【本納城】
本納城(ほんのうじょう)は
千葉県茂原市本納字本城山付近にあった
日本の城です。
本納駅の西方に位置する中世城郭です。
城域の特徴として
房総特有の痩せ尾根を利用し
城域を広げていました。
【城郭構造】
山城(平山城)
【築城年】
享禄2年(1529年)
【主な城主】
黒熊大膳亮景吉、土気酒井氏
【廃城年】
天正18年(1590年)
【遺構】
曲輪、土塁、空堀
【城の歴史】
15世紀中頃の
黒熊大膳亮景吉の居城でした。
本納城は室町時代後期、
享禄2年(1529年)に
構築されたと伝えられており、
地の利を生かした要害堅固な山城でした。
軍記によりますと永禄の頃、
黒熊大膳亮景吉
(くろくまだいぜんのすけかげよし)という武将が、
この地を拠点として24郷を治めていました。
本納城は房州里見の支城であるため、
長南武田氏の進攻に備え、
佐矢止砦、壇上砦を強化していたとのことです。
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永禄7年(1564年)の国府台合戦ののち、
房州里見の傘下を離反した
土気城主、酒井胤治の軍勢に急襲され
永禄12年(1569年)3月28日に落城しました。
城主であった黒熊大膳亮景吉は
切腹したと記録されています。
その後、土気酒井氏方から城代として、
板倉右衛門他2名がきて統治。
天正18年(1590年)、
小田原落城後徳川幕下の
旗本知行地となり廃城となったのでした。
【遺構】
本、中、下城址、削壁(さくへき)、
抜穴、袋狭間(ふくろはぎ)、
狼煙台址等々、中世山城の遺構を
多く今にとどめている貴重な城址であるとのことです。
【士気酒井氏】
土気酒井氏は上総酒井氏の分家です。
上総酒井氏(かずさ さかいし)は、
戦国時代に現在の千葉県中部にあたる
上総国の東金城(現在の東金市)を
本拠地として、同国北部を支配した
酒井姓の地方領主(国人)です。
【所在地】
〒299-4114 千葉県茂原市本納3106番地
蓮福寺(れんぷくじ)
【駐車場】
蓮福寺の参拝者用駐車場があります。
本納城址の石碑までは丘を登っていきます。
傾斜は急ですが、草刈りなど
手入れがとても行き届いています。
【蓮福寺】
蓮福寺(れんぷくじ)は、
千葉県茂原市にある顕本法華宗の寺院。
山号は成就山。本尊は大曼荼羅。饒師寮法縁。
【ご由緒】
天正8年(1580年)、
土気城主酒井康治が、
本納城主黒熊景吉の菩提を弔うため、
日遊を開山として創建したということです。
江戸時代には江戸幕府から朱印状を与えられ、
妙満寺派本山輪番上総十ヶ寺のひとつでした。
東金城~上総酒井氏の祖とされる酒井定隆が築城し三男の酒井隆敏が継ぎました。
国府台城~下総国の大激戦の地~国府台合戦、里見氏VS小田原北条氏
大椎城~築城主と築城時期は二通りあり、平安中期の千葉氏と室町期の士気酒井氏となります。
大多喜城~築城は真里谷信清、徳川四天王の本多忠勝が城主となり今日の大多喜城となります。
万喜城~築城は上総土岐氏と伝えられており、本多忠勝が一時居城していました。
上総・笹子城~築城は室町時代に真里谷信興によって築かれ、真里谷武田氏の内紛に記されているとのことです。
真里谷城~武田信長が築城し真里谷武田氏の本拠地となった城と云われています。
西願寺 阿弥陀堂(千葉県)~金色に輝いていたことから光堂の別名を持つ重文のお堂です。
平蔵城~築城は室町期に土橋氏による築城とのこと、のちに阿弥陀堂で有名な西願寺も建立しました。
大柳館~代々の上総氏居館との伝承あり、上総広常死去後は千葉氏が拝領しました。
富喜楽城~前方後円墳を取り込んだお城、すぐ近くには大柳館があり、古墳時代から人々の営みがありました。
成東城~築城は応永年間で千葉氏家臣の印東氏、比較的遺構が残っているとのことです。
坂田城~千葉氏によって築城され、周辺には支城が複数あり当時は要害の地でした。
桜井城~千葉常胤の六男・東胤頼の最初の居城と伝わる城跡で廃城は江戸時代初期でした。
大友城~千葉氏の祖である平良文の居城と伝わり、平常持、常将、常長、常兼が居城したとのことです。
森山城~鎌倉時代初期に千葉常胤の子である東胤頼が築城し東氏が居城、常陸国との水運の要地でした。
小見川城~千葉氏の一族である粟飯原氏の居城、現在は小見川城山公園となっています。
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