【野崎城】
「能登誌」には畠山砦とされ、
「能登誌徴」では地頭天野氏居跡とされています。
野崎城の城主は天野氏であり、
南北朝時代に築城されたのではないかと推測されています。
戦国時代後期には、
畠山氏最後の当主であった畠山義春が、
海上監視のために使用していたと伝えられているそうです。
天正4年(1576年)には
上杉謙信の侵攻に備えて
上杉勢の船が接近するのを、
この地で監視させていた可能性もあります。
城跡に城跡の説明看板が建っています。
能登島は南北朝時代の初頭には、
地頭による在地領主の支配によって、
西方と東方に分かれておりました。
能登島東方地頭:天野遠政(あまのとおまさ)
(能登島東方:能登島の)富山湾、七尾南湾、西岸沿岸地域(野崎~半浦))
能登島西方地頭:長胤連(ちょうたねつら)
(能登島西方:向田を中心とした能登島の北湾沿岸地域)
野崎城址は現在は旧野崎小学校となっていました。
同小学校が廃校となっては
野崎コミュニティーセンターとなっています。
コミュニティーセンター建物の右手には
小高い山が見え、
城跡としては適した地形であったと推測されます。
比高60m。
【所在地】
七尾市能登島町野崎
【形式】
平山城
【築城者】
能登天野氏
能登畠山氏
【築城年】
南北朝時代
戦国時代
【遺構】
堀切、腰曲輪
【歴代城主】
天野氏
【廃城】
能登畠山氏の滅亡時
【交通アクセス】
能登島大橋より車で30分
【天野氏】
天野氏(あまのし、あまのうじ)は
日本の氏族、
藤原南家工藤氏の一族
(藤原北家の一族足立遠元を祖とするとも)で、
伊豆国田方郡天野郷(現・伊豆の国市天野)
に居住した地名を取って天野と称しました。
天野氏は後に遠江守護となった今川氏と結び、
国人勢力として遠江にて共に力を拡大しました。
遠江国のほか、天野氏の支流が
駿河国・相模国・三河国・尾張国・
甲斐国・安芸国・能登国等に繁延しています。
【天野氏の発祥(伊豆の天野氏)】
遠江権守であった藤原為憲の裔孫という、
藤原景光が伊豆国田方郡天野郷に住して
天野藤内と称したのが始まりとされています。
その後、平安時代末期から
鎌倉時代にかけて、
天野氏で活躍したのが景光の子の
天野遠景(民部丞)です。
治承4年(1180年)の旗揚げ以来、
源頼朝の懐刀として内政だけではなく、
当時の重鎮の一条忠頼、梶原景時、比企能員の
暗殺の実行にも関与したとされています。
天野遠景は平家討伐の功績を評価され、
文治元年(1185年)には
鎮西奉行(初代)に就けられました。
けれども、赴任地での反発が強く
職を解任されて本貫の地である
豆州天野郷に帰ったとされています。
【鎌倉時代】
天野遠景の子である天野政景は
1221年の承久の乱で活躍し、
長門守護職に任命され、
遠江国周智郡山香荘(現・静岡県浜松市)を始め、
信濃国、相模国の各地に
多くの所領を得ることになりました。
その後、天野政景の曾孫となる
天野経顕(周防七郎左衛門)が
遠州山香庄に入って遠江守護今川氏に属しました。
以後、天野経顕の系は北遠で勢力を広げ、
元弘3年(1333年)の新田義貞の鎌倉攻めに
天野経顕は子の天野経政とともに新田勢に参陣。
これを契機に天野経顕の一族は建武政権に属しました。
【能登天野氏】
天野遠景の子である
天野政景の後裔に天野遠政がおり、
南北朝の争乱では足利尊氏に従って戦功を挙げ、
能登国で地頭に任ぜられました。
そして能登天野氏として
能登守護の能登吉見氏に仕えました。
更に、天野遠政の子である
天野慶景(あまの のりかげ)が
畠山基国に従い、
その畠山基国の子であり、
能登畠山氏の初代当主となった
畠山満慶(はたけやまみつのり)の
代になって目指しい活躍をしたそうです。
その功績として畠山満慶は偏諱を与えています。
そのように天野氏は畠山譜代家臣となっていきました。
畠山お屋形衆(畠山家と近親の間柄)であったようです。
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