【伊豆守山城】
築城は長禄2年(1458年)、
築城者は足利政知と伝わります。
堀越御所の詰めの城として築城されたとの事です。
延徳3年(1491年)、
足利政知が他界するとその子供である
茶々丸が継母と義弟を殺害して
強引に家督を継いでしまいます。
更には重臣も殺され、内乱状態となってしまいます。
そこを伊勢盛時(北条早雲)が攻めてきます。
茶々丸は、守山城に立てこもります。
その後、ふもとの願成就院で自害したとの事ですが、
近年の研究で新しいことが判明したそうです。
明応4年(1495年)、
伊勢盛時によって足利茶々丸は
伊豆国から追放となりました。
其の後は山内上杉氏や武田氏を頼って
伊豆奪回を狙っていたことが明らかになった部分です。
明応7年(1498年)8月、
甲斐国(伊豆深根城とも)で伊勢盛時に捕捉され、
自害したとのことです。
「茶々丸」は幼名であり、元服をする前に死去したため、
成人としての実名である諱は伝わっていないとされています。
【別名】
大森山城
【遺構】
曲輪、堀切
【比高】
90m
【最寄り駅】
伊豆箱根鉄道「伊豆長岡」駅より北西方向約1km。
【登山口】
<1>
願成就院の西約150m、
韮山西幼稚園の南西方向にある
「守山自然公園遊歩道入り口」
駐車場:
◆願成就院の参拝者用駐車場
◆守山東駐車場(北条の里駐車場)
<2>
狩野川沿いの守山西公園
駐車場:守山西公園
【支城として】
伊勢盛時は韮山城を築城して拠点としました。
守山城は韮山城の支城として利用されたとのことです。
【豊臣秀吉も利用】
天正18年(1590年)、
豊臣秀吉の小田原討伐の際、
韮山城を包囲するために
豊臣軍が利用したとのことです。
現在見られる遺構は、この頃に整備されたものである
可能性が高いそうです。
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