城跡

鵜殿城~三河の鵜殿長照やお田鶴(椿姫)のご先祖の地、鵜殿氏は熊野別当が出自とされています。

鵜殿城と熊野川



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鵜殿城

鵜殿城は鵜殿氏の城として
知られています。
新宮城と熊野川を挟んだ対岸に
位置しています。
現在城址は「ふるさと歴史公園」
として整備されており、
囲み土塁、空堀、土橋などの
遺構を見ることができます。
また本丸跡には展望台があり、
熊野灘や新宮城まで見渡すことができます。
鵜殿城と熊野川

【歴史・築城】
今より800程年前、
熊野水軍が大きく活躍していた頃に
この地を治めた鵜殿氏の築城趾です。
小高い丘の頂上に、
周囲を土で土手状に積み上げ、
中が窪地になっている
掻上式土塁という方法で
築城され、
中世山城の特徴を
よく残しています。
町指定文化財です。

また、横にある展望台では、
鵜殿地区が一望でき、
見晴らしがよく、
晴れた朝方には綺麗な日の出が
みられるとのことです。

【鵜殿氏と熊野別当
最初の築城は、
鎌倉時代の鵜殿氏ともされますが、
鵜殿家はもちろん、
熊野別当が出自とのことです。
熊野別当・湛増(たんぞう)の子が
鵜殿に移って鵜殿姓を称したともされています。
南北朝時代に鵜殿氏は
最初は南朝に味方しましたが、
のち北朝に転じたため、1341年に、
南朝方の攻撃を受けました。
鵜殿城に4日間籠り、
なんとか攻撃に耐えたとのことです。
鵜殿城跡(三重県)

三河に移る】
その後、鵜殿氏は
熊野別当家が代々荘園を
有していた
三河蒲郡の三河・上ノ郷城に移りました。
鵜殿長将、そして鵜殿長持の正室は
今川義元の妹で、
鵜殿長照、次には鵜殿氏長
代々続いていました。
領地を失った鵜殿氏長は、
二俣城の松井宗恒の世話を受け、
今川家が滅亡したあとは
徳川家の家臣として働いています。
鵜殿氏次は、松平家忠に従って
伏見城の戦いで討死にしています。
鵜殿氏長は1700石にて
徳川家の旗本として江戸時代を迎えました。




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【南紀の鵜殿氏】
南紀に残っていた鵜殿氏は、
戦国時代になると新宮を領した
堀内氏善と姻戚となって従っています。

【現在】
城跡は、公園になっており、
公園利用者駐車場を利用できます。
主郭の土塁と空堀は確認できるとのことです。
大きな滑り台があり、その脇から登城できるとのことです。

【縄張形態】
丘城(平山城)

【標高(比高)】
40m(40m)

【築城主】
鵜殿氏

【築城年】
鎌倉時代

【主な城主】
鵜殿氏

【遺構】
曲輪、土塁、堀切

【指定文化財】
町史跡

【交通アクセス】
(電車)
JR紀勢本線「鵜殿」駅からバスに乗り
「鵜殿」バス停下車、徒歩10分
※バスの運行に関しては最新の情報をご確認ください。

(車)
紀勢自動車道「紀勢大内山」ICから約2時間

【駐車場】
麓の「紀宝町ふるさと歴史館」
(無料、25台程度)

【紀宝町ふるさと歴史館・所在地】
〒519-5701 三重県南牟婁郡紀宝町鵜殿10

鵜殿長照~今川家臣、長照の子供達と築山殿・信康・亀姫と人質交換になりました。

お田鶴の方(椿姫)~今川一族で祖母は寿桂尼、夫亡き後の城を守り緋威の甲冑を纏い家康と最期まで戦った烈女。

西郡局~家康の次女で北条氏直及び池田輝政の妻となった督姫の生母で姉妹にはお田鶴の方(椿姫)がいます。

上ノ郷城 と鵜殿長照~伯父は今川義元、その子らは築山殿・松平信康・亀姫と身柄交換となった。

堀内氏屋敷~堀内新宮城とも呼ばれた熊野水軍の将であった堀内氏善の居城跡です。

新宮城~源行家の姉の丹鶴姫が住んでいた地、続日本100名城で国の史跡。

熊野那智大社~世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部、熊野三山です。

青岸渡寺~世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部で西国三十三所第1番札所です。

那智の大滝・飛瀧神社~滝をご神体とする自然信仰の聖地、日本三名瀑で世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です。

熊野速玉大社~元宮は巨岩のゴトビキ岩がある神倉神社、境内にはナギの巨木があり世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です。

鬼ヶ城~国の名勝で天然記念物、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部の海岸景勝地です。

花の窟神社~伊弉冉尊の葬地と伝わる磐座信仰のある巨岩、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です。

赤木城~築城は藤堂高虎で続日本100名城に選定、田平子峠刑場跡と共に国の史跡に指定されています。

尾鷲・中村山城~仲氏の本拠の城でしたが、堀内氏善に攻略され和睦し降伏しました。

金井城(北金井城)~種付千代次秀信の居城、遺構が良好に残っています。

笠木館~笠木御所とも呼ばれ北畠氏の一門である坂内氏の居館、県内屈指の中世の居館跡となります。

浜田城(伊勢国)~田原忠秀が築城し四日市の地名も誕生、後に滝川一益に攻略され落城、子は小牧・長久手の戦いで討死

鬼ヶ城本城~有馬忠親の隠居城でしたが攻城され熊野水軍を率いた堀内氏善が治めました。

紀伊・長島城~北畠氏の家臣である加藤氏が南北朝に築城、奥村氏に時を超えて数度裏切られる。

有馬本城~鎌倉時代に熊野別当家の出という有馬氏が築城したと伝わります。

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