【延命寺】
國王神社の交差点を渡り、島広山台地を東に向かうと、
四周を田んぼに囲まれた森が現われます。
ここが平将門ゆかりの寺として知られた延命寺です。
延命寺は医王山金剛院と称し、
真言宗豊山派に属している古刹です。
別称として「島の薬師」と呼び
地元の方々に親しまれてきました。
案内板によりますと、
延命寺は島広山の台上に
石井営所(島広山)の
鬼門除けとして建立されたとのことです。
天慶3年(940年)、
藤原秀郷、平貞盛等に
石井営所一帯を焼かれた時、
薬師如来像を移し隠され、
世の静まるのを待って
現在の低湿地に祀られた、
島の薬師として知られています。
文政2年(1445年)、
守谷城主相馬家が大檀那となって
本堂、薬師堂、山門を建てましたが
その後火災にあい山門だけが残りました。
薬師堂は有慶上人によって再建されましたが、
これも焼け、現在は仮堂であるとのことです。
延命寺の本尊「大日如来坐像」は
県の重要文化財に、
山門、石製太鼓橋は
市の重要文化財に指定されています。
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もとは國王神社の隣に
寺域を構えていましたが、
享保年間(1716年~1736年)に
飯塚氏に神職を譲って、
住職は自ら寺域を現在地に
移したとのことです。
山門は四脚門の形式で、
室町時代の建築様式を遺した
茅葺切妻造りとなります。
山門を抜けて石造太鼓橋を渡ると、
その先に寝殿造りを模した
朱塗りの薬師堂があります。
この堂内の厨子殿に奉安する薬師如来像は、
平将門の守り本尊と称する持護仏で、
平将門の死後に祀られたものと
伝えられています。
また、縁起書によりますと行基の作とあり、
高野山の霊木で刻まれた尊像と記され、
4月8日の縁日には、
広大な境内が参詣人で
身動きできないほどの賑わいであったとのことです。
平将門の子孫であった相馬氏が、
平将門ゆかりの寺院や神社の
大檀那として尽力したことは、
火災を免れた山門の威容、
水車の軒丸瓦に
九曜紋が用いられていることからも
うかがえるとのことです。
【所在地】
〒306-0631 茨城県坂東市岩井1111
【駐車場】
お寺の南側に参拝者用の駐車場があります。
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