【神宮寺城】
神宮寺城は南北朝時代に
東条氏によって築かれた城です。
南朝の北畠親房を迎え入れ
立て篭もりましたが、
北朝方勢力の佐竹氏や
大掾氏などの軍勢によって
攻められ落城しています。
その後、戦国時代に
利用されたかはわかってはいません。
現在城趾には土塁や空堀などの
遺構が良好な状態で残されています。
土塁と堀、素人が見ても
確認できるほどしっかりと遺っています。
車は入り口に数台なら駐車できます。
密な竹林に阻まれており、昼間のうちに
訪れることをおススメします。
主郭の土塁は高い所で5mを超えるそうです。
城跡の目印としては大杉神社からすぐとのことです。
ただし入り口が分かりづらいです。
神社から車で2~3分ぐらいで到着できます。
【縄張形態】
平城
【標高(比高)】
27.5m
【築城主】
東条氏
【築城年】
南北朝時代
【主な城主】
東条氏
【指定文化財】
県史跡
【交通アクセス】
最寄り駅:JR成田線「佐原」駅
タクシーもしくはバス(最新情報をご確認ください)
(車)
圏央道「稲敷東」ICから15分程度。
【駐車場】
城址入口付近に駐車スペースあり
【所在地】
〒300-0622 茨城県稲敷市神宮寺829
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