【湯村山城】
湯村山城は武田信玄の父である
武田信虎によって築かれた城です。
武田信虎は永正16年(1519)に
石和から躑躅ヶ崎館に居城を移し、
翌年詰の城として要害山城を築いていますが、
さらに躑躅ヶ崎館の西の守りとして
湯村山城を築きました。
現在は山麓の緑ヶ丘スポーツ公園から
主郭までのハイキングコースが
整備されており、
土塁や石積などの遺構が確認できます。
緑ヶ丘スポーツ公園から登る道があります。
【標高(比高)】
449m(150m)
【築城主】
武田信虎
【築城年】
大永3年(1523年)
【主な城主】
武田氏
【遺構】
土塁、石塁
【交通アクセス】
(電車)
JR中央本線「甲府」駅から徒歩50分
JR中央本線「甲府」駅から
山梨交通バス「饅頭森入口行き」⇒
「湯村」バス停下車、徒歩10分程度。
(車)
中央自動車道「甲府昭和」ICから15分程度。
【駐車場】
緑が丘スポーツ公園体育館駐車場
【所在地】
〒400-0073 山梨県甲府市湯村3丁目8−478−153
【注意事項】
季節によっては猪やクマが出る可能性があるので
クマよけの鈴やラジオなどを持参しましょう。
また足場が良くない箇所があるそうなので
トレッキング用のシューズがよろしいかと思います。
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