城跡

甲斐・琵琶城~武田氏第13代当主武田信満の庶子である倉科信広が築城したとのことです。

甲斐・琵琶城跡



スポンサーリンク



【甲斐・琵琶城】

琵琶城は、鼓川に北から井戸川が交流する
地点に向けて半島状に突き出した
台地の先端部を利用して築かれていました。
甲斐・琵琶城 地形

北から緩やかな傾斜地となっており、
現在は一帯は果樹園となっています。
地形以外に城の遺構は
何も残ってはいません。
ちなみにこの一帯の果樹園の農家が
「琵琶城農園」という名称なのだそうです。

琵琶城は、応永年間に
倉科信広によって築かれたとされています。
倉科信広は、武田信満(父は武田信春)の
庶子で倉科の地を領して倉科氏を称しました。
また別の説では、信広が幼い時に
父である武田信満が上杉禅秀の乱にて
応永24年(1417年)に天目山
(当時は木賊山(とくさやま))にて
自害し、同族の倉科氏に預けられ、
倉科氏を継いだとのことです。
甲斐・琵琶城

その後の倉科氏の動向は
明らかにはなってはいませんが、
子孫は武田氏に仕えており、
武田信虎の家臣として活躍した
古屋満忠は倉科信則の次男であるそうです。
天正10年(1582年)に武田勝頼に従って
天目山の戦いに殉じた
小原満長もその系統であるそうです。

【因縁?の天目山】
応永24年(1417年)、
室町幕府に追われた
武田氏第13代当主である
武田信満が山中の木賊村で自害して
甲斐武田氏は一時断絶したとのことです。
そして後に再興された甲斐武田氏も
165年後の天正10年(1582年)、
織田政権に追われた
武田氏第20代当主である
武田勝頼が山麓の田野村で自害し、
甲斐武田氏の嫡流は滅亡となりました。

応永時代の滅亡を伝えた
鎌倉大草紙」は「木賊山」、
天正の滅亡を伝えた「甲斐国志」や
信長公記」は
「天目山」と異なる名称で
伝承しているとのことですが、
この二つは同一の山となります。
なお、武田信満の最期の地である
木賊の南側に隣接した麓に
武田勝頼の最期の地である
田野が所在するとのことです。

松本城下の名主】
江戸時代に松本城下で
大名主を務めた倉科氏の先祖は
甲斐の武田氏に仕えたと
伝わっているとのことです。

【最寄り駅】
JR中央本線塩山駅

車でのアクセス 
中央道「甲府南」IC⇒国道140号線
⇒国道141号線⇒県道206号線

専用の駐車場はありません。
収穫時などの繁忙期での登城(来訪)は
遠慮したほうがよさそうです。

【所在地】
〒404-0003 山梨県山梨市牧丘町倉科5332

武田信春公館~甲斐源氏第12代及び武田氏9代当主であった武田信春の居館跡です。

栗原氏館跡(甲斐国)~甲斐守護・武田信成の子である武続が始祖となる栗原氏の館跡です。

武田信成~武田信時の系統で安芸守護武田氏から甲斐国守護武田宗家となりました。

武田勝頼~甲斐源氏・戦国大名としての甲斐武田氏最後の当主、素質と環境が合わず悲劇が訪れます。

中牧城(浄古寺城)~武田信玄時代に築城、後に徳川家康家臣が城代、遺構規模が多い城跡。

小田野城(小田野山城)(甲斐国)~甲斐源氏である安田義定が築城したと伝わる山梨県内最古の部類の山城。

御坂城(甲斐)~標高1500mの峠に小田原北条氏が築城、徳川方の鳥居元忠らが黒駒合戦で勝利しました。

恵林寺~1330年に開山された武田氏の菩提寺である臨済宗の古刹、庭園は国の名勝に指定されています。

旧高野家住宅 甘草屋敷~国の重要文化財に指定された民家建築で江戸幕府御用の甘草の栽培と管理を担ってきました。

生土城跡~大森氏が築城した支城~鎌倉公方・足利持氏が滞在したと伝わる中世の城。

関連記事

  1. 小泉城址 小泉城~結城一族である富岡氏の居城~土塁や水堀が良好に残っている…
  2. 設楽城跡 設楽城跡~鎌倉時代初期に設楽氏が築城した愛知県で最も古い城跡であ…
  3. 名古屋城(大天守閣・小天守閣・本丸御殿) 名古屋城~日本100名城、特別史跡、日本三大名城、名勝、金鯱、起…
  4. 檜原城跡 遠景 檜原城~鎌倉武士の花形の末裔で武蔵七党・西党の一族の平山氏が築城…
  5. 黒羽城址(大田原市) 黒羽城~大関高増が戦国期に築城し、黒羽藩として明治まで存続、松尾…
  6. 塞之神城 塞之神城~古宮城に隣接する山城で築城は奥平氏とも奈良時代の米福長…
  7. 女渕城・水堀 女渕城址~城主は真田昌幸の策略で謀殺された沼田景義~上杉VS北条…
  8. 安房勝山城 安房勝山城~里見水軍の本拠地の海城、安房に逃れた源頼朝を迎え入れ…



スポンサーリンク




コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

おすすめ記事

  1. 藤原兼子~後鳥羽天皇の乳母で院政で権勢をふるい朝幕関係に手腕を発揮するも承久の乱後に権力を失う。 延暦寺 境内 階段

ピックアップ記事

  1. 岡崎城
  2. 京都 東山 白川
  3. 鳶ケ巣城(出雲)
  4. 平将門公
  5. 高瀬城 出雲
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
PAGE TOP