【城願寺】
城願寺(じょうがんじ)は、
神奈川県足柄下郡湯河原町にある曹洞宗の寺院。
山号は万年山。
【寺の歴史】
平安時代末期から鎌倉時代初期の武将である
土肥実平の草創と伝えられています。
萬年の世までも家運が栄えるように
「萬年山」と号したとのことです。
鎌倉時代後期には五山十刹につぐ
寺格である諸山に指定され、
西相模地方では指折りの禅刹だったと伝えられています。
その後衰退していましたが、
南北朝時代に土肥実平の末裔とする
土肥兵衛入道が、
清拙正澄(大鑑禅師)の弟子である
禅僧雲林清深を開山に招請して再興しました。
もと密教寺院だったものを臨済宗に改め、
清拙正澄を勧請開山(名目上の開山)としたとのことです。
やがて土肥氏が失脚し、小田原大森氏の時代になると
再び衰退しましたが、
戦国時代に大州育守(鎌倉海蔵寺三世)が再興し、
曹洞宗に改宗しました。
寺には土肥一族墓所や、
石橋山の戦いで源頼朝と共に逃げのびた
頼朝七騎が祭られた七騎堂が境内にあります。
更に国の天然記念物となっている
ビャクシンの大木があります。
【土井実平・土肥遠平の木像】
「土肥次郎實平、弥太郎遠平」父子の木造座像があります。
土肥實平像:
高さ47センチ(一尺五寸五分)、
土肥遠平像:
高さ43センチ(一尺四寸二分)。
両雄の人格がよく
面貌に表れているといわれています。
室町時代(15世紀)、
家臣・坪正の佳作と伝えられています。
土肥 遠平(どひ とおひら)は、土肥実平の嫡男です。
平安時代後期から鎌倉時代にかけての武将、鎌倉幕府御家人。
建久10年の頼朝逝去により仏門に入り道慶と号しました。
小田原城の元は、小早川遠平の居館であったとされています。
スポンサーリンク
【土肥一族の墓所】
城願寺本堂左方にある
土肥次郎実平(實平)一族の墓所 には、
66基の墓石 があります。
嘉元2年(1304年)7月の
銘のある五層の鎌倉様式の重層塔 や、
永和元年(1375年)6月の銘のある
宝筺印塔をはじめとして、
塔身が球形をした五輪塔などの
各種の墓型がそろっています。
このように一墓所に各種の墓型がそろっているのが
見られるのは、
関東地方ではめずらしく貴重であるとのことです。
神奈川県指定文化財でもあります。
土肥一族墓所。
中央左が土肥実平で向かって左が土肥実平の妻、
中央右が土肥遠平で右端が土肥遠平の妻、であるそうです。
【七騎堂】
石橋山の戦いに敗れた頼朝主従七騎の像を祀ってあります。
◆安達盛長
◆岡崎義実
◆新開忠氏
◆源頼朝
◆土屋宗遠
◆土肥実平
◆田代信綱
【ビャクシン】
境内には樹齢800~900年と言われている
ビャクシンの巨木がそびえたっています。
土肥実平が植えたと伝わっており
国指定天然記念物にも指定されています。
樹高は20mを誇っています。
<ビャクシン>
漢字表記:柏槙(びゃくしん)
別名:イブキ・イブキビャクシン・カマクライブキ
宮城県から沖縄までの太平洋岸沿いや
瀬戸内海地方に分布する常緑針葉樹です。
東南アジアに広く分布し、
中国や朝鮮半島にも見られるとのことです。
スポンサーリンク
葉の形状は画像のとおり、
鱗状(ヒノキ型)になるもの、
針状(スギ型)になるものがあり、
場所や老若によって異なるそうです。
成長の落ち着いた大部分の葉は鱗状で、
苗木、徒長枝、老木の下枝は
針状になりやすいとのことです。
雌雄異株ですが、稀に同株のものも見られるそうです。
雌雄ぞれぞれの小さな花が4月ころに開花し、
球形の実が秋にできます。
実は直径5~9ミリ程度の紫色で、
白い粉がかかったような状態になることが多いとのことです。
樹皮は赤褐色で樹齢を重ねると
縦に長く裂けて剥離します。
幹は直立しますが、ねじれたり、
這うように育ったりするものも多く、
その野趣に富んだ雰囲気が好まれるとのことです。
直径は最大で70センチ余りになるそうです。
(引用元:庭木図鑑 植木ペディアより)
【伝源頼朝腰掛石】
※伝土肥実平腰掛石もあるそうですが、見つけられませんでした。
【伊能忠敬測量隊】
伊能忠敬の測量隊が城願寺を訪れ、
土肥一族の墓所に参拝しています。
文化12年(1816年)12月19日。
【所在地】
〒259-0305 神奈川県足柄下郡湯河原町城堀252
【電話】
0465-62-4010
【FAX】
0465-60-1579
【交通アクセス】
JR湯河原駅から徒歩8分 車で2分
【駐車場】
境内に2カ所無料駐車場があります。
道が狭く坂道なので
十分にお気を付けください。
<1.本堂側駐車場>
駐車場は【城願寺参道】を曲がらず真直ぐ進みます。
左手に城願寺駐車場の看板が見えてきます。
(墓地上部駐車場は更に真直ぐ進みます)
左手に曲がった所と裏門左手に駐車場が有ります。
<2.墓地上部駐車場>
駐車場は【城願寺参道】を曲がらず真直ぐ進みます。
左手にロードミラーと電話ボックスの所を左折します。
直進すると駐車場があります。
(道が狭いので注意して下さい。)
土肥実平とその妻~武士団「中村党」の中心であり頼朝から厚い信頼を受けた宿老~小早川家の祖。
三太刀(みたち)城跡~小早川氏の祖である土肥遠平の御館か?~相模から安芸国沼田荘へ。
花岳城跡~平安末期に土肥一族の小早川氏が居館、室町期に大森頼春が築城したが伊勢盛時に奪われた。
石橋山の戦い~源頼朝旗揚げの地!300VS敵3000!大敗するも真鶴から安房へ逃れて再挙を図る。
この記事へのコメントはありません。