再び宇都宮城を攻略するために
侵攻してきました。
綱継は多功城に攻めてきた
北条氏邦・北条氏に寝返った
宇都宮氏重臣芳賀高継と戦い、
これを撃退したといわれていますが、
裏付ける史料が判明していないとのこと。

このように多功城は、
宇都宮氏にとって欠かせない
大事な城であり、
多功氏代々の居城として
349年にわたって続きましたが、
慶長2年 (1597年) に
豊臣政権の内部争いに
宇都宮氏が巻き込まれて
改易されると、
多功城は廃城になりました。




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【現在の状況】
多功城跡は、近くにゴルフ場が建立されたために
城の遺構の大半が破壊されてしまいました。
土塁や堀跡は現在も残っており、
本丸跡周辺に土塁や堀を一部だけ
確認することができるとのことですが、
整備などはされてはいないとのことです。
ゴルフ場の入り口に城址碑があります。

【所在地】
〒329-0524 栃木県河内郡上三川町多功1850

【交通アクセス】
(電車)
JR宇都宮線「石橋」駅から徒歩20分程度
(車)
北関東自動車道「壬生」ICから約17分
北関東自動車道・宇都宮上三川ICから約20分

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