【今井城】
木曽義仲の武将で巴御前の兄弟である
今井四郎兼平の居城という伝承があります。
戦国時代には小田原北条氏の勢力下にありました。
この場所は小笠原康広氏(小笠原播磨)
(正室は北条氏康の娘)の所領であり
城代として清水氏(伊豆下田城の清水氏の庶流)が
置かれていました。
現在城址には城山稲荷があり、
石碑が建てられています。
台風などの大雨等の被害により、
現在、城山稲荷付近は
足場が悪く危険な状態で
原則立ち入り禁止であるそうです。
ご確認の上、お越しください。
帷子川の支流・今井川左岸に面した
丘陵部から南向きに張り出す一尾根筋に立地し、
現在「城山稲荷」と呼ばれる稲荷社のある
東西15m×南北20mほどの平坦面が城跡とされています。
「新編武蔵国風土記稿」「今井村」項によりますと、
平安時代(12世紀)末に
木曽義仲に仕えた今井兼平の居城とする
地元の伝承を紹介しつつ
「されど外に証とすべきことなし。」
と記されているそうです。
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また当地から太刀金具と
小皿8枚が出土したことや
「嘉元2年(1304年)5月」
の銘のある石碑(板碑?)の存在を伝えています。
なお横浜市の遺跡地図や
保土ヶ谷区のホームページでは、
昭和30年(1955年)の調査で
城山稲荷社山腹から古銭が出土したとして、
遺構の年代を「室町末」としています。
城跡とされる城山稲荷社の背後には、
長さ10m×幅5m×深さ2mほどの、
南向きに「コの字」形を呈する堀切が残り、
尾根筋を遮断しています。
「日本城郭大系」6巻では、
城郭としての規模は
「小砦」の域を出ない
小規模なものとしつつ、
砦の西側山麓に
鎌倉道が通っていることから、
その押さえ、または監視のために
造られた砦ではないかと考察しているとのことです。
現地には横浜市長・細郷道一が揮毫した
「今井城址」の石碑が建てられています。
金剛寺の山門内側に「今井城と城主墓」
と記した縄張り図もある説明版があります。
【標高(比高)】
87m
【築城主】
今井四郎兼平か?
【築城年】
平安時代末期か?
【主な城主】
今井氏か?
小田原北条氏
小笠原播磨
【遺構】
曲輪、堀切
【交通アクセス】
(電車)
相模鉄道「二俣川」駅からバス⇒「金剛寺」バス停下車
JR横須賀線「保土ヶ谷」駅からバス⇒「金剛寺」バス停下車
JR横須賀線「東戸塚」駅から徒歩35分程度。
(車)
横浜新道「今井」ICから5分程度。
保土ヶ谷バイパス「新桜ヶ丘」ICから5分程度。
※普段から渋滞気味のエリアであるため、
所要時間はあくまでも目安です。
【所在地】
〒240-0035 神奈川県横浜市保土ケ谷区今井町111
【金剛寺の所在地】
〒240-0035 神奈川県横浜市保土ケ谷区今井町108
【駐車場】
金剛寺の参拝者用の駐車場があります。
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