鎌倉殿の13人

稚児ケ淵~頼朝と八重姫の子・千鶴丸が沈められたと伝わる場所~松川の上流です。

稚児ケ淵(伊豆)



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稚児ケ淵(伊東)】

源頼朝八重姫との間に
出来た子・千鶴丸が沈められたと伝わる場所です。

実はその場所は定かではありません。
伝承地は鎌田城及び松川ダムの近くの沢です。
伊東大川という川です。
この付近だけ流れが急流であるとのことです。
下に降りられる階段もありますが、
藪が多く、足元には十分にお気を付けください。

伊東館から4kmも離れた場所とのことです。

<稚児ケ淵(伊豆)説明板(地学的観点)>
稚児ケ淵(伊豆)説明板(地学的観点)

またこの道は「万葉の小径」と呼ばれており、
平安時代の古道(奥野道・修禅寺街道)が
通っていた道でもありました。

稚児ケ淵 歌碑

【その後の千鶴丸伝承】
<産毛石(うぶぎいし)>
【所在地】:伊東市富戸(宇根展望台の手前)
<宇根展望台の所在地>
〒413-0231 静岡県伊東市富戸474
※付近には駐車場はない、そうです。

沈められた千鶴丸の腰の石がとれて
川を下り海に出て富戸の海岸に流れ着きました。
釣をしていた甚之右衛門が見付け引揚げたところ、
高価な着物を身につけており、
これは高貴な御子であると
丁重に扱い遺体をこの石の上に安置し
着物を乾かして懇ろに葬ったと云うことです。
これによりこの石を産衣石と云うようになり、
千鶴丸は若宮八幡・氏神となり、
三島神社(元御島神社)の御祭神三島大明神の相殿として
祀られたということです。
更に御例祭には鹿島踊りが奉納され
村人の平穏無事と
五殻豊穣大漁が祈願されるとのことです。

【三島神社の所在地】
〒413-0231 静岡県伊東市富戸686

<橘の枝>
また甚之右衛門は千鶴丸がにぎっていた
橘の枝が余りにも見ごとでしたので
これを三島神社の社殿の前に挿しました。
すると、千鶴丸の怨念で根付いものの、
数年にして枯れたので
同じ物を植えたということです。
それが現在まで続き、
毎年香り高い花を咲かせているということです。
千鶴丸が握っていた橘は
千鶴丸が稚児渕に連れて行かれる途中の
鎌田神社境内に丁度、
香り高い匂いをつけた橘をせめてもの慰めにと
家来が持たせたと云うことです。




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【生存説】
地元では伊東祐親の内意を受けた下の者が実際には助け
山深いところで生きていた
生存伝承が残っているそうです。
それ故、伊東祐親はわざわざ居館から遠く離れた
場所に連れて行けと命令し、
その場所に千鶴丸を沈めた、
と話を広めたのかもしれませんね。
・・・遠くでは確かめようがないし、
「流れちゃった」となれば、
ますます探しようがないですから。

<1>
奥州は現在の岩手県の和賀家に千鶴丸を
「時義」として養子に出す。
(あれ・・・さかさにしたら「義時」だ)

<2>
女塚史跡公園にあるように、
甲斐源氏に預けてその後、
島津忠久として生きた、ということです。

やっぱり生きていて欲しいですよ。

【所在地】
〒414-0054 静岡県伊東市鎌田
目印:
「ハンディホームセンター伊東店」
県道12号線沿いにある「ハンディホームセンター伊東店」
から鎌田城へ入る坂道があります。
その道を上がってしばらくいくと
道沿いにあります。

伊豆山神社~頼朝が伊東祐親より逃げ込み、政子との逢瀬を重ねた伊豆の地名の発祥の地

真珠院・八重姫御堂~八重姫とは?父親たちの選択によって明暗を分けた娘たち。

最誓寺(伊東市)~伊東家のお墓及び千鶴丸の菩提寺として~伊東七福神巡りは寿老人です。

女塚史跡公園~八重姫の5人の侍女たちの終焉の場所と伝わる処です

音無神社~源頼朝が八重姫との逢瀬を重ねた伝承の地~ひぐらしの森で待ちわびて音無の森で密会♪

日暮八幡神社~源頼朝が八重姫に会うために待ったひぐらしの森~日暮遺跡(弥生時代)の場所でもあります。

頼朝一杯水~頼朝が伊豆山への逃避中に休息し水を飲んだ場所

蛭ヶ小島~源頼朝が20年間過ごし北条政子と夫婦となった配流地~

伊東佑親~源頼朝の配流地の監視役で八重姫の父であり、北条義時・曽我兄弟・三浦義村の祖父。

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