【斎藤孫四郎】
斎藤 孫四郎(さいとう まごしろう、
生年不詳⇒弘治元年11月12日〈1555年12月24日〉)は
戦国時代の人物で父は斎藤道三です。
諱は龍重。
童名(幼名)は勘九郎でした。
母は深芳野(一色義清女か稲葉通利女)、
もしくは小見の方(明智光継女)で、
はっきりとはわかっていません。
【人物紹介】
斎藤道三の次男として生まれました。
「信長公記」によりますと、
父親の斎藤道三と兄弟の斎藤義龍(高政)・喜平次の
親子四人で稲葉山城に住んでいたということです。
「美濃国諸旧記」によりますと、
元服して斎藤孫四郎龍重を名乗り、
弟である斎藤喜平次とともに
斎藤道三に寵愛されたとのことです。
斎藤道三は孫四郎に「左京亮」を名乗らせ、
跡継ぎにしようと計ったとも言われています。
「信長公記」によれば、
弟である斎藤喜平次とともに奢り高ぶり、
しだいに長兄である斎藤義龍(高政)を侮るようになったと
いわれていると記されているそうです。
斎藤家の家督は天文23年(1554年)、
父親の斎藤道三の隠居で長兄である
斎藤義龍(高政)が継いでいましたが、
斎藤義龍(高政)は、
自分は斎藤道三の本当の子供ではないと深く思い、
ついには自身が廃嫡されると
考えるようになりました。
その理由として、
斎藤義龍(高政)が
文献によると身長180センチ以上の
大柄だったこと、
母である深芳野が斎藤道三の側室となってから
七カ月位で自分を産んだこと、などからでした。
孫四郎や喜平次を溺愛するのは
自分が本当は土岐頼芸の子供だからであるとの
考えに固執するようになっていったそうです。
そこで一計を図り、
弘治元年(1555年)11月12日、
病を装って孫四郎と喜平次らを
自分のいる稲葉山城の奥の間に呼び出しました。
孫四郎と弟・喜平次は
酒に酔ったところを斎藤義龍の寵臣である
日根野備中守弘就によって殺害されたのでした。
【生誕】
生年不詳
【死没】
弘治元年11月12日
(1555年12月24日)
【改名】
勘九郎、龍重
【別名】
通称:孫四郎、左京亮
大河ドラマは母親は
帰蝶と同じ小見の方であるとの設定です。
父親の斎藤道三と同じく織田信長に肩入れし、
織田信長に嫁いだ姉の帰蝶とも手紙で通じています。
兄の斎藤義龍(高政)が美濃の政治を担うと
織田信長と敵対して争いが起こるに違いないと危機感を持ちます。
2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」では
長谷川純(はせがわじゅん)さんが演じられます。
斎藤喜平次~斎藤道三の三男~斎藤道三に溺愛されるがゆえに兄・義龍(高政)に謀殺される
斎藤道三~晩年の足跡~鷺山城址・道三塚・常在寺、そして斎藤義龍(高政)
長井道利~中濃衆~義龍に父との決別を促し明智を滅ぼす・出目も最期もナゾ残す人物
土岐頼武・土岐頼純VS土岐頼芸~美濃守護土岐氏~度重なる家督争いで衰退し、斎藤道三に乗っ取られる!
この記事へのコメントはありません。