城跡

松坂城~蒲生氏郷が築城し、中でも壮大な石垣が実に見事な日本100名城及び国の史跡です。

松坂城址(松阪城址)



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【松坂城(松坂公園)】

 
松坂城(まつさかじょう)は、日本の城です。
現在は松阪城とも表記されています。
所在地は三重県松阪市殿町。
城跡は松坂城跡(まつさかじょうあと)として
国の史跡に指定されています。
松坂城跡 散策マップ

【別名】
松阪城
松坂城址

【城郭構造】
梯郭式平山城

【天守構造】
連結式3重5階(1588年築・非現存)

【築城主】
蒲生氏郷

【築城年】
天正16年(1588年)

【主な改修者】
古田重勝

【主な城主】
蒲生氏郷、服部一忠、古田重勝

【廃城年】
明治4年(1871年)

【遺構】
天守台、本丸、二の丸、石垣等多数残る

【指定文化財】
国指定の史跡

【再建造物】
石垣修復

【お城について】
城の縄張りは梯郭式平山城です。
松阪市の中心地の北部に位置しています。
阪内川が城北を流れ
天然の堀となっています。
江戸時代初期には
松坂藩の居城となっていましたが、
廃藩後は御三家紀州藩
南伊勢国内17万9千石を
統括するために城代が置かれました。
松坂城 案内図

城内の建築物は
明治10年(1877年)の失火と
明治14年(1881年)までの
破却によって失われました。
現地には石垣のみが残っており、
城址公園となっています。
公園名は「松阪公園」です。
周囲には松阪市役所、市民病院、
当地出身の本居宣長記念館などがあります。
本居宣長記念館と石垣
松阪は梶井基次郎の短編小説
「城のある町にて」の舞台となっており、
二の丸跡に文学碑が
建てられています。
この文学碑は昭和49年(1974年)8月に
建立されました。




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三の丸跡地は明治以降に開発され、
三重県立松阪工業高等学校、
松阪市立殿町中学校、
松阪市民病院などになっています。
松坂城 三ノ丸 御城番屋敷
催事として、例年ですと
毎年4月上旬に「宣長まつり」、
11月3日に「氏郷まつり」が
開かれる、とのことです。

【城の歴史】
松坂城の築城前より、
伊勢国司である北畠家の武将の
潮田長助が四五百森城を当地に
築城していました。
さらにさかのぼると、
縄文土器や弥生式土器が
出土していることから、
縄文時代後期には
人々が居住していたものと
みられています。

天正12年(1584年)、
近江国日野城6万石の
蒲生氏郷が伊勢国12万3千石を与えられ
飯高郡松ヶ島城に入城しました。
松坂城 裏門跡 
天正16年(1588年)、
蒲生氏郷は、松ヶ島は伊勢湾に面し
城下町の発展性がないと考え、
現在の城地である飯高郡矢川庄の
四五百森(よいほのもり)
新たに築城を開始しました。
工事は領内の寺社を取り壊して転用し、
急ピッチで年内に完成させました。
城は東に大手、南に搦手を配し、
外郭に深田堀及び水堀を巡らせました。
四五百森北峰に本丸を配し、
その南側に二の丸が置かれました。
松坂城 本丸上段
本丸には3重5階の天守が構えられました。
城下町建設にあたり松ヶ島住人を
強制的に移住させ、
旧領の近江商人を
町の中心部に呼び寄せて
日野町とし楽市楽座を設けました。
また、湊町に伊勢大湊の
豪商角屋氏を呼び寄せ、
これにより商都松阪の礎が築かれました。
松坂城 二ノ丸からの市街
天正18年(1590年)、
蒲生氏郷は小田原征伐の軍功により
陸奥国会津60万石の大封を得て
若松城に移っていきました。
代わって服部一忠が入城しました。

文禄4年(1595年)、
服部一忠は豊臣秀次事件に
連座したと豊臣秀吉より叱責され
自害しました。
次いで古田重勝が3万4千石で入城しました。




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慶長5年(1600年)、
関ヶ原の戦いの軍功により
徳川家康より2万石を加増されました。
古田重勝はこの年に死去し
長子の重恒が幼少のため
古田重勝の弟である重治が襲封しました。

元和5年(1619年)、
古田氏は石見国浜田城に転封となり、
南伊勢は紀州藩の藩領となりました。
松坂城は当地を統括する城として
城代が置かれました。
城内の天守以下の櫓や
門等の建物は放置されていたため、
江戸時代前期の史料によりますと、
正保元年(1644年)に
天守が台風のため倒壊したとされ、
以後は天守台のみが残ることとなりました。
松坂城 本丸 天守跡
寛政6年(1794年)には
二の丸に紀州藩陣屋が建てられました。
以後、紀州藩領として
明治維新を迎えました。
松坂城 二ノ丸
明治4年(1871年)
廃藩置県により廃城となりました。

明治10年(1877年)
失火により二の丸御殿が焼失しました。

明治14年(1881年)
この頃までに、他の建造物も
概ね破却されました。
現在は殿町御城番屋敷に
米倉のみが現存しています。
松坂城 殿町御城番屋敷
明治22年(1889年)
町村制施行時に地名が
「松坂」から「松阪」に変更されました。

2006年4月6日
日本100名城(48番)に選定されました。
<スタンプ設置場所>
◆松阪市立歴史民俗資料館、
<所在地>
松阪市殿町1539
<交通アクセス>
市街地循環バス(鈴の音バス)市民病院下車徒歩3分
JR・近鉄「松阪」駅下車徒歩約15分
三交バス「市民病院前」下車徒歩3分
<駐車場>
ありません(近くに市営駐車場あり)
<開館時間>
4月~9月: 午前9時~午後4時30分
10月~3月 午前9時~午後4時
<休館日>   
月曜日(祝日を除く)、祝日の翌日、
年末年始(12月29日~1月3日)
※展示替えで臨時休館することがあります。
<入館料>
個人:一般150円、
6歳以上18歳以下70円
団体(20名様以上):
一般120円、
6歳以上18歳以下50円

◆本居宣長記念館
<開館時間>
午前9時~午後5時
(最終入館は午後4時30分)
<休館日>
月曜(祝日の場合は翌日)・年末年始
<入館料>
大人:400円
大学生:300円
子ども(小学4年から高校生):200円 
※30名以上団体は割引あり
JR・近鉄「松阪」駅下車徒歩約15分
三交バス「松阪市役所」下車徒歩5分
松阪市立歴史民俗資料館
<駐車場>
15台(近くに市営駐車場)

<所在地>
〒515-0073 三重県松阪市殿町1536−7

◆豪商のまち松阪観光交流センター
(両館休館日)
<所在地>
〒515-0082 三重県松阪市魚町1658-3
<入館料>
無料
<開館時間>
3月~11月:
午前9時~午後6時

12月~2月
午前9時~午後5時
<休館日>
12月30日~1月2日

2011年2月7日 、
約4.7haの城跡が
「近世の政治・軍事を知る上で貴重」
であるとして、
松坂城跡として国の史跡に指定されました。
史跡 松阪城跡 説明

【松坂城石垣】
建築史家の専門家が
安土城同様の形式だが、
それを上回る強固なもので
美観という点でも優れている。
蒲生氏郷の美意識の高さを感じられる」と述べ、
近世の先駆けとなる名城に挙げています。
松坂城石垣

安土城の築城に加わった蒲生氏郷ですが、
松坂城にもこの時の石垣作りが
取り入れられています。
石垣のつみ方は「野面積み」を主体に、
隅の部分は「切り込みはぎ」
「算木積み」という工法が使われています。
これらの工法は「穴太衆(あのうしゅう)」と呼ばれる
近江国の石工集団が、
安土城で今までの日本にはなかった
新しい築城方法を発案したのでした。
松坂城 本丸上段 石垣
蒲生氏郷は自分の出身地でもある
穴太衆を中心に地元の農民をかり出し
石垣をくみ上げていきました。
石材の多くは近くの河原から
集められた石が使われたとのことですが、
天守台などには古墳に埋葬された
石棺の蓋まで使用されたそうです。
松坂城跡最大の見どころは、
全国でも屈指の壮大な石垣です。
松坂城 石垣

【野面積み】
自然石をほぼそのままの形で
積み上げられています。
石と石の間に隙間があるため
水はけが良く、
堅固であるのが特徴です。
天守跡や本丸跡のあたりで見られます。
松坂城 本丸下段
【打込みハギ】
石を積みやすいように表面を
ノミで荒削りに加工して
形を整えてから積み上げる工法です。
石と石の間に小さい石を
埋めるのが特徴で、
二ノ丸や隠居丸のあたりで見られます。
松坂城 二ノ丸あたりの石垣

【算木積み】
石垣の隅に使われる工法で、
長方形の石材を長短交互に
積み上げていきます。
二ノ丸の石垣の隅は、
それぞれ算木積みが用いられていますが、
天守台の石垣が自然石を巧みに生かして
積んであるのに対し、
二ノ丸の石垣は加工され整えられた
切り石が用いられており、
時代の違いがよくわかるとのことです。
松坂城 石垣 算木積み

【平成の松坂城石垣修復】
1988年から2003年の16年間、
総事業費11億円、総面積4580m2に及ぶ
「平成の松坂城石垣修復」が実施されました。
部分的な石垣の修復は
されていましたが
全面的な修復は1700年以来と
いわれていました。
この修復で二ノ丸からは
蒲生氏郷の時とは違う
ノミ跡が発見されたり、
三ノ丸の野面積みも
紀州藩になってからのものなど
数多い発見がありました。




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【天守閣問題】
松阪城は昭和57年(1982年)に
市民より「天守閣を再建してほしい」
との要望もありましたが、一方で
反対する意見も多く、
「天守閣問題」は取り止めとなりました。
松坂城 天守跡

【交通アクセス】
JR紀勢本線・近鉄山田線「松阪」駅から
徒歩で約15分。

【所在地】
〒515-0073 三重県松阪市殿町

滞在所要時間:1時間~
(本居宣長記念館・本居宣長旧宅含む)

本居宣長と旧宅~国学の四大人であり、文献学者で医師で源氏物語をこよなく愛した人物です。

会津若松城(鶴ヶ城)~日本100名城、蘆名氏が築城、伊達・上杉・蒲生・加藤・保科・松平と続いた天下の名城。

白河小峰城(日本100名城)~東北三名城、東北では珍しい総石垣造りのお城です。

伊勢・千種城~後醍醐天皇に仕えた千種氏の子が築城、中世の典型的な山城の形状が残っています。

伊勢・亀山城~伊勢平氏の流れをくむ関氏が亀山古城を築城し、岡本良勝が近代亀山城を築城しました。

桑名城~築城の起源は永正10年、関ヶ原の戦いの後に本多忠勝が入封し城郭を建造しました。

田丸城~続日本100名城、南朝拠点として北畠親房、北畠顕信が築城、後に同一族の田丸氏が入城し織田信雄に明け渡しました。

須賀川城跡~二階堂氏が室町時代に築城、やがて伊達氏と争い去っていきます。

赤木城~築城は藤堂高虎で続日本100名城に選定、田平子峠刑場跡と共に国の史跡に指定されています。

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