【源頼朝公上陸の碑・矢尻の井戸】
館山市洲崎の「矢尻の井戸」は、
治承4年(1180年)、
石橋山の戦いに敗れた源頼朝が
真鶴から逃げて上陸したとされている地です。
上陸した源頼朝は飲水がなく、
地面に矢尻を突き刺したところ、
そこから清水が湧き出たという伝説が残っています。
この伝説は「義経記」に書かれているようです。
この場所には多くの記念碑や石碑があります。
「源は同じ流れぞ岩清水 せきあげてたべ雲の上まで」
この句は源頼朝が洲崎神社に参拝した際に
詠んだ句とされています。
治承4年8月28日と云われています。
<源頼朝上陸地の碑>
【交通アクセス】
JR内房線「館山」駅よりJRバス洲崎線
「南房パラダイス」行き⇒「矢尻の井戸前」下車。
(車)
富浦ICより、県道257号線(房総フラワーライン)
【駐車場】
なし。
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【洲崎神社】
洲崎神社(すさきじんじゃ/すのさきじんじゃ)は、
千葉県館山市洲崎にある神社です。
式内社(大社)論社で、
江戸時代に安房国一宮とされていました。
旧社格は県社です。
御手洗山中腹に鎮座しています。
ご祭神は次の1柱です。
天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)
安房神社祭神天太玉命の后神で、
元の名を「洲ノ神(すさきのかみ)」と称するそうです。
【創建】
大同2年(807年)の「古語拾遺」によりますと、
神武天皇元年に神武天皇の命を受けた
天富命が肥沃な土地を求めて阿波国へ上陸し、
そこを開拓したとあります。
その後、さらに肥沃な土地を求めて
阿波忌部氏の一部を率いて
房総半島に上陸したとされています。
宝暦3年(1753年)に成立した
洲崎神社の社伝「洲崎大明神由緒旧記」では、
神武天皇の治世、
天富命が祖母神の天比理乃咩命が
持っていた鏡を神体として、
美多良洲山(御手洗山)に祀ったのが
洲崎神社の始まりであるということです。
また、「安房忌部家系之図」や
「斎部宿禰本系帳」には、
天富命15代目の子孫である
佐賀斯の第2子である色弗が初めて
祖神天太玉命の后神を祀ったとの記述があるそうです。
「安房忌部家系之図」や「斎部宿禰本系帳」では
色弗の兄の第4子である加奈万呂が
安房神社第22代祠官として勝義と改名し、
勝浦崎(洲崎)に仮宮を作って
天比理刀咩命を祀ったとしています。
このことから、色弗が初めて祀った斎場は大和国で、
加奈万呂が勝浦崎(洲崎)に
仮宮を作った養老4年(720年)7月が
洲崎神社の創祀とする説もあるそうです。
洲崎神社社伝によりますと、
養老元年(717年)大地変のため
境内の鐘ヶ池が埋まり、
地底の鐘を守っていた大蛇が災いしたので
役小角が7日7夜の祈祷を行い、
明神のご神託により大蛇を退治して
災厄を除いたのだということです。
また、役小角が海上安全のため
浜鳥居前の海岸と横須賀の安房口神社に
御神石を1つずつ置いたなど、
洲崎神社には修験道の開祖である
役小角にまつわる伝承が多くあります。
これより、洲崎神社が古くから
神仏習合思想や修験道の影響を
強く受けていたことを物語っているとされています。
【源頼朝と洲崎神社(吾妻鏡より)】
治承4年(1180年)8月、
源頼朝は石橋山の戦いに敗れ海路で
安房国へ逃れました。
「吾妻鏡」治承4年(1180年)
9月5日の条にでは、
安房に逃れた源頼朝は上総介及び
千葉介へ参上を要請する使者を送り、
洲崎神社へ参拝して使者が交渉を成功させて
無事帰還した場合には
神田を寄進するとの御願書を奉じています。
この使者は無事に役目を果たし、
同年9月12日の条では
洲崎神社に神田が寄進されました。
また、寿永元年(1182年)
8月11日の条では、
源頼朝の妻政子の安産祈願のため、
安房国の豪族である安西景益が奉幣使として
洲崎神社へ派遣されたことが
記されています。
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また、「吾妻鏡」治承5年(養和元年、1181年)
2月10日の条では、
安房国洲崎神領で在庁官人らが
煩いをなすことを停止させる下知書が
洲宮神官宛に下されています。
これが洲崎神社と洲宮神社の
関わりを記した文書の初見とされています。
<品川神社(東京都品川区)>
源頼朝が海上安全のために
洲崎神社から勧請したと伝えられています。
品川宿の北品川宿鎮守です。
それ以後も関東武家の崇敬を受けています。
室町時代には太田道灌が江戸に分霊を勧請し、
安房の里見義弘は社領を寄進するなど崇敬したとのことです。
【所在地】
〒294-0316 千葉県館山市洲崎1697
【交通アクセス】
(電車・バス)
JR内房線「館山」駅から
JRバス(洲崎線)で
「洲ノ崎神社」バス停下車 徒歩5分程度。
(乗車時間約30分)
(車)
富浦ICから車で25分程度。
しとどの窟(湯河原)・(真鶴)、隠れながら追手をかわして岩海岸から安房国へ船出しました。
源頼朝上陸地の碑と神明神社~ 安房郡鋸南町竜島、吾妻鏡に記載されています。
安房勝山城~里見水軍の本拠地の海城、安房に逃れた源頼朝を迎え入れた安西氏の出城との伝承有り。
野島崎・伝説の岩屋~安房に逃れた源頼朝が武運再興の願掛けをした「隠れ岩屋」です。
一戦場古戦場 ~安房に逃れた源頼朝が奇襲にあい、合流した三浦義澄が討ち取った古戦場
仁右衛門島~源頼朝が身を隠し潜んだ場所で、頼朝一行を洲崎から案内したとも伝わる平野仁右衛門氏の島です。
名熊の二本杉~源頼朝が地にさした箸が立派に成長して日本の杉になりました。
硯山長福寺~開山1200年の歴史を持つ古刹で源頼朝伝説と伊八彫刻のお寺で有名です。
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千葉常胤~桓武平氏の流れをくむ千葉氏の中興の祖~鎌倉幕府成立に大きく貢献した人物です。
三浦義澄~源頼朝を支えた宿老の一人で13人の合議制のメンバーで相模守護。三浦一族の栄枯盛衰。
小山城~小山氏の始祖である小山政光が平安時代に築城、下野国最大の武士団を率いていました。
寒河尼(網戸尼)~源頼朝の乳母で結城朝光の母、女地頭となり長寿を全うしました。
大福寺(崖観音)~千葉県最古の摩崖仏、漁師の安全と豊漁を祈願して奈良時代に彫刻と伝わります。
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