【上之段城】
上之段城は小丸山城に代わる居城として
木曽義在によって築かれた城です。
木曽義在のあと、義康、義昌と
三代にわたる居城として使われました。
武田氏滅亡のきっかけをつくった
木曽義昌は「天正壬午の乱」で
当初は北条氏直に従っていましたが、
徳川家康に寝返り、さらに
天正12年(1584年)には
徳川家康と対立した羽柴秀吉に調略されています。
このとき徳川家康の命を受けた
小笠原貞慶が木曽へ侵攻し、
木曽義昌の居館は焼き払われました。
現在城址は「関山公園」として整備されていますが、
遺構は残っていません。
木曽義昌の居館跡とされる大通寺には、
武田信玄の娘で木曽義昌に嫁いだ
真理姫の供養塔があります。
なお、真理姫は晩年は木曽に戻り、
98歳の長寿を全うしたとのことです。
関山公園からその下にある
(旧)木曽高校第二グラウンドから
大通寺付近が城域とされています。
遺構はほとんど残っていないとのことです。
<大通寺・所在地>
〒397-0001 長野県木曽郡木曽町福島4926−26
【縄張形態】
山城
【標高(比高)】
812m(62m)
【築城主】
木曽義在
【築城年】
永正6年(1509年)
【主な城主】
木曽氏
【交通アクセス】
(電車)
JR中央本線「木曽福島」駅から
徒歩約25分。
(車)
中央自動車道「中津川」ICから1時間25分程度。
【駐車場】
関山公園駐車場
【所在地】
〒397-0001 長野県木曽郡木曽町福島4688
須原城~木曽氏が築城し須原宿として栄え馬籠宿から洗馬宿までの街道を整備しました。
木曽小丸山城~応永年間(1394年~1428年)に築かれた山城です。
木曽福島城~天文年間に木曽義康が築城、後に小笠原氏に攻め込まれました。
徳音寺にある木曽(源)義仲公之墓と小枝御前・巴御前・樋口兼光・今井兼平の墓、義仲館と巴淵
興禅寺にある木曽義仲公之墓、木曾義康・木曽義昌父子、山村氏歴代の墓地もあります。
木曽義仲公館跡(旗挙八幡宮)~治承4年(1180年)千余騎を従え平家打倒の旗挙をした地です。
木曽福島関所~中山道にあった関所で東海道の今切関所や箱根関所と同等の扱いでした。
赤沢自然休養林(日本三大美林)の森林鉄道に乗車しました。森林浴発祥の地です。
この記事へのコメントはありません。