【上総・笹子城】
この城に関する同時代の史料はなく、
「笹子落草子」・「中尾落草子」
という軍記物に真里谷武田氏の内紛に
伴って笹子城の攻防が記されているとのことです。。
笹子城は東京湾アクアライン高速道と
圏央道とのジャンクションの東側にある
丘陵に築かれています。
【遺構】
土塁、郭、堀
【城主】
真里谷武田氏
【城の歴史】
築城年代は定かではありませんが
文明年間(1469年〜1487年)に
真里谷信興によって築かれたと云われています。
【地理地形と構造】
主郭部は空堀を挟んで南北二郭で
一部に土塁があります。
南曲輪の東下に横堀があり、
北曲輪の北側には丸馬出があります。
「千葉県所在中近世城館跡
詳細分布調査報告書」に
掲載されている図面によりますと
南北1000m弱の規模で
堀切が八箇所描かれており、
かなりの規模であった模様です。
また北端部が高速道路建設の際に
発掘調査されており、
出土陶器からみると
十五世紀半ばに築城され
十六世紀半ばに
廃城となったと考えられています。
【登城口など】
登り口は城山の東側の
笹子地区に確認できるとのことです。
笹子区集会所から
阿弥陀寺を目指して
集落内を進むと
登り口の案内があるとのことです。
【所在地】
〒292-0032 千葉県木更津市笹子
真里谷城~武田信長が築城し真里谷武田氏の本拠地となった城と云われています。
峰上城~真里谷氏が築いた歴戦の城で登城するには高難度、七つ堀切が有名です。
造海城~真里谷氏が築城、里見水軍の拠点として活用、灯籠坂大師の切通しトンネルは必見です。
勝浦城~築城は真里谷氏、後に正木氏の城で、最後の城主はお万と三浦為春の父の正木頼忠。
大多喜城~築城は真里谷信清、徳川四天王の本多忠勝が城主となり今日の大多喜城となります。
万喜城~築城は上総土岐氏と伝えられており、本多忠勝が一時居城していました。
西願寺 阿弥陀堂(千葉県)~金色に輝いていたことから光堂の別名を持つ重文のお堂です。
平蔵城~築城は室町期に土橋氏による築城とのこと、のちに阿弥陀堂で有名な西願寺も建立しました。
大柳館~代々の上総氏居館との伝承あり、上総広常死去後は千葉氏が拝領しました。
富喜楽城~前方後円墳を取り込んだお城、すぐ近くには大柳館があり、古墳時代から人々の営みがありました。
成東城~築城は応永年間で千葉氏家臣の印東氏、比較的遺構が残っているとのことです。
坂田城~千葉氏によって築城され、周辺には支城が複数あり当時は要害の地でした。
桜井城~千葉常胤の六男・東胤頼の最初の居城と伝わる城跡で廃城は江戸時代初期でした。
大友城~千葉氏の祖である平良文の居城と伝わり、平常持、常将、常長、常兼が居城したとのことです。
森山城~鎌倉時代初期に千葉常胤の子である東胤頼が築城し東氏が居城、常陸国との水運の要地でした。
小見川城~千葉氏の一族である粟飯原氏の居城、現在は小見川城山公園となっています。
勝見城~上総広常の弟の金田頼次が築城と伝えられており、戦国期は庁南武田氏の所領となりました。
一宮城(上総国)~築城は南北朝との伝承で戦国期には正木氏の支配下でした。
本納城~里見氏の支城から士気酒井氏が統治した中世山城の遺構が多くある貴重な城址。
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