【足利氏館跡(鑁阿寺)】
鑁阿寺(ばんなじ)は、
栃木県足利市家富町にある真言宗大日派の本山です。
「足利氏館跡(鑁阿寺)」(あしかがしたくあと(ばんなじ))として
国の史跡に指定されています。
日本100名城の一つとなっています。
【概要】
寺号の詳名は
「金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺
(こんごうさん におういん ほっけぼう ばんなじ)」
と称します。
足利氏の氏寺で本尊は大日如来です。
鑁阿寺はもともとは足利氏の館(やかた)であり、
現在でも、四方に門を設け、
寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており、
鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されています。
【所在地】
〒326-0803 栃木県足利市家富町2220
【本堂(国宝))】
入母屋造、本瓦葺きです。
正安元年(1299年)の建立ですが、
応永14年から永享4年(1407年~1432年)に
大規模な改造が行われ、
この時に柱をすべて入れ替え、正面に向拝を付しました。
平面構成は前方2間分を外陣、
後方3間分を内陣及び脇陣とする密教仏堂の形式ですが、
建築様式は禅宗様を基調とします。
組物を詰組とし、柱に粽(ちまき)を設け、
扉を桟唐戸、壁を竪板壁とする点などは禅宗様の要素です。
組入天井、板敷の床など和様の要素もあります。
密教寺院における禅宗様仏堂の初期の例として、
また関東地方における
禅宗様の古例として貴重な建物です。
平成25年(2013年)に国宝に指定されました。
【鐘楼(国指定重要文化財))】
建久7年(1196年)に本堂に次いで
創建されました。
建築様式は鎌倉時代の禅宗様式の代表的なものです。
明治41年に国宝に指定され、法改正で
昭和25年に国指定の重要文化財になりました。
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【大銀杏】
樹齢は推定で650年。
周囲約10m。
見頃は11月下旬で、
見上げるほどの巨木に、圧倒的な量の黄金色の葉が壮麗で見事といえます。
【一切経堂(国指定重要文化財)】
寺伝では開基、足利義兼公の創建となっていますが、
現存の経堂は1407年に
関東管領足利満兼により再建されたものです。
内部に八角の輪蔵があり、
一切経二千巻余(黄檗版)を蔵しています。
普段は公開していませんが、
大きな行事の時や市の文化財公開日には
内部を見ることができます。
また団体での見学は随時公開するそうです。
【多宝塔(県指定文化財)】
足利義兼の創建と伝えらていますが、
江戸時代の元禄5年(1692年)に
徳川五代将軍の母、桂昌院尼公が再建されたと伝わります。
金剛界大日如来と勢至菩薩をお祀りしています。
勢至菩薩は俗に二十三夜尊といい
午年の守り本尊で、
毎月二十三日の午後から夕方にかけて、
お堂を開けています。
参拝者には「お種銭」を差し上げているそうです。
種銭を持っていると、
お小遣いに不自由しないという言い伝えがあるとのことです。
【楼門(山門)(県指定文化財)】
トップページの写真です。
足利幕府十三代将軍足利義輝の再建。両側の仁王像は桃山時代の作。
【御霊屋】
江戸時代後期、
11代将軍 徳川家斉の寄進により再建されたとしています。
内部は非公開となっています。
【歴史】
【鎌倉~南北朝時代】
12世紀半ば 足利氏の祖・源義康が
同地に居館(足利氏館)を構えました。
建久7年(1196年)、
足利義兼(戒名:鑁阿)が理真を招聘し、
自宅である居館に大日如来を奉納した
持仏堂、堀内御堂を建立しました。
文暦元年(1234年)、
足利義氏が伽藍を整備、足利氏の氏寺となります。
南北朝時代は鶴岡八幡宮の支配下となりました。
【近代以降】
大正11年(1922年)3月8日
「足利氏宅跡」として国の史跡に指定されました。
明治41年(1908年)、
鑁阿寺本堂が古社寺保存法に基づく
特別保護建造物(現行法の重要文化財に相当)に指定されました。
昭和25年(1950年)
文化財保護法の制定により、本堂は重要文化財となりました。
昭和26年(1951年)、 真言宗豊山派から大日派として独立。
2006年(平成18年)4月6日
「足利氏館」として日本100名城(15番)に選定されました。
2013年(平成25年) 本堂が国宝に指定されました。
【交通アクセス】
【電車】
◆JR東日本両毛線 「足利」駅から0.7キロ(徒歩10分)
<詳細>
北口を出て県道67号線を西に行きます。
2丁目の信号を北に行きます。
★堀が目印です。
◆東武鉄道 伊勢崎線 「東武足利市」駅
北口を出て、中橋を北へ約5~10分。
★堀が目印です。
【自動車】
北関東自動車道 足利ICから10分程走行します。
国道293号を市役所方向に進みます。
<駐車場>
◆境内 駐車場50台(無料)
◆太平記館 観光駐車場(無料)
所要時間:30分程度
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