【岡本城【安房国)】
岡本城(おかもとじょう)は、
千葉県南房総市富浦町豊岡にある日本の城です。
安房里見氏の居城でした。
国の史跡に指定されています。
里見氏は、
戦国時代から
江戸時代初頭にかけて
10代170年にわたり
房総半島南部
(上総国・安房国)を支配した一族です、
「房総里見軍記」などの軍記物のほか
「南総里見八犬伝」など
後世の伝奇小説のモデルになったことでも
知られています。
岡本城は、里見氏家臣である
岡本通輔の築城と伝えられていますが、
里見氏第7代里見義弘が
小田原北条氏に対抗する
水軍拠点とするため、
岡本安泰より譲り受け、
元亀3年(1572年)に改修しました。
里見義弘の死後は、天正8年(1580年)に
嫡男の梅王丸と後継を争って
勝利した弟の里見義頼の本拠となりました。
天正19年(1591年)
里見義頼の子である里見義康が
本城を館山城に移したことで廃城となりました。
城跡は東京湾を望む
標高66mの丘陵にあり、
城域は東西600m、
南北300mに及んでいました。
山頂を中心とする8つの曲輪と
腰曲輪からなり、
山頂から北東に広がる曲輪は
港としても機能していたと
考えられています。
発掘調査では、
中国製陶磁器等の遺物や、
高層掘立柱建物跡の
可能性がある遺構が
検出されたとのことです。
明治31年、
城域東側の聖山の松の木を
「里見公遺愛の松」として碑が建立されました。
明治44(1911年)には、
聖山を「里見義頼公ノ創建セラル岡本城跡」として、
里見大権現が奉祀されており、
地元の人々から特別な場所として
崇拝されていたとのことです。
聖山の松の木は大正末年に
枯れてしまったとされ、
写真も現存しないとされていましたが、
2011年に、この松の木が写っている
戦前の絵葉書の存在が確認されました。
2012年(平成24年)1月24日、
「里見氏城跡 稲村城跡 岡本城跡」として、
稲村城とともに国の史跡に指定されました。
【縄張形態】
平山城(海城)
【標高(比高)】
56m(45m)
【築城主】
岡本氏か
【主な改修者】
里見義弘
【主な城主】
岡本氏、里見義頼、里見義康
【遺構】
空堀、石塁
【所在地】
〒299-2402
千葉県南房総市富浦町豊岡字宮ノ台1番1 他
【交通アクセス】
(電車)
JR内房線「富浦」駅から徒歩10~20分
(車)
館山自動車道「鋸南富山」ICから20分程度
【駐車場】
専用の駐車場はありません。
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